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So I run straight toward the goal in order to win the prize,... (Philippians 3-14)

 



 小林秀雄氏は、「歴史の魂」 の中で次の文を綴っています。

     理想というものは一番 スローガン に堕し易い性質のもの
    です。自分で判断して、自分の理想に燃えることの出来ない
    人は スローガン としての理想が要るが、自分でものを見て
    明確な判断を下せる人には スローガン としての理想などは
    要らない。若しも理想が スローガン に過ぎないのならば、
    理想なんか全然持たない方がいい。

 ことば には ふたつの側面があるでしょう──ひとつは 「語義」(sense) と云われ、もうひとつは 「意味」(meaning) と云われている性質です。そして、「語義」(sense) というのは、ことば と それが指示する モノ との関係のなかで成立する公共性であり、国語辞典などに記述されている ことば の個々の意義です (「意味の対象説」)。「意味」(meaning) は、「語義」 を前提にして綴られた文章すなわち ひとつの まとまった表白 [ 文脈 ] のなかで単語と単語が関係をもつ個性的な子細を帯びるでしょう──同じ単語であっても、それを使う人によって違う意味あいになる (「意味の使用説」)。

 「自分の理想に燃えることの出来ない人は スローガン としての理想が要る」 ということは、理想というものを自分の 「文脈」(生活様式) のなかで記述できない人が スローガン が指示する 「語義」──ことば が単に指示する名指し──を受け身で了引しているということでしょう。現代風にいえば、そんな輩は bot にすぎない。「自分でものを見て明確な判断を下せる人」 は、たとえ スローガン が もし示されたとしても、それを自分の 「文脈」 のなかで検討吟味して、抽象的な スローガン に対して具体的な形を与えて、スローガン が意図しているものが自分の生活に価値をもつものかどうかを判断できるでしょう。

 スローガン は、或る団体・運動の主張を簡潔に表した標語なので、構成員を一致団結するための目的をもつのだけれど、理想に燃えた人たちが スローガン を作っても、その スローガン の 「意味」 を具体化できる人たちは極々少数しか存しない──スローガン に共鳴して集まった人たちの大多数は、その 「意味」 を外して、ただ機械的に それが指示する対象を 「正しい」 と盲信している人たちが大多数を占めている。スローガン の 「意味」 を文脈のなかで具体化できる人たちは、たとえ当初は合意して スローガン を立案したとしても、それぞれの思いのなかで 「意味」 を具体化するという パラドックス が起こる。スローガン の効力は、その意味がわからずに それを盲信している人たちにのみ作用するのが行き着く先でしょう。そして、理想が スローガン と結びついて、スローガン の正しさを盲信している人たちは、正義を実践しているという錯覚に陥る。いかなる思想であれ、みずからの思想を最高と思い込んで他の考えかたを排斥する団体・運動を私は嫌悪するし、そもそも徒党を組むこと自体を私は大嫌いです。その意味において、私は小林秀雄氏と同じ意見です──「若しも理想が スローガン に過ぎないのならば、理想なんか全然持たない方がいい」。

 われわれの生活は つねに複雑である、複雑な その生活を単純明快にするには スローガン を掲げればいい。しかし、スローガン は、必ず或る効果を露骨に謳う、そして必ず誇張がある。われわれの生活は、「事実」 の積み重ねであって、スローガン をもってして単純に整えられるものではない、「事実」 は複雑なのだから。抽象化された スローガン を謳うことは、われわれの それぞれの生活を知ることよりも簡単である。私の生活は、そして あなたの生活も、そんなに単純なものではないでしょう──様々な思いが交錯する生活を送っているのがわれわれの実態ではないか。

 
 (2020年 7月 1日)


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