思想の花びら 2019年11月15日


 ●  アラン (哲学者) のことば

  証明は人間の業である。宇宙は少なくともあるがままのものだ。よろしい。だが宇宙はあるがままの姿では現われぬ。目をあけて見るがよい、はいってくるものは誤りに満ち満ちた世界である。あらゆる物が立直しを望んでいる。経験は粗大な間違いを不手ぎわに正すだけだ。(略) ある文学者が、星の流れが東から西へと回転すると聞いて驚き、「回っていたのなら、そうとわかっているはずだが」 と言った。しかし、星が回るのが見える見えないがたいしたことか。惑星の運動はもっと見えない。僕等の情熱や思い出や夢が、この天空の画面をもっと混乱させている。誤りの多様を考え、信仰の雑多を考えれば、誤りとはいやむしろ思想の混乱、不統一、動揺とは、僕らの自然的状態だと充分なっとくできるだろう。この無秩序からのがれるには、ある命令にたよるほかはない。命令はまず拒絶であり懐疑であり期待である。「そのままでは互いに前後の関係もない事物のうちにさえ秩序を仮定して」 とは デカルト の言葉だ。

 



 ●  亀井勝一郎 (批評家) のことば

  教会にもぞくせず、受洗もせず、しかも聖書を自分なりに愛読してきたことは、「文学的」 にゆるされるかもれしないが、それだけ大きな危険を伴ふ。危険や不安を弄ぶにこれほど都合のよいものはないからだ。(略) 更に一歩まちがふと聖書は恰好な文学的 アクセサリー になるだらう。

 


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