anti-daily-life-20210701
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...and proved that their preaching was true by the miracles that were performed. (Mark 16-20)

 



 小林秀雄氏は、「『罪と罰』 についてU」 の中で次の文を綴っています。

     口に出せば嘘としかならない様な真実があるかも知れぬ、滑稽
    となって現れる他はない様な深い絶望もあるかも知れぬ。

 この引用文は、本 ホームページ 「反 コンピュータ 的断章」 の今回の定期更新 (Literature について) と係わる論点ですね。でも、それは たまたま 「文学」 について重なったのであって、意識的に重ねたのではないので、あくまで偶然のことです。

 さて、引用文が云っていることは、文芸作品の性質を的確に述べているのではないかしら。文学は、「虚構」 の上に成り立つ物語であって、事実そのままを写し取った報道文ではないでしょう。引用文を一言でいえば、「逆説でしか語り得ぬ実態もある」 ということではないか──事実と虚構 (事実らしさ) を うまく案配しながら作品として制作するのが作家でしょうね。

 制作理論としては、散文精神と詩的情緒が相求められるでしょう。それらふたつのどちらかに偏って仰々しく描いても (世間 ウケ する ミーハー 本になっても) 文学作品にはならないでしょうね、だから作家は すぐれた制作技術をもっていなければならない。「芸術においては、最上のものを持たない者は、なにものをも持たない」 (ゲーテ、「フリードリヒ・ラインハルト 宛の手紙」)。そして、文学は、生活がその断面しか与えなかった デッサン [ 素描き (すがき) ] を、色彩豊かな作品として作家が再造して情感を伝えるのでしょう。作家が体験した情感を伝えるのが芸術でしょうね。だから、「表現の固有性ということが、すべての芸術の初めであり終りである」 (ゲーテ、「ドイツ の劇場」)。作家は生活の事実を観て それを再構成して 「事実らしさ」 を感じるような筋書き [ 虚構 ] のなかで或る情感を訴える、情感は文体に載って運ばれる。

 どんなに醜悪なものでも、芸術として描かれれば、我々の目 (情感) を愉しませてくれる──私は芸術家ではないので芸術について その性質を精確に語ることはできないけれど、一人の芸術愛好家として芸術作品を観れば [ 読めば ] (私が作品を観たり読んだりした体験から感じたことを述べるならば)、芸術とは時代的条件のなかに生起・生存している事象・事物・人物を生々しく感じる情感から生まれるのではないか。そして、その情感が普遍性を醸すのではないか。時には、逆説でしか語り得ない実相 (実態) という事柄もある──笑いながら泣いている、あるいは泣きながら笑っている、それが文学の生まれる源泉の情操 (豊かな感受性が育む創造的・批判的な自己表現欲求) なのではないか。

 
 (2021年 7月 1日)


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