思想の花びら 2022年 7月 1日


 ●  アラン (哲学者) のことば

  慈愛とは正義の予感にほかならぬ。完全は正義とは、正義の紀律と基礎とを仮定するにある、つまりすべての人々に自分と同様な見識を備えてほしいと望むところにある。むとんじゃくな男だとか、なんでも信じられるやつだとか、いつも満足しきった人だとか、と他人を苦もなく考えるのは正しくないことはだれでも承知している。正義はまず設けられ、次に仮定され、しまいに是認された平等である。やさしさにも阿諛にも、虚偽の威厳にも、あるいはこれも一つの職務といった態の入念に仕上げられた狂気ざたにもつまずかず、警察官の傲然たる判決のまえでも、みじめな罪人のまえでも、これらを高い平等の観念のもとにながめるのをよしとするあのまなざし、人々の信ずるよりはるかに尋常一般なあのまなざしを知った人が、裁く人とはなにを意味するかを知っている。

 



 ●  亀井勝一郎 (批評家) のことば

  (略) 云わば生の無限定の状態である。そういう意味での楽天主義である。自由を失うことは 「思い煩う」 ことだ。執着が人間を限定し、人間を束縛する。(略) こうした自由の境に達することは人間として至難のことである。不可能と云ってもよかろう。(略) 果して執着を断ち切れるものかどうか。(略) 同時に凡人としての自己のむざんな執着が一層実感されてくる。不可能なことを敢えてすすめているようにみえる。キリスト の ポエジー だ。同感しつつ、実行不可能の前にたじろぐのである。

 


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