× 閉じる

I seldom...go into a natural history museum without feeling as if I were attending a funeral.
(John Burrouchs)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Museums の中で、次の文が私を惹きました。

    There is in the British Museum an enaormous
    mind. Consider that Plato is there cheek by
    jowl with Aristotle; and Shakespeare with
    Marlowe. This great mind is hoarded beyond
    the power of any single mind to possess it.

    Virginia Woolf (1882-1941) British novelist.
    Jacob's Room, Ch. 9

 
 引用文の大意は、過去/現代のすぐれた知性が遺した作品を個人が所有に比べて、博物館というのはそういう立派な作品を膨大に蓄えている巨大な知性であるということですね。

 博物館というのは、古今東西の考古学的資料や美術品などを蒐集・保管して、それらを組織的に──主に時間軸 (時系列) に──陳列して公衆に展覧する施設ですが、私は博物館を訪れたことがない。博物館を訪れたことのない私でも、個々の展覧会を訪れたことは幾度かある。博物館のような巨大な施設を数時間に及んで閲覧するほどに私は気長な性質でないのでしょうね、せいぜい 3時間ほどの観覧が私の集中力の限界です (苦笑)。博物館を訪れない私は、いっぽうで、百科事典を読むのが 若い頃 好きだったし、嬉遊笑覧・守貞謾稿・和漢三才図会などの古い百科事典的書物を蒐集してきました。百科事典に記述されている説明は、博物館に陳列されている実物についての 「意味」 の映写──歴史の流れのなかで作品がもつ座標 (位置づけ) の映写──なのでしょうね。

 博物館を私は実際に訪れたことがないのですが、ルーブル 美術館や大英博物館や スミソニアン 博物館を ウェブ で閲覧してみれば、人類の過去の叡知を陳列していて、時代ごとの特徴や時代の流れのなかでの物品・作品の移り変わり知ることができる──実物のもつ訴求力は書物では感知できない。以前にも綴ったのですが、私が京都の寺院を訪れて仏像を観ていたとき、観光 ツアー 団体が仏像そのものを観ないで、仏像を解説した パンフレット ばかりを読んでいた光景に遭遇したことがあったけれど、「パンフレット を閉じて、どうか、本物の仏像を観てください」 と思ったことがある。小林秀雄氏の言うように、「思想の混乱ということがいわれているが、もっと恐ろしいことは、視覚や聴覚の混乱である」。そういう混乱は、単純に言えば、己れの体感を軽視して、作品を分かったようなことを云うけれど、他人の ことば を借りて復唱しているだけでしょう。 ウィトゲンシュタイン は、次のように言っています──「考えるな、観よ」。事前知識のないまま実物を観ても、時に感動を得られることもあるけれど、感応するのは なかなか 難しい。しかし、そういう体験を くり返して、審美眼が次第に養われていくのではないか。そのような長い (持続的な) 体験をしないで、短時間に手っ取り早く分かったつもりになるには博物館は悪用できるのかもしれない。「私は実物を見たことがある」 と言っても、一体 何を観たのか、、、。

 パンフレット も百科事典も 「通説」 を記述しているけれど、その記述は 所詮 他人の 「解釈」 を免れない。考古学的資料や美術品を研究している学術的専門家であれば、研究対象の 「意味」 を探究するときには、その対象がもつ特徴を歴史的座標のなかで考察しなければならないけれど、私のような庶民にしてみれば、自らの人生のなかで、その作品が私に与える衝撃 (私の心を激しく打つような刺激 [ 意味 ]) を探るほうが有用です──私の生活にとって、その作品は いかなる 「意味」 をもつのか が重大事であって──だから、多くの作品を満遍なく観ることができないので──、それこそが専門家でない人の自由さ (気ままさ) でしょう。そういう態度で博物館や展覧会を訪れたら、個々の作品を観て私の思考・精神が飛び跳ね回って、多くの作品を観て回る気力 (集中力) が続かない。たぶん、私が博物館を訪れない理由の一つが そういうことなのかもしれない。私が かつて ロダン の作品展を訪れて 衝撃をくらった作品は 「バルザック」 像 (習作) です、そのときの衝撃は 今なお鮮明にのこっているほど強烈でした。陳列された多くの作品群のなかから、思いもせず衝撃をくらう作品に出会うのは、生身の人間同士のつきあいのなかで、敬う師・親友に巡り会うように、邂逅と言っていいでしょうね。それこそが実物を観る醍醐味でしょうね。

 
 (2023年 8月15日)

 

  × 閉じる