anti-daily-life-20210601
  × 閉じる


I thank you because you have shown to the unlearned what you have hidden from the wise and learned.
(Luke 10-21)

 



 小林秀雄氏は、「『罪と罰』 についてU」 の中で次の文を綴っています。

     先ず直覚しない聡明は、何事もなし得ぬものである。

 直覚とは 「直接に感じ知ること」、聡明とは 「(耳と目との鋭敏なことから)頭がよく道理に通じていること」(「広辞苑」)。小林秀雄氏の この文は、直覚説 (直観主義) の考えかたに通じるでしょうね──直覚説 (直観主義) とは、認識において直観が経験的・推論的な思考に先行して、存在 (実在) は直観によってのみ把握できるという説で、その説を唱えた人物が、哲学ではベルクソン 氏、数学では ブラウワー 氏です (ウィトゲンシュタイン 氏も前期の哲学 [ 意味の対象説 ] から後期の哲学 [ 意味の使用説 ] への移行期には ブラウワー 氏に近い考えかたをしていたそうです、ウィトゲンシュタイン 氏と小林秀雄氏を敬愛している私は きっと 無意識にも直覚説に近い考えをしているでしょうね)。

 私の仕事柄 (事業分析・データ 設計のための モデル 技術をつくる仕事)、私は仕事では数学の論理主義 (ラッセル 氏に代表される学説)・形式主義 (ヒルベルト 氏に代表される学説) の思想・技術に則 (のっと) っていますが、仕事を離れた日常生活では──たとえば、「反 コンピュータ 的断章」 「反 文芸 的断章」 の エッセー を綴るときには──直覚説に近い考えかたをしています。

 文学者 (小説家・詩人などのように散文的精神と詩的情趣を併せ持つ芸術家) は、個々の事態を観るので、たぶん 直覚説を足場にしていることが多いのではないかしら。というのは、芸術家は個々の事物・事態のなかに something を感じて──われわれ凡人には感知できなくて見逃すことが多い something を見出して──、情熱を以て (その something に取り憑かれつつも) 沈着にそれを描いていくのだから。感知した something に対する情熱を丁寧に彫塑していくのが作家たる技術 (ことば の技術) でしょう、それゆえに 芸術家においては、「先ず直覚しない聡明は、何事もなし得ぬものである」。作家になるほどの才量がなかった私のような程度の 「文学青年」 でも、小林秀雄氏の この文は 重々 承知しています。

 
 (2021年 6月 1日)


  × 閉じる