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The best effect of fine person is felt after we have left their presence. (Emerson)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Influence の中で、次の文が私を惹きました。

    We have met too late. You are too old for
    me to have any effect on you.

    James Joyce (1882-1941) Irish novelist.
    On meeting W. B. Yeats
    James Joyce (R. Ellmann)

 
    So you're the little woman who wrote the
    book that made this great war!

    Abraham Lincoln (1809-65) US statesman.
    Said on meeting Harriet Beecher Stowe, the author of Uncle
    Tom's Cabin (1852), which stimulated opposition to slavery
    before the US Civil War
    Abraham Lincoln: The War Years (Carl Sandburg), Vol. U, Ch. 39

 
 引用文の1番目の意味は、「私たちが出会うのは遅すぎた。あなたは年老いたので、私があなたに いかなる影響も与えることはない」ということかな。 Joyce 氏と Yeats 氏との会談についての記録が遺されていますが、二人の年齢は 17歳ほどしか違わないので、Yeats 氏が too old という訳でもないでしょう。この文だけを読めば、Joyce 氏の発言は傲慢の誹りは免れないでしょうね。

 我々は社会のなかで様々な関係を通して色々な影響をうけている──社会制度や対人関係 (書物もふくむ) から影響をうけている。たいがいの人たちには、自らの人生を振り返って、人生の転換点となるような影響をうけた人物が数人いるのではないかしら。勿論、私にも この人たちがいなかったら私の人生は いったい どうなっていただろうかと思い起こす人たちは十指に余る。社会適応性の乏しい私が人生を漂流することなく歩んで来ることができたのは この人たちの親切に負う所が大きい。そして、その人たちとの出会いは偶然だった。偶然の巡りあわせ (邂逅) が その後の人生に大きな影響を与えるから、人生は予測不能で面白いのでしょうね。

 私も かつて(40歳代の後半) 面と向かって 「(あなたの考えかた・やりかたは)もう古い」 と言われたことがあります、そう言った人は 30歳代の人 (オブジェクト 指向を 「盲信」 する プログラマ) でした。そう言われて私は腹が立った訳でもないし、私が そう言われるほどに他人に影響力があるとは思ってもいない。その若者は、たぶん 私を リレーショナル・データベース の代弁者のように思い込んで、オブジェクト 指向に比べて リレーショナル・データベース の技術は古くて学ぶことがないと豪語したのでしょう。確かに私は リレーショナル・データベース を日本に導入普及する仕事をしましたが、リレーショナル・データベース だけに従事していた訳でもない。そして、リレーショナル・データベース の技術も オブジェクト指向の技術も 1970年代からの古い技術です。リレーショナル・データベース の技術が古く オブジェクト指向の技術が (それに比べて) 新しく見えるのは、マーケット での話題として データベース のほうが先に (1980年代に) 取り沙汰されたからです [ ただし、当時の通信技術は APAR だった ]、そして オブジェクト指向の技術は Internet と WWW が普及するにつれて [ それ以前は ミドルウェア に使われていたのですが ] 1990年代中頃に一躍 フロントエンド に出て注目を浴びるようになった。

 私は今でも コッド 関係 モデル を信奉していますが、コッド 氏よりも後の世代として当然ながら (コッド 氏の考えかたを基底に置きつつ) コッド 氏が 遣り残した (やらなかった?) 領域を研究しています。コッド 氏の コンピュータ 領域での貢献は データ 設計を 「科学」 にした点ですが、モデル であるからには 「分析 (事業構造の分析)」 も当然ながら 「科学」 として扱うはずの対象です。そして、私は 40歳の時から 「分析」 の やりかた として モデル 技術を定立することに注力してきました──その狙いは 「経済的実態を そのまま コンピュータ に実装する」 ということ、「そのまま」 というのは大げさな言いかたであって、正確には 「形式的 (論理的) 構造に変換して」 ということ。「形式的構造に変換して」 という意味は、セット (集合) と関数を使うということです──セット (集合) というのは モノ を 「集める」 技術であり、関数というのは モノ (あるいは、モノ の集合) を 「並べる」 技術です。モデル TM では、この セット 概念は ほぼ コッド 関係 モデル の直積集合に準拠していますが、私が狙ったのは 事業構造を写像する 「関数」 を示すことでした。つまり、私の最大の目的は、事業構造を明らかにするために モノ (事態、事物) のあいだに成り立つ 「関係 (関数)」 文法を探究することでした。その 「関係」 文法の体系が モデル TM です。

 私の この探究が 「古い」 とは私は 毛頭 思っていない。我々 システム・エンジニア の仕事は 「事業を プログラミング する」 ことです。そのために、管理過程のなかで使われている 「情報」(記号列) を元にして事業過程の構造を再現するという モデル 技術は立派な 「科学」 だと私は思っています──構文論が先で意味論は後 (あと) というのが 「科学」 として成立する大前提でしょう。モデル について これ以上 述べることは止めにしますが、我々は前の時代の学問的成果を前提にして それを更に進めるように工夫している──「或る学問の歴史は、その学問そのものを表わす。或る人の歴史は、その人そのものを表わす」(ゲーテ、「鉱物学と地質学」)。

 「反文芸的断章」(2020年 2月 1日) のなかで小林秀雄氏の次の文を引用しました──「ただ単に現代に生まれたという理由で、誰も彼もが、殆 (ほとん) ど意味のない優越感を抱いて、過去を見はるかしております」(「歴史と文学」)。私のことを 「古い」 と言った若者も そういうふうに見はるかしていたのかもしれない。そういう輩は、1980年代に 30歳代の システム・エンジニア であれば、きっと リレーショナル・データベース を 「盲信」 していたでしょう。そして、逆に、私が 1990年代に 30歳代の システム・エンジニア であれば、疑いもなく オブジェクト 指向の技術を学んでいたでしょう。

 影響力というのは個人の力で賄えるものではない──様々な条件 (たとえば、自我 [ 肉体・精神 ] の構成条件や環境条件など) が絡みあった状態にあって我々は世間に己れを現している [ 晒している? ]。他人の生活に 100% の影響を与える形態というのは育児でしょう──親が その庇護下に幼児を置いている形態でしょう。しかし、幼児も いずれ 青年期を迎えて自我に目覚める。その自我に目覚めることにも友人関係や読書などが影響している。さらに、対人関係を考慮外にしたとしても、我々は前時代の制度・思想から影響を多大にうけて大人として成熟していく。過去は現代に影響を及ぼすが、その逆は有り得ない──歴史は つねに不可逆的で断絶はない、前時代の影響を免れている人など誰一人いない。我々は、前時代を否応でも前提にしている。その前提のうえで、前時代の制度・思想に反対する人は それらに対抗する制度・思想を計るし、前時代の制度・思想に対して賛同する人たちは それらを工夫して拡張することを図るでしょう。引用文は いずれも そういう着意で発せられた文でしょうね。そういう意識をもっていない・録でもない ヤツ は、「ただ単に現代に生まれたという理由で、誰も彼もが、殆 (ほとん) ど意味のない優越感を抱いて、過去を見はるかして」 いる。

 有名になって多数の人たちに影響を及ぼす人物になりたいという野望を若い人たちが持つことは良い、私は それを否定しないし私自身が若い頃には有名になりたいという功名心を抱いていたこともあったけれど、はたして 40歳をすぎた人が そのような野望を抱いているのは滑稽と誹られてもいたしかたないのではないか。40歳をすぎれば、仕事では それなりに実績を積んできて、己れのできること (才識) が どの程度のものであるかを ほぼ推測できるでしょう──そして、実績を多く積んできて その歳になれば、有名になりたいと思っていた人は すでに有名になっているでしょう (30歳代のときに人々のあいだで話題になっていなければ、40歳をすぎて有名になることは たぶん 難しいでしょうね)。30歳代のときに野心は強いが人々を唸らせるほどの実績をのこさなかったら、人々に影響を与えるほどの有名人にはなれないと判断したほうがいい。大器晩成と云うような人物はいるにはいるけれど、それは極めて少数の例外だと思ったほうがいい。最近 読んだ ジョーク 集のなかに、Reflection on Life と題する ジョーク が 複数 綴られていて、その ジョーク のなかでも次の一文が私の笑いを誘いました──

  I've always wanted to be somebody, but I should have been more specific.

  [ 訳 ] 私は いつも ひとかどの人物になりたいと思っていた。
     しかし、どのような人物になるか具体的に考えてはいなかった。

 そのような野望を妄想というのではないか。

 
 (2020年 2月15日)

 

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