このウインドウを閉じる

...do not believe all who claim to have the Spirit,... (1 John 4-1)

 



 小林秀雄氏は、「文学界の混乱」 の中で以下の文を綴っています。

     わが国の文学界で批評が今日のように重要な位置を占め
    た事はかつてなかったようだ。また批評が、今日のように
    混乱した事もかつてなかったであろう。だが一方こういう事
    が言える、なるほど鳥瞰すれば、混乱しているようにみえる、
    が、近づいて仔細にみれば、しみったれた秩序しか見えや
    せぬと? 批評原理の喪失だと? お願いだから一っぺん
    でもいいからほんとうに喪失して見せてくれ。

     批評の混乱期に際して、批評家のうち誰が批評する困難を
    自覚しているか。批評界は混乱している。しかも批評する事
    は依然として容易である。そういう珍状に僕は注意したいの
    だ。批評原理の喪失などという危機は来ていやしない。様々
    な借りものの批評原理を持った様々な批評家が争っている
    だけである。争いを眺めれば結構混乱ともみえよう。無秩序
    ともみえよう。しかし争う各人の精神に混乱があるか。無秩
    序があるか。

 「批評原理の喪失」 が 「幽霊」 (の一つ) である ことを小林秀雄氏は明らかにしています。批評活動に於いて 「概念」 を玩んで、かえって批評の混乱を生んでいる、と。そして、その混乱を生じせしめた 「精神」 は、依然として、批評を止めない──「批評家のうち誰が批評する困難を自覚しているか」、白々しい 「概念」 が虚構されて増殖しているにすぎないと。「何んというお芝居でしょう。何んと沢山な役者がこんがらかっていて、みんな何んという顔だろう。人間なんぞは一人もいない、ええ、妾 (わたし) は、逃げます、妾に役は振られてはいません、二度と帰ろうとは思いません。幽霊ばかりが動いている、何んの心残りがあるものか」 (「おふえりあ遺文」)。
 「文学界の混乱」 「おふえりあ遺文」 の中で述べられている彼の思いを、私はじぶんの仕事の中で実感していますが、私の思いは Twitter (satou_masami) で綴ったので、ここでは割愛します。

 この幽霊は、「科学的」 という衣裳 (錯覚) を纏って跋扈するので、幽霊を幻想し吹聴している人たちは、その 「概念」 が自分のでっちあげた幽霊とは決して思わない。その 「概念」 を幽霊だと知るには、それを極限まで分析してみれば、「空集合」 であることがわかる──そして、立つべき文脈がない。めいめい持ちの思い込みが幽霊を作る。ギットン 氏 (哲学者) 曰く、

    発想に富んだ豊かな頭脳をもつことは、決して危険なことで
    はない。幻影を神託と思ったり、自分の精神の痙攣を何か
    内面的な直観だと思ったりすることがなければ。

 この直観が、「概念」 を捏造するのかもしれない。そして、小林秀雄氏曰く、「私はただ、最近、文芸批評家諸氏の手で傍若無人に捏造された、『アジ・プロ 的要求』 だとか、『唯物弁証法的視野』 だとか、『文壇的 ヘゲモニイ』 だとか、等々の新述語の怪物的堆積を眺めて、茫然として不機嫌になっているばかりだ」 と (「アシル と亀の子 T」)。
 ちなみに、私が仕事をしている界隈でも、こういうふうな幽霊はわんさと出没しています。

 
 (2011年11月 1日)


  このウインドウを閉じる