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No gaining, cold gaming.

 

 本居宣長は、「玉勝間」 のなかで、「漢籍の説と皇国の古伝説とのたとへ」 という以下の文を綴っています。(参考)

     漢籍の説は、眼前に近い山を見るようなものであり、わが
    国の上代の伝説は、十里・二十里もかさなった遠い山を見る
    ようなものである。

     漢籍の説は、人情に合って、みなもっともだと思われること
    である。わが国の上代・神代などの故事は、何の味もなく、
    ただ考えが浅いようにきこえるのは、凡人の考える理知の
    限界からは遙かに離れているために、その道理がわからず、
    ただ考えが浅いようにきこえるのである。これは たとえに
    引いた遠い山がただほんのりと山と見えるだけで、その景色
    も何も見えず、見どころがないようなものである。それは景色
    がないのではなく、人の視力にとどかないためである。また
    漢籍が道理ふかくもっともに聞こえるのは人間が説いた説で
    あって、人情に近いのである。これは例の近い山は、景色が
    よく見わけがついて、おもしろい見どころがあるようなもので
    ある。

 宣長は、上の引用文で、「漢籍の説」 と 「皇国の古伝説」 を比較していますが、私 (佐藤正美) は、その比較には全然興味がない。ただ、「漢籍の説」 と 「皇国の古伝説」 を変数 (x と y) にしてしまえば、宣長が述べた説は、他の対象にも適用できる意見だと思います──たとえば、x (すなわち、「漢籍の説」 に代わる変数) として 「ミーハー 本」 を代入して、y (すなわち、「皇国の古伝説」に代わる変数) として 「本物の説 (書物)」 を代入してみればいいでしょう。ただし、私は 「ミーハー 本」 を軽蔑にしていますが、そういう類 (たぐい) の書物が無意味であると思っていないことを注記しておきます。
 そして、以下の文を私は本 ホームページ で幾度か引用してきました。

      そんなことは みんな どうでもよいことであった。
      ただ 巨大なものが 徐かに 傾いているだけであった。

                                  (伊東静雄)

 この状態を感じる (見通す) には、そうとうな 「眼力」──そうとうな感性・知性──がないと無理でしょうね。言い換えれば、読み手・聴き手のほうにも、そうとうな鑑識眼 (審美眼) がなければならない、ということ。他人 (ひと) の説を借用した概念でいっぱいになった頭では、本物を判断できないでしょう。私に そういう鑑識眼があると豪語するつもりはないけれど、私は、少なくとも、そういう鑑識眼を養うようにしてきたつもりです。

 ほんとうに訴えたいこと──すなわち、「どうしても、これを書きたい (言いたい)」 こと──があるときに、「面白可笑しく」 伝えようとすれば、「訴えたい」 という せっぱ詰まった気持ちが損なわれてしまうでしょう。「面白可笑しく」 しようとして、自説を歪めたりしてはいけない、という当然のことを外さなければ宜しい。島崎藤村 (小説家) は、以下の名言を綴っています (「浅草だより」)。

     面白く思って筆を執るといふことは、時とすると、言ひ現は
    そうとすることを妨げる。真に言はんと欲して胸を突いて起き
    上って来ることは、唯面白いといふやうなものでは無いと思ふ。
    人を面白がらせること、自分で面白がること、どちらにしても、
    邪魔になりがちなものだ。

 かれの言は、私が著作を執筆するときにも心得えにしてきたのですが、正直に言えば、執筆中に、幾度も 「面白可笑しく」 しようと──あるいは、向こう面で鋭い悪口を言おうと──したことを白状しておきます。特に、「黒本 (『T字形 ER データベース 設計技法』)」 以前の著作は──「黒本」 をふくめて──、そういう臭気が充満していて読むに耐えない (苦笑)。「人を面白がらせること、自分で面白がること、どちらにしても、邪魔になりがちなものだ」。

 「面白可笑しく」 書く (あるいは、しゃべる) ことは、よくよく考えてみれば、読み手 (あるいは、聴き手) への侮辱になるのではないかしら。あるいは、少なくとも、そういう類の文を面白がる読者しか惹きつけられないのではないかしら。無論、ことさら、難しく書くことなど言語道断ですが、本物は難しいに決まっている──なぜなら、本物は、従来の視点・論法とは違う視点・論法を導入しているのだから。そういう視点・論法を感知できる ちから を持っていたいと私は思っています。

 
(参考) 「本居宣長集」 (日本の思想 15)、吉川幸次郎 編集、筑摩書房、大久保 正 訳。

 
 (2010年 7月23日)

 

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