anti-daily-life-20220715
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Jesus said to him, "Go; your son will live!" (John 4:50)

 



 小林秀雄氏は、「表現について」 の中で次の文を綴っています。

     ベルグソン の哲学は、直観主義とか反知性主義とか呼ばれて
    いるが、そういう哲学の一派としての呼称は、大して意味がない
    のでありまして、彼の思想の根幹は、哲学界からはみ出して広く
    一般の人心を動かした所のものにある、即ち、平たく言えば、
    科学思想によって危機に瀕した人格の尊厳を哲学的に救助した
    というところにあるのであります。人間の内面性の擁護、観察
    によって外部に捕えた真理を、内観によって、生きる緊張の裡
    に奪回するという処にあった。

 小林秀雄氏のこの文は、取り立てて目新しい考えを述べている訳ではないけれど──私のような程度の凡人も 日頃 抱いている考えだけれども──彼は文芸評論を文学作品に成した第一人者 (先駆者) であると云われるように、さすがに文 (表現) が すばらしいですね。私が小林秀雄氏と同じ考えを抱いているといっても、これほどに すばらしい文を書くことができない。ただただ感嘆して共感するのみです。

 さて、小林秀雄氏の述べていることは、文学者の多くが感じているのではないかしら。私は、文学者ではないけれど、前述したように彼と同じ考えを抱いています──私は、コンピュータ 界隈で仕事をしていますが、どちらかと言えば、「反 現代」 の態度が強い。兼好法師のことばを借りれば、「今やうは無下にいやしくこそなりゆくめれ」 という思いが強い。確かに、時代が進むにつれて、社会が 「進歩」 して便利な物が多くなってきました。それに貢献してきたのが科学であるのも確かでしょう。私の仕事は事業分析・データ 設計のための モデル 作成技術を創ることです、そして その技術を使って ユーザ 企業の事業を分析して、事業の モデル を構成し、事業が内包する強み・弱みを把握して、事業環境への適応力を判断し、環境へ適応する情報 システム 作りを支援することです。その技術の根底になっているのは数学基礎論です、すなわち 「論理」 です。数学基礎論が元になって コンピュータ が誕生しました、数学基礎論は コンピュータ の故郷です。したがって、私は、数学基礎論・哲学の学習に多くの時間を費やしてきました。

 そのいっぽうで、私は若い頃から 「文学青年」 でした、その気質は 69才の今も変わっていない。仕事では 「論理」 (数学基礎論) の思考・技術を使い、その技術を使っている本人は文学を志向しているという両極端の思考 (および感情) を私は使っています、その結果が (コンピュータ 界隈で仕事をしていながら) 「反 現代」 という態度になっているのでしょうね。小林秀雄氏は、岡潔氏 (数学者)や湯川秀樹氏 (物理学者) と対談するほどの科学的知識を有していました、しかも、それらの対談の中味は そうとうに深い。小林秀雄氏ほどの深い科学的知識を私は持ちあわせていないと思うけれども、数学基礎論・哲学・文学 (および宗教 [ 禅 ]) には私は そうとうな時間を割いてきました。そして、小林秀雄氏の謂う 「人間の内面性の擁護、観察によって外部に捕えた真理を、内観によって、生きる緊張の裡に奪回する」 ということを私は まざまざと感じています。思考が いったん技術として具現化されたら、それは技術として共有されて、技術を作った人の思考および個性は切り落とされる、それが技術としての性質でしょうね。しかし、その技術が生まれるためには、それを作った人の個性を抜きにしては語れない。その個性は、「人間の内面性の擁護、観察によって外部に捕えた真理を、内観によって、生きる緊張の裡に奪回する」 性質を内包しているでしょう。その意味において、現代の いわゆる 「文系」 を軽視する風潮を私は苦々しく思っています。

 
 (2022年 7月15日)


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