anti-daily-life-20230315
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although saddened, we are always glad,... (2 Corinthians 6:10)

 



 小林秀雄氏は、「悲劇について」 の中で次の文を綴っています。

     人間に何かが足りないから悲劇は起るのではない。何か
    が在り過ぎるから悲劇が起るのだ。否定や逃避を好むもの
    は悲劇人たり得ない。何も彼も進んで引受ける生活が悲劇
    的なのである。

 私は、小林秀雄氏の重立った著作を読んできたのですが、「悲劇について」 を読んだかどうか記憶が曖昧です、、、なので、今 拙宅に置いてある小林秀雄集の 3冊を調べてみようと思ったのですが、彼の著作集は多量の書物が平積みになっている山の下のほうにあって、それらを取り出すのが面倒なので、不本意ながら確認を諦めました──彼の他の著作集は、拙宅に隣接する アパート に置いてあるので、調べに行くのが 尚更 億劫なので諦めました。そういう不埒な理由なのですが、「悲劇について」 の全篇文脈を無視して、この引用文のみを対象にして、この引用文から誘発された私の想いを以下に述べてみます。

 「悲劇」 という ことば から私が感じることは、「劇」 あるいは 「劇的」 であるという性質です。すなわち、不幸・悲惨な出来事を題材にして、その出来事が内包している矛盾・葛藤を生々しく描き、その果ての不条理な破局を通じて 「悲壮美」 を呼び起こす 「劇」 を私は思い浮かべます。シェークスピア の四大悲劇と云われている 「ハムレット」、「オセロ」、「リア王」、「マクベス」 が まさに そういう性質を帯びているでしょう──ちなみに、私は 「オセロ」 が大好きです、そして 「オセロ」 を模した オペラ 「オテロ」(ヴェルディ 作) も大好きです、同じく悲劇的 オペラ の 「トスカ」(プッチーニ 作) も大好きです。オペラ 「オテロ」 「トスカ」 は、私が 30歳代の頃に夢中になって くり返し聴いていました──シェークスピア の 「オセロ」 も読みましたが、オペラ 「オテロ」 のほうが私は悲劇性を まざまざと感じました。

 クラシック 音楽好きな 「文学青年」 の私は悲劇性を好む性質が強い。だから、たとえば、メンデルスゾーン の交響曲第 3番 「スコットランド」 の第 1楽章冒頭の哀愁を帯びた暗い優美な 「悲壮美」 の旋律を聴くと居ても立っても居られない懐かしさを感じます。また、サン・サーンス の交響曲第 3番 ハ短調 「オルガン 付き」 の第 1楽章の旋律も大好きです (この主題は グレゴリオ 聖歌「Dies irae (怒りの日)」から引用されています)、ただし第 2楽章の後半 (世に有名な 「オルガン の フィナーレ」 部) を私は嫌いです── ベートーヴェン の交響曲第 9番にも同じ感を抱いていて、合唱部を私は めったに聴かない。これらの感想は、無論、私の単なる個人的嗜好です──私は、音楽の シロート であって、歴史に名をのこす天才音楽家の音楽について どうこう言える身分ではない。ただ、この好みからわかるように、私は、「歓喜」 よりも 「悲劇/哀愁」 を愛するようです。

 「悲壮美」 を帯びた悲劇というのは、創造された作品のなかでしか味わうことができない。「否定や逃避を好むものは悲劇人たり得ない」、なるほど それは事実かもしれないけれど、世人は悲劇人になることを好んでいる訳ではない、社会生活の気に入るものは悲劇ではない。いっぽう、天才には危うさが漂っている。彼らは精神の崖っぷちまで歩いて行って (もう一歩ふみだせば奈落におちるのに) 落ちそうで落ちない──我々凡人はそれを観るのが愉しい。三島由紀夫氏は [ 彼も天才の一人ですが ] 彼の著作 「小説家の休暇」 のなかで次の文を綴っています──

    音楽愛好家たちが、かうした形のない暗黒に対する作曲家の
    精神の勝利を簡明に信じ、安心してその勝利に身をゆだね、
    喝采してゐる点では、檻のなかの猛獣の演技に拍手を送る
    サーカス の観客とかはりがない。しかしもし檻が破れたら
    どうするのだ。勝つてゐるとみえた精神がもし敗北してゐた
    としたら、どうすのだ。音楽会の客と、サーカス の客との
    相違は、後者が万が一にも檻の破られる危険を考へても
    みないところにある。

 三島由紀夫氏のこの文を読んで直ぐに 私の頭のなかで シューマン の交響曲第 4番の旋律が響きわたった──曲の冒頭の重厚な・明朗な音の響き (確固たる構造性) の内に なにかしら悲哀・悲劇性を感じさせる危うさを私はこの曲を聴くたびに感じます。天才音楽家たちの性質の内にある 「形のない暗黒」 が、作品のなかで 「悲壮美」 として現れたら悲劇性の香りが漂うのでしょうね。だから、我々は彼ら (あるいは、彼らの作品) に惹かれる、たとえ彼らの作品を 技術上 詳細に知らなくても。

 
 (2023年 3月15日)


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