anti-daily-life-20210501
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And now he can help those who are tempted, because he himself was tempted and suffered.
(Hebrew 2-18)

 



 小林秀雄氏は、「『罪と罰』 についてU」 の中で次の文を綴っています。

     僕には、原作の不安な途轍もない姿は、さながら作者の独創
    力の全緊張の象徴と見える。矛盾を意に介さぬ精神能力の極度
    の行使、精神の両極間の運動の途轍もない振幅を領する為に
    要した彼の不断の努力、それがどれほどのものであったかを僕
    は想う。彼を知る難しさは、とどのつまり、己れを知る易しさを
    全く放棄して了う事に帰するのであるまいか。(略) 僕は背後
    から押され、目当てもつかず歩き出す。眼の前には白い原稿
    用紙があり、僕を或る未知なものに関する冒険に誘う。そして、
    これは僕自身を実験してみる事以外の事であろうか。

 小林秀雄氏のこの文を読んだとき、私が感じたことは、さすがは小林秀雄氏だという賛嘆と その賛嘆にちょっぴり混じった嫉妬でした。この文は、たとえば私が有島武郎氏の作品を読むときに感じていた私の言うに言われぬ気持ちを代弁し明らかにしてくれています──たぶん、読書子が小説 (あるいは、哲学書・思想書) を読んで魅惑されたときに感じる気持ちをずばり言い表しているのではないかしら。そして、私がその気持ちを文として綴ろうと思ってペンをとったとしても、小林秀雄氏の文ほどの的確な描出はできないでしょう、彼の視点・表現力 (文体) は彼を第一級の批評家としている所以 (ゆえん) でしょう──読書子であれば、さながら だれでも感じるであろうことを、でも その感じを うまく表すことができないまま もだえ苦しんでいることを、的確に表す小林秀雄氏の才には ただただ感嘆するしかない、ちなみに小林秀雄氏が 「『罪と罰』 についてU」 を書いたときの年齢は 46歳でした。

 「原作の不安な途轍もない姿は、さながら作者の独創力の全緊張の象徴と見える。矛盾を意に介さぬ精神能力の極度の行使、精神の両極間の運動の途轍もない振幅を領する為に要した彼の不断の努力、それがどれほどのものであったか」 ということを私が強烈に感じた最初の作品は、有島武郎氏の作品 「カイン の末裔」 でした。この作品を私が初めて読んだのが高校生の頃で、高校生ですから私が感じた精神の揺動を (小林秀雄氏の文が明らかにしているほどに言い表すことはできるはずもなく) ただただ作品に魅了されていただけです──そして、「カイン の末裔」 を読んだときほどの興奮には至らなかったけれど、それに近い気持ちになった作品が 「生まれ出ずる悩み」 と 「惜しみなく愛は奪う」 でした。「或る女」 については、それまで読んできた (日本の) 小説にはない構成力の堅固さに惹かれましたが、「カイン の末裔」 を読んだときの興奮は覚えなかった (ただし、その感想は、有島武郎氏の諸作品間での比較であって、「或る女」 は、他の作家たちの作品に比べたら私の好きな作品です)。

 有島武郎氏は、私が文学を味わった最初の作家です──その後、私は いわゆる 「文学青年」 の仲間入りをすることとなったのです。高校生の頃、有島武郎氏と ヘルマン・ヘッセ 氏 を さかんに読んでいました。ヘルマン・ヘッセ 氏の作品では、「車輪の下」 「クヌルプ」 「青春は美わし」 「デミアン」 「知と愛 (ナルチスとゴルトムント)」 が好きでした。「尼僧ヨアンナ」 などの東欧作品も読んでいました、「現代東欧文学全集」 (恒文社) のなかから数冊を選んで買って読んでいたと記憶しています。有島武郎氏に影響されて、この頃 (高校生の頃) キリスト 教関係の書物 (一例として内村鑑三氏の著作) も数多く読んでいました。文学に取り憑かれた私は、高校での欠席は最多記録だったらしく、学校を休んで家で書物 (文学) を読んでいました、当時 父が そういう私に対して怒らなかったのが今でも謎です──そして、この頃から、今の昼夜逆転の生活が始まった。

 高校を休んでばかりいて授業を まともにうけていないので、大学受験は当然ながら不合格でした (浪人しました)。私の父は電力会社に勤めていたので家族が生活に困ったことはないのですが、父は私のために予備校の費用を払ってくれたけれど、浪人になった私に小遣いをくれなくなった。父が予備校の費用を払ってくれたにもかかわらず、私はその予備校に数回だけ出席して行かなくなった、そして小遣いをもらえなかったので、所蔵していた百科事典・高校の参考書を古本屋に切り売りして喫茶店の コーヒー 代を融通していました──喫茶店では、私と同じく浪人になった親友と文学論を語りあって 数時間 居座っていました。その頃に読んでいた文学作品は、三島由紀夫氏・川端康成氏・梶井基次郎氏の作品でした。浪人になっても私は 全然 受験勉強をしなかった、秋になった頃 さすがに受験を考えざるを得なくなって、古本屋に売り飛ばした参考書を買い戻して、一応 受験勉強の体 (てい) は整えましたが、受験勉強を今までやってこなかったので身が入る訳でもなかった (受験の話は 本 エッセー には関係ないので、これ以上の記述は止めます)。私の浪人時代は、文学書ばかりを読んでいて、いっちょまえに文学論を語る 「文学青年」 になっていました。高校生時代・浪人時代を通して、私は多量の文学作品を読んできましたが、67歳になった今でも それら文学作品のなかで読み続けている作品は、有島武郎氏・三島由紀夫氏・川端康成氏の作品です。

 三島由紀夫氏の作品では、「憂国」 が一番好きです。川端康成氏の作品では、「眠れる美女」 が一番好きです (「眠れる美女」 について、作家の自筆の影印を私は所蔵しています)。いずれの作品も、彼らが作家としての高名を得た作品ではない。寧ろ、文芸評論家たちからは低評価をうけた作品です。ただ、私は、これら二作品を読んだときにうけた私の心の揺籃を偽ることができない、私は これら二作品を大好きです (ただし、これら二作品は、学校の教科書に収録されるような文学作品ではないでしょうね www)。三島由紀夫氏は、林房雄氏との対談のなかで いわゆる 「純文学」 について次のように言っています (「純文学とは?」 に収録されている)──

     その上、純文学には、作者が何か危険なものを扱つてゐる、
    ふつうの奴なら怖気 (おぞけ) をふるつて手も出さないやう
    な、取り扱ひのきはめて危険なものを作者が敢て扱つてゐる、
    といふ感じがなければならない、と思ひます。(略)

     危険であるから、取り扱ひには微妙な注意が要り、取り扱ひ
    の技術は ますます専門的になり、おいそれと手も出せないもの
    になる。作家にとつて、技術とは要するに言葉だから、ここに
    必然的に文体の問題が生ずる。純文学の文体とは、おそろしい
    爆発物をつまみ上げる ピンセット みたいなもので、その銀
    いろに光る繊細な器具の尖端まで、扱ふ人の神経が ピリピリ
    と行き届いてゐなければならぬ。
     更に、もう一つ先の問題がある。
     純文学は、と言つても、芸術は、と言つても同じことだが、
    究極的には、そこに幸福感が漂つてゐなければならぬと思ふ。
    それは表現の幸福であり、制作の幸福である。どんな危険な
    恐ろしい作業であつても、いや、危険で恐ろしい作業であれば
    あるほど、その達成のあとには、大きな幸福感がある筈で、
    書き上げられたときその幸福感は遡及して、作品のすべてを
    包んでしまふのだ。

 三島由紀夫氏の この指摘こそが、小林秀雄氏の云う 「僕は背後から押され、目当てもつかず歩き出す。眼の前には白い原稿用紙があり、僕を或る未知なものに関する冒険に誘う。そして、これは僕自身を実験してみる事以外の事であろうか」 という作家たる気組み (心掛け) ではないか。

 
 (2021年 5月 1日)


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