× 閉じる

This was the real light--the light that comes into the world and shines on all people. (John 1-9)

 



 小林秀雄氏は、「罪と罰」 の中で次の文を綴っています。

     世間を小説風に見ることから始めて、小説を世間風に見る
    事に終る、どうもこれが大多数の小説読者が歩く道らしく思わ
    れる・・・・・・

 おそらく そうなのかもしれない。ただ、そこには厄介な問題が起こる──若い頃 [ 自我がめざめる高校生の頃 ] から小説を読み耽っていると、小説を たくさん読んで 「現実」 (世間) を わかったつもりの爺 (じじ) むさい 「文学青年」 になる危険性が高い。若い頃から文学好きの人は、その読書範囲を次第に広げていき、小説のほかにも、哲学とか心理学とかの書物を たくさん読んで、「人生の本質」 や 「人間の本質」 などという物事の 「真理?」 を掴んだ錯覚に陥って、書物を読まない人たちを俗な 「下衆」 として見下す傾向がある (私が まさにそうでした)。そういう 「文学青年」 が世間に出て (たとえば、企業に就職して) 現実を観て、自らの考えかたを検証して修整していけば まだ救いもあるけれど、たいがいは自らの考えかたが 「真理?」 であって世間の俗人たちは その 「真理?」 をわからない [ わかろうともしない ] ままに迷乱迷妄し くだらない生活を送っていると思い込んでしまっている。そういう 「文学青年」 など いなして相手にしないのが一番いいのだけれど、自らを こじらせた 「文学青年」 は、軽くあしらわれたら あしらわれたで己れのまわりの俗人たちに理解されないと勝手に思い込む。

 「世界から退避するには、芸術によるのがいちばん確実だが、世界と結びつくのにも、芸術によるのがいちばん確実である」 と ゲーテ が言ったけれど (「親和力」)、「文学青年」 というのは、「世界と結びつくのにも、芸術によるのがいちばん確実である」 と思っているが、その実 「世界から退避するには、芸術によるのがいちばん確実だ」 ということを地で行った輩でしょう。ゲーテ の この ことば がわかるには、生活 [ 体験 ] を一通り送ってきた 40歳代になって初めてわかることではないか──すなわち、20歳代半ばから 30歳代までに仕事の技術を習得して経験を積んで、40歳代になって その技術・経験を振り返って初めて省察できることではないか。

 しかし、40歳代になって、「世間」 とか 「社会」 という眼に見えない観念風景──眼に見えないけれど、確実に存在している事象──を眺めるには、そのための技術を習得していなければならない。そのためには、若い頃から たくさん読書するのが確実である、という パラドックス が歴然として存 (あ) る。パラドックス としてしか語ることができないということこそが人生の妙理であるように私には思われる。だから、若い人 (「文学青年」) が、いわゆる 「大人」 たちから 「世間を知らない青二才」 とか 「若い」 などと嘲られたときに、怒りをふくんで (文学書から切り取ってきた) 天才たちの ことば を述べ立て 「大人」 に対して反論しているのを私は軽んじはしない。その 「文学青年」 が天才たちの ことば を ほんとうに咀嚼できるかどうかは、彼らが壮年になるのを待たなければならない。自らが成熟していくのを じっくりと・冷静に・正確に観ることが人生を送る一番の愉しみではないか。

 
 (2021年 4月15日)


  × 閉じる