anti-daily-life-20210901
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Those helpers who do their work well win for themselves a good standing and....
(1 Timothy 3-13)

 



 小林秀雄氏は、「私の人生観」 の中で次の文を綴っています。

     天職という言葉がある。若 (も) し天という言葉を、自分の
    天職に対していよいよ深まって行く意識的な愛着の極限概
    念と解するなら、これは正しい立派な言葉であります。今日
    天職という様な言葉がもはや陳腐に聞えるのは、今日では
    様々な事情から、人が自分の一切の喜びや悲しみを託して
    悔いぬ職業を見附ける事が大変困難になったので、多くの
    人が職業のなかに人間の目的を発見する事を諦 (あきら)
    めて了ったからです。これは悲しむべき事であります。

 さて、私が今やっている仕事は果たして天職と呼ぶにふさわしいのか、、、そう自問してみて、天職であるとは すっきりと言えないけれど、30歳以降に為してきたことを今振り返ってみて、やや天職に近かったのではないかとも思う──そう思うのは、あくまで 30歳から今 (68歳) までに為してきたことが自らの精神の遍歴を鮮やかに刻印している道程を示してきたという回顧に因るのであって、手放しで 「意識的な愛着の極限概念」 を感じているからという訳ではない。たぶん、大方の人々が自らの仕事を振り返って感じるのは、そういう気持ちではないか、「大方の人々」 と私は言ったけれど、自らの仕事を天職と感じている人たちは、「今日では様々な事情から、人が自分の一切の喜びや悲しみを託して悔いぬ職業を見附ける事が大変困難になったので、多くの人が職業のなかに人間の目的を発見する事を諦めて了った」 と小林秀雄氏が言うように、案外 少ないのかもしれない。そうだとすれば、確かに 「これは悲しむべき事」 です。

 多くの人たちは、一日の大半の時間を仕事に費やしていて、それが一生涯 (あるいは、定年退職まで) 続くとなれば、自らの 「意識的な愛着の極限概念」 を微塵も感じられない (単純に言ってしまえば、「(自ら成熟していくことの感じられない、そして仕事をする喜びを感じられない、) 嫌な」 仕事に数十年も従事しなければならないというのは苦痛でしかないでしょうね。私の生活を振り返ってみて、大学に入学して以後 30歳すぎまでの生活は ほんとうに暗澹たる生活だった──人間関係も仕事も嫌で嫌で仕方がなかった。こういう生活が今後ずっと続くのかと思って まいにち が憂うつだったけれど、生活費を稼ぐためには仕事をしなければならないので、我慢しながら仕事を続けていました。

 勿論、仕事のやりかたを覚える新入社員の頃は、仕事のやりかたを知らないし 当然ながら それを覚えなければならないので、自らの力 (実力・特性) を初めから あらわすことなどできる訳もないので仕事のやりかたを学習することに専念するしかない。ただ、仕事のやりかたを学習する段階に於いて、当時の私は微塵も喜びを感じたことはなかった。寧ろ、「これは私のやりたい仕事ではない」 という気持ちが鬱積していった。しかし、初めて会社員になった私には、仕事とは──金銭を稼いで生活をしていくということは──こういうものなのだろうと諦めもあった。しかも、当時の社会制度は、(転職・独立開業が現代ほど普通ではなくて) いったん就職したら定年退職まで勤め通すというのが常態だった。私が就職した会社は、いわゆる外資系であって、世間では名が通っていて、年収も良く、当時の私は そういう世間的見栄も いくぶん感じていたことを正直に告白しておきます。

 しかし、鬱積していた嫌悪感──人間関係や仕事が嫌で嫌で堪らないという感情──が とうとう臨界点に達して、私は仕事を辞めました。その後、私は転職を くり返して、無職も 2回ほどやっています。ただ、念のために言っておきますが、私が仕事を辞めたのは、あくまで私が仕事を好きになれなかったということであって、私と仕事との相性の悪さが原因です──そもそも 「文学青年」 気質の強い私は、世間と 折りあいが悪くて 協調性がないことを自覚しています。当時の社会制度のなかで、私は 「ドロップアウト (落伍者)」 になったと感じていました。

 私の生活が今の生活に転回したのは、30歳すぎに ビル・トッテン 氏の会社に就職してからです (そのことについては、「反 文芸的断章」 の他の エッセー で述べているので、ここでは割愛します)。ビル さんの所で働くようになって、私の生活が直ぐに転回した訳ではない、最初の 2年ほどは以前に就職していた会社と同じような状態にあって、私は そのあいだに辞表を 数回 認 (したた) めましたが そのつどに慰留されました。今の仕事につながる契機になった出来事があって──或る出来事 (私が米国出張中に ビル・トッテン さんと直接に話したこと) が起こって、それ以来 私は ビル・トッテン さんの直属 (社長室) で働くことになって、今の仕事へとつながるのですが──それ以後に私は (独立開業するまで) 辞表を 一度 も書いていない。そして、私は ビル・トッテン さんの下で数年働き続けました、私が最も長く働いた会社でした。会社の ほとんどの人たちは私の働きかたを──会社には ほとんど出社せずに拙宅で仕事をしていましたが、当時 (30数年前) は テレワーク などはなかった www ──非難していたのは承知していました、そういうなかで私を守ってくれた上司・同僚の数人には今以て感謝しています、この庇護がなかったら今の私はなかったでしょう。この庇護のもとで、私は自らの仕事のやりかたを押し通すことができて、仕事のなかで私のやりかた (考えかたと技術) を確立していくことができた。このとき初めて仕事がたのしいと感じるようになった。

 天職とは言っても、その仕事を選択した契機というのは偶然であることが多いのではないか。勿論、自らの意志で仕事を選んで、それが天職と思えるほどに まいにち が充実している人は幸いですが、ほとんどの人は偶然に選んだ仕事が天職と思えるようになったり そうでなかったりするのではないか。そういう意味では、仕事を嫌だと感じたら、35歳くらいまでならば、自らが愉しめる仕事を探して いくどか転職していいと私は思う。「35歳くらいまで」 と言った理由は、どの仕事も基礎技術を習得しなければならないので、その習得期間を考慮すれば、そして仕事の実績を示すには 10年くらいを費やすので、40歳代で或る程度の実績──仕事について、或る程度の意見を述べることができるほどの熟練度を習得した成績──を遺すのであれば、年齢を逆算すれば 35歳くらいで定職に就いていたほうがいいでしょうね。勿論 これは一般的な見かたであって、個々の具体的な適用例ではないです (私の場合には この見かたは ほぼ的中しましたが、老齢になってから未経験の分野に身を投じて実績を積んできた人たちもいるでしょう)。

 仕事は あくまで生活費を稼ぐための手立てであって──特に 現代社会のように職種が専門化・細分化 (部品化) して一つの閉じた完結した (closed-loop) 仕事が (芸術家や思想家を除いて) ほとんど見出すことが難しい社会では、仕事を生活費を稼ぐための手立てと見做すことは ふつう (致しかたない) なので──、自らの人生の喜びは余暇 (趣味) のなかに見出すという考えもあるでしょう。しかし、趣味は趣味にすぎない。その趣味 (たとえば、文学・音楽など) を気晴らしに愉しんでいる レベル では、それを仕事としている プロ に並ぶことはできない。すなわち、趣味の レベル で言う意見など実績にもならない。「それでもいい (それでいい)」 と言う人には、それはその人の人生だから私は どうこう言うつもりはないけれど、少なくとも私の生活では そういうことを避けてきたつもりだし、今後も仕事のほうに精を出していきたい。私は趣味を蔑んでいるのではない、趣味をもつことは大切だと思っています。だが、趣味に逃げるなと言いたいのです。
 道元禅師 曰く (「正法眼蔵」 の 「三十七品菩提分法」)──

    在家の帰依者で、男女とりまぜて少しは仏道を学ぶ者もある
    が、得道した例はまだない。仏道に達するのには、必ず出家
    するのである。出家しおおせない連中は、どうして仏位が
    受け継がれよう。

    知るがよい、心身にもし仏法があるならば、在家にとどまる
    ことはできないということを。

    釈迦牟尼仏は言う、「出家受戒、コレ仏ノ種子ナリ、スデニ
    得度ノ人ナリ」。こういうわけであるから、知るがよい、
    『得度』というのは出家である。まだ出家していない者は、
    生死苦界をさまよっているのである。悲しむべきことよ。
    (以上、高橋賢陳訳)

 道元禅師は仏法のことをおっしゃっていますが、この心得を我々の仕事に読み替えてみれば、仕事と趣味との違いが歴然とするのではないか。「天職」 というならば、この厳しさを内包しているのではないか。その意味では、私の仕事は、「天職」 と呼ぶには甚だ心許ない (泣)。

 
 (2021年 9月 1日)


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