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We pay / a high price for being intelligent. Wisdom hurts. (Electra)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Intelligence の中で、次の文が私を惹きました。

    A really intelligent man feels what other men
    only know.

    Baron de Montesquieu (1689-1755) French writer.
    Essai sur les causes qui peuvent affecter les esprits et les
    caracteres

 
    The more intelligence one has the more
    people one finds original. Commonplace
    people see no difference between men.

    Blaise Pascal (1623-62) French philosopher and
    mathematician.
    Pensees, T

 
    The height of cleverness is to be able to
    conceal it.

    Duc de la Rochefoucauld (1613-80) French writer.
    Maximes, 245

 
 引用した三つの文は、期せずして 同じ国の ほぼ同じ時期に生きた人物たちが綴った文です──それらの人物は モンテスキュー、パスカル そして ロシュフーコ です、世の中について思索をめぐらした そうそうたる人物ですね。私は世界史に疎いので、当時の フランス が どういう社会であったのかをわからないのですが、思想史の歴史に名を刻んだ人物を輩出した時代であったというのは興味深いです。

 引用文の一番目 (モンテスキュー の ことば) の意味は、「ほんとうに聡明な人というのは、他の人たちが単に知っているだけの [ 知識として獲得しているだけの ] ことを体感している [ 実地に感触 (体験) している ] ものである」 ということ。

 引用文の二番目 (パスカル の ことば) の意味は、「人は知能 (intelligence = thinking power) を得れば得るほど、人真似 (copied) ではなくて独創的なものを見出す。だが、普通の人々には、聡明な人と そうでない人の違いがわからない」。

 引用文の三番目 (ロシュフーコ の ことば) の意味は、「賢明さの極みは、賢明さを隠すことができることである」。

 前回 intellectual について述べて、今回は intelligence (intelligent の名詞形) です。この ふたつの単語は似ていますが、意味が違います──ふたつの単語が似た綴り形でも、それぞれの単語として成立しているのだから、それらの意味が違うのは当然と言えば当然なのですが。Intellectual の語義は 「ものごとに対して理詰めの態度をとることで、判断を脳の部分に頼り、体験や感情を度外視することである」 (最所 フミ、「英語類義語活用辞典」 研究社出版)。同書では、次の例をあげています── He had a tremendous intellectual sympathy for the poor and the oppressed。 いっぽう、intelligent の語義は、「感情でなく理性を使って、すばやく物事を理解して行動する能力で、人間が動物にまさっているのは実にこの能力にあるとされている。これは知識や教育とは関係なく、原始的な知恵のことである」 (最所 フミ、同書)。同書では次の例をあげています── The child is quite intelligent. He knows when to cry to get milk。つまり、intellectual は行動を度外視するが、intelligent は行動を導く、ということ。そうであれば、引用文の一番目・二番目の意味が すんなりと わかる。

 「Don't talk it, take it」──私の好きな フレーズ (phrase) です、本 ホームページ でも いくどか この フレーズ を引きあいに出しています。この フレーズ は、映画 「旅情 (Summertime)」 のなかに出てくる セリフ です──ベネチア に旅した女性を好きになった地元の男が その女性を口説くときに言った ことば です。この ことば は、恋愛の口説き文句ということを度外視して、色んな場面で使うことができるので、私の pet phrase です。他人を批判ばかりしている ヤツ や、与えられた仕事について ああだこうだと言って腰をあげない ヤツ に対して、私は心のうちで いつも言っている ことば です──「心のうちで」 という意味は、そういう ヤツ らには直接に言わないということ。30歳代にもなれば、社会のなかで或る程度の体験を積んできているし、成すべきことを為すことが 「労働」 であるということぐらいわかっているはずだから、「ごちゃごちゃ言っていないで、やってみなさい」 ということを他人から言われるようでは情けない。しかし、知識だけが豊富で (厄介なことに推論の力も立派にもかかわらず) なんにも成果を実現しない ヤツ らというのは 多々 目にする、いわゆる 「批評家気取り」 な連中です。古人曰く、「知つて行はざるは知らざるに同じ」 と (貝原益軒、「慎思録」)。

 引用文の三番目、日本流に言えば 「至賢は大愚に通ず」 ということかな。私が信奉する禅では、「底の抜けた柄杓 (ひしゃく)」 という言いかたがありますが、まさに それでしょうね。ロシュフーコ の言い回し (言いかた) は、皮肉っぽさを いつも感じるので、彼が慧眼の士であることは確かだけれど、私は どうも好きにはなれない。

 
 (2020年 7月15日)

 

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