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No one is more profoundly sad than he who laughs too much. (Jean Paul Richter)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Laughter の中で、次の文が私を惹きました。

    I make myself laugh at everything, so that
    I do not weep.

    Beaumarchais (1732-99) French dramatist.
    Le Barbier de Seville, T;2

 
    The most wasted of all day is that on which
    one has not laughted.

    Nicolas Chamfort (1741-94) French writer.
    Maximes et pensees

 
    One must laugh before one is happy, or one
    may die without ever laughing at all.

    Jean de La Bruyere (1645-96) French satirist.
    Les Caracteres

 
 「笑い」 については、「反 コンピュータ 的断章」 のなかで扱った Humour について かつて触れているので読み返してみてください

 さて、今回の引用文 三つは、「笑い」 の効力について述べています──引用文一番目の意味は 「私は すべてに対して笑うようにしている、だから私は泣かない」、二番目は 「一日中 無駄にすごした日は、笑わない日である」、そして三番目は 「幸せを感じる前に われわれは笑わなければならない、そうしなければ まったく笑うことを忘れて われわれは人生を閉じることになるかもしれない」。

 「笑い」 については、ギリシア 時代から哲学者 (プラトン、アリストテレス) が考察してきて、近代・現代の哲学者 (ニーチェ、カント、ベルクソン) に至るまで その考察は続けられてきたし、私のような程度の凡人も (「笑い」 を ひとつの哲学的 テーマ として考えることはしないけれど) 折につけて 「笑い」 について思い考えてきました。アリストテレス は 「動物の中で笑うものは人だけ」 だと言ったそうですが、チンパンジー が笑っている動画を私は観たことがあるので、少なくとも類人猿は笑うのではないかしら。ただし、チンパンジー が笑うのは、人間の笑いと「意味」 がちがうでしょうね──人間が笑うのは、笑う対象について、社会的 「意味」 を考えている (言い替えれば、生活様式を前提にして、対象の 「意味」 を 「解釈」 している) からでしょう、だから チンパンジー と人間では笑うとしても、「笑い」 の性質がちがう。人間のその性質について プラトン や ニーチェ は、嫉妬心・優越感から生じると考えたようです。そして、カント は身体的反応 (身体運動) を加味して 「笑い」 を考えています (アラン の考えかたも この考えかたに近い)。もし 「笑い」 というものが人間の特性であれば、笑わないというのは人間として大切な一面を欠落 [ 喪失 ] しているのではないか。

 哲学者たちのような深遠な考察をしないでも、私のような凡人は卑近な例について考えることで充分です──そして私の考えかたに近いのが引用文の三つです。一日の生活を終えて笑わなかった日があれば、私は その日を (the most wasted だとは思わないけれど) つまらない日だったと思う。そして、私は幸せであるなどという抽象的な・相対的なことを思う前に私は一日一回笑う (あるいは、微笑む) ことを心掛けています──正確に言えば、一日一回 笑い、そして ときどき泣く (涙を流す)、ということを心掛けています。そうするための材料は WWW や SNS に たくさん アップロード されているので事欠かない。私は かつて 読んだ ユーモア のなかから選んで、Facebook 上に 一日一回 英文の ユーモア を アップロード しています。そして、笑うだけでは だめなんでしょうね、涙を流すことも覚えなければ──人情の機微に触れて涙を流すことも人間の特性なのかもしれない。引用文の一番目は 「笑うようにしている、だから私は泣かない」 と云っているけれど、泣くことも人間の たいせつな特性ではないか。笑いも涙も長続きはしない。いっとき それらを体験すれば、もうその状態は消え去るけれど、きっと、心のどこかに その痕跡はのこっていると思う、そして それらの累積が われわれの性質を形成するのではないか。

 笑いと涙がいっしょになった状態というのは、たぶん、われわれの最高の状態ではないかしら──そういえば、喜劇と悲劇は オモテ・ウラ の関係にあるように思う。私は、自分自身を笑い飛ばすように心掛けています、自分 (の失態) を笑う、そうすれば (他人に対する) 嫉妬心・優越感から生じるような卑しい笑いにはならないでしょう。そして、何を笑うかによって、その人の人柄がわかる。真面目ではあるけれど抽象的なことを述べてばかりいて笑いを忘れた貧相な骨皮筋右衛門 (石部金吉金兜) に私はなりたくない。おおいに笑い ときどき泣く生活を送って、私は瑞々 (みずみず) しい・生々しい性質でいたい。

 
 (2021年 2月 1日)

 

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