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...they think of more ways to do evil;... (The New Testament, Romans 1-30)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Intrigue の中で、次の文が私を惹きました。

    Everybody was up to something, especially,
    of course, those who were up to nothing.

    Noel Coward (1899-1973) British dramatist.
    Future Indefinite

 
 Intrigue の語義は、(1) arouse the curiosity or interest of. (2) plot something illegal or harmful. (Pocket Oxford Dictionary )。

 この引用文の意味は、「すべての人が何かを企 (たくら) んでいた、とりわけ、当然ながら、何も企んでいなかった人たちが」 ということかな。この引用文は、Future Indefinite という作品の中から抜き出された文で、しかも 抽象的な内容 [ 前後の文脈から離れて具体性を欠いている文 ] なので、作品の中で与えられている意味を捉えることはできないけれど、自由な様々な想像を巡らすことができますね。

 この文から誘発された私の想像は、「集合」 としての大衆 (those who were up to nothing) と その 「構成員」 としての個々人 (Everybody was up to something) という概念です──すなわち、「集合」 としての性質と 「構成員」 としての性質です、「全体と個」 と云ってもいいでしょう。「全体と個」 という観念を起点にして 「群衆心理」 が私の頭に浮かびました──人が多く集まって群衆になれば [ 個々人は それほど愚かではないにもかかわらず ]、まったく異なる心理状態 (衆愚という状態) になって愚昧な行為に走ることが多い。勿論、人それぞれに想像するものは違う、「組織」(社会・会社などの組織と個人との関係) ということを思い描いた人もいるでしょうし、「(論理の) 虚偽」 (fallacy、「合成の虚偽」 とか 「解体の虚偽」) を想像する人もいるでしょう。私は、「群衆心理」 を想像したというだけのことです。

 「群衆」 については、古来、哲学者や心理学者や社会学者が調査・研究してきているので、或る程度の通説はあるのでしょう──私は、哲学・心理学・社会学の専門家ではないので、それらの通説については全然知らないのですが、それらの通説が精神科学・精神医学の分野で成果を上げつつも、こと 「内因性 (あるいは、心因性)」(身体的原因を定めることができない現象) については定説を規定することが難しいのでしょうね。そういう領域では、独りであるときが精神的に いちばん強い──正確に云えば、精神的に いちばん強い人は、「ただ独りで立つ」 人でしょう。前回の 「反文芸的断章」 では 「徒然草」 について述べましたが、兼好法師 曰く──

    つれづれわぶる人は、いかなる心ならむ。まぎるる方なく
    ただ一人あるのみこそよかれ。

 兼好法師は、悩みを悩みのまま凝視できる──安直な ソリューション [ その辺に落ちている公式・法則 ] を無明に取り入れない──強い精神 (知・情・意) をもっていたのでしょう。私のような凡人は、もともと、生活の艱難を避けて安逸にしたいと直ぐに考える。それならば、群衆の内に常に とどまって、そして群衆といっしょになって自分を忘れればいい。しかし、私は、それもよしとしない。群れるのは嫌だ、それならば、「まぎるる方なく ただ一人あるのみこそよかれ」──私は、30歳代半ばから、自分の生活を そういうふうにしたいと努めてきたし、少しずつ成功してきたと思う。何も考えていないような ニート 状態の 「引きこもりの下流老人」 (私) でも、それなりに考えていますwww ただし、それなりの対価 (犠牲) を払って、、、。

 
 (2020年 8月 1日)

 

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