anti-daily-life-20220315
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If you only knew today what is needed for peace! (Luke 19:42)

 



 小林秀雄氏は、「私の人生観」 の中で次の文を綴っています。

     自分自身と和する事の出来ぬ心が、どうして他人と和する
    事が出来ようか。そういう心は、同じて乱をなすより他に行く
    道がない。

 自我が目覚める青年期には、たいがいの人は こういう状態を体験しているのではないか。とりわけ 「文学青年」 は、こういう意識が著しいのではないか──私は、高校生になった頃から こういう状態が著しかった。そして、大学生のときには、学生運動が (下火になってきて末期的症状を見せていたとはいえ、) 盛んだったので、大学は しょっちゅう ロックアウト されて、富山県から上京して下宿していた私は、三畳一間の部屋に閉じこもって文学書・哲学書を読み漁っていて、自分自身と和することもできず、他人と和することもできず、ただただ憤懣やるかたない状態が いっそう拍車がかかった。大学院 (修士課程) を修了して就職したけれど、いったん 「文学青年」 気質にそまってしまうと、なかなか 素 (もと) の白地になることは難しい。「そういう心は、同じて乱をなすより他に行く道がない」。30才すぎになるまで、私は、自分のやりたいことを掴めないまま、私の眼に写る社会生活が下衆 (げす) いとしか思われず、社会生活になじめず、転職と無職を くり返していました。どこかで折りあいをつけなければならないとは思っていたのですが、当時の私には 社会生活が低俗な茶番劇にしか見えなかった。

 「文学青年」 ごときは、作品を創る訳でもなく──したがって、文学を職業にして、作品を創る苦しみや愉しみを味わうこともなく──、文学の愛好家にすぎない。私の生活が大きく変わったのは、30才すぎに A 社に転職して、リレーショナル・データベース を日本に導入普及する仕事に就いてからです。当時、私は、社長の庇護のもとで、自由気ままに仕事をさせてもらった──「自由気まま」 という意味は、勿論、「放縦に流れる」 ということではない、私は自己管理をしながら仕事を着実に進めていました。会社には一ヶ月に数回ほどしか出社しなくて家に籠もって (昼夜逆転の生活をしながら) 自分を ただただ仕事に打ち込んだ──当時 (1980年代前半) は テレワーク などなくて、私が出社しない状態というのは他の人たちから見れば 「怠けている (欠勤している)」 としか見えなかったでしょう www. でも、私は、怠けたことは一度もない、ひたすら 仕事に専念していました (というか、日本に先例のない リレーショナル・データベース を導入・普及するのだから先達もいなかった (社内でも社長ほか数名ほどを除いて、リレーショナル・データベース に対して反対派だった)、いきおい独りで──独りというのは大げさな言いかたであって、私を支えてくれた人たちもいました──リレーショナル・データベース の使いかたを考えなければならなかった。そして、その仕事の延長線上で モデル 論の学習へと進むことになった次第です。この仕事に就いたことは、私の今までの生活を一変しました。この仕事に就いて、私は 自ら 意欲して計画して実践して、そして実績を積んでいくことを体験しました。特に、T字形 ER法と その進化形の TM を創ったことは、「文学青年」 として味わうことのできなかった創造の苦しみ・悦びを私にもたらしてくれた。

 T字形 ER法 (TM の前身) をつくっている途上、私は 自らの仕事が なにかの代用 (疑似体験) ではないかという思いを 13年前に綴ったことがあったけれど、今にして思えば、「文学青年」 が夢見ていた作家の仕事の代用であることを疑っていたようです。勿論、今は そう思っていない──モデル 論の学習研究は、それはそれで私に創造の苦しみ・悦びを与えてくれて、私の生活のほとんど (40才から今 [ 68才 ] に至るまで) を費やしてきました。「同じて乱をなすより他に行く道がない」 と思っていた 「文学青年」 が ついには そういう道を選んで辿った、という次第です。自分の精神 (知・情・意) は自分で制御するしかない。

 
 (2022年 3月15日)


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