日本史 (通史の概説書) >> 目次 (テーマごと)


 今回は、概説書 (通史) を紹介する。
 以下に記載する概説書を通読して、日本史の流れや歴史観を 「大まかに」 把握してほしい。

 なお、時代別 (および テーマ 別) の概説書については、後日、扱う。

 


 ▼ 入門編

 ● 見る 読む わかる 日本の歴史 (原始・古代から近代・現代まで)、朝日新聞社

 ● 読める年表 日本史、川崎庸之 他、自由国民社

 ● 日本史新聞、日本史新聞編集委員会 編、日本文芸社
  [ 新聞形式の読み物風になっている ]

 ● 日本風俗史新聞、日本風俗史新聞編集委員会 編、日本文芸社
  [ 新聞形式の読み物風になっている ]

 ● 日本歴史新聞 366、小学館
  [ 新聞形式の読み物風になっている。
  一年366日を一日ずつ、その日に起こった歴史上のできごとを記述した 「きょうは何の日」 的な読み物。]

 ● この一冊で日本の歴史がわかる!、小和田哲男、三笠書房

 ● 日本の歴史文庫 (1〜17)、講談社

 ● 日本史百話、笠原一男・井上光貞・安田元久 編、山川出版社

 ● 日本歴史故事物語、和歌森・高橋 監修、河出書房新社

 



[ 読みかた ] (2006年 9月 1日)

 私は歴史学の専門家ではないので、歴史の専門家が通史として網羅的・系統的に知っていなければならない基礎知識を学習しなくてもいいと免罪符を得ているので、日本史の書物を 「気軽に」 読み流しています。

 今年 (2006年) の 7月に、日本経済新聞が、いわゆる 「富田 メモ」 のなかに記述されていた昭和天皇の 「靖国参拝に対する不快感」 を スクープ して、(小泉首相をはじめとする) 政治家の靖国参拝に関して、賛否が取り沙汰されましたし、「富田 メモ」 そのもの-の信憑性について争議もありましたが、私は、それらの報道 (スクープ 記事と、それに対するさまざまな意見--新聞紙上に報道された意見や、ウェッブ 上に書き込まれた意見--) を読んで、「へえ、そうなんだ」 というくらいの読後感しか抱かなかったし、私自身は、「靖国参拝」 や 「A 級戦犯合祀」 について、それ以上の (報道された記事 以上の) 調査をしなかった。この件について、意見を述べるためには、「戦争」 「神道」 「天皇制」 「東京裁判」 や 「GHQ の戦後政策」 などの膨大な史料を読まなければならないので、私は、みずからの意見を述べるほどの調査を進めるのが おっくうだったので、調査しなかった次第です。ウェッブ 上の書き込みを読んでみたら、述べられている所感は、「意見」 ではなくて 「叙情」 が ほとんどですね。したがって、「どのように感じたか」 という アンケート にすぎないようです。
 ただ、もし、「富田 メモ」 が天皇の ことば を ほんとうに そのまま 記録しているのであれば--昭和天皇も富田氏も故人なので、その信憑性を確実に検証することはできないのですが--、「それが私の心だ」 という (天皇の) 言いかたは、富田氏 が短くまとめていなかったとすれば、「流行語大賞」 を獲るほどに、すばらしい--説得力のある--言いかただと思いました。
 「富田 メモ」 に関して、歴史の専門家たちが、今後、さらなる調査をしていただきたいと期待しています。われわれ シロート は、専門的な調査をできないから。

 さて、私は、歴史の専門家ではないので、日本史全般を 「気軽に」 読み流していると前述しましたが、たとえば、「読める年表 日本史」 や 「日本歴史新聞 366」 のような 「読み物」 ふうな歴史本を読み流したり拾い読みするのが好きです。
 「読める年表 日本史」 は、年表に沿って、できごとを記述していて、「日本歴史新聞 366」 は、新聞形式を則って、(1月 から 12月までの 1年を枠にして、) 日付ごとに、できごとを記述しています。たとえば、「日本歴史新聞 366」 の最初の ページ (1月 1日 元旦) には、「トップニュース」 として、以下が 「報道」 されています。

    昭和天皇、「人間宣言」
    天皇 「現御神」 にあらず
    戦後の復興に一段と励み

    [ 東京=1946 (昭和 21)]
    敗戦の年が明けた今日、昭和天皇は詔書をだして、「現御神 (現人神)」 であることを否定された。
    明治以来、国民の間では "天皇は神である" と考えられていたし、教育の場でも徹底してたたき
    込んできた。それだけに、この宣言は国民にとって大きな ショック。しかし敗戦の混乱の中、ともすれば
    希望を失いがちな人々にとって、天皇がもはや神ではなく 「朕 (天皇の自称) ハ爾等国民ト共ニ在リ」
    と宣言されたことは、復興に向けての心の拠り所となるだろう。
     この詔書がだされた背景には天皇の神格の否定と、日本人が持っていた 「他の民族に優越する民族」
    という意識を崩すという GHQ の意向が働いた節がある。連合軍最高司令官 マッカーサー は 「思想統制
    と教育の悪用は もはや存在しない」 と、この詔書を歓迎する旨の声明を発表。執筆は総理大臣幣原
    喜重郎と、文部大臣前田多門によるが、英国人 ブライス らの活躍もあったという。ちなみに原文は
    英文で書かれている。

 この新聞形式は、歴史本として、なかなか、洒落た記述法ですね。こういう記述法であれば、歴史本を 「気軽に」 読み通すことができますね。ところで、天皇の 「人間宣言」 詔書 (原文) が英文であることを日本国民は知っているのかしら。
 1月 1日の できごと として、「日本歴史新聞 366」 は、ほかにも、以下を 「報道」 しています。
 (「見出し」 のみを読んでも意味がわからない記事については、記事の中身も記載しておきました。)

    「大化改新の詔」 が発布
    中大兄皇子、土地の国有化など政治改革を推進 [ 難波=646 (大化 2)]

    大伴家持、「万葉集」 最後の歌を高らかにうたいあげる [ 因幡=759 (天平宝治 3)]

    煙草が専売制に--愛煙家、ケムにまかれる-- [ 東京=1898 (明治 31)]

    東京宝塚劇場、華やかに オープン [ 東京=1939 (昭和 9)]

    「金色夜叉」 連載が始まる [ 東京=1897 (明治 30)]

    赤 バイ、さっそうと登場 [ 東京=1918 (大正 7)]
    警視庁は増加の一途をたどる交通事故 (昨年の東京の死者 51名、負傷者 3646名) 対策として、
    交通巡査百名と赤 バイ 六台を配置。赤 バイ は本部に三台、上野・愛宕・麹町に各一台で、
    小回りのきく新兵器と期待されている。しかし巷にも赤い オートバイ は多く、目立たないとの
    声が早くもあがっている。

    風船爆弾、太平洋を横断か [ アメリカ=1945年 (昭和 20)]
    米誌 「タイム」 によると、日本製の風船爆弾が モンタナ州に落下した。被害のほどなど、詳細は不明。

    少年法が施行 [東京=1949 (昭和 24)]
    少年法は二十歳未満を対象にし、刑罰によらず保護処分によって更正させることを目的にしたもので、
    裁判の非公開や死刑がないなどの特則がある。戦前もあったが、この度全面改正した。

 少年法は、いま、ホット な話題の 1つですが、戦後 昭和 24年に全面改正されたようですね。
 なお、「『大化改新の詔』 が発布」 には、新聞の時事解説ふうに、以下の 「解説」 も記載されています。

    [ 解説 新税制を探る ]
    祖は口分田にかけられ、稲で徴収。庸・雑徭は労働力の提供、調は特産物で徴収するという。
    新政府は律令国家を支えるものとして、この税制に大きな期待を寄せている。

 
 この書物を 「気軽に」 読んでいるうちに、日本史に関して、どんどん、知識が増えてきますね。
 ちなみに、「広告」 として、「鉄腕 アトム」 が写真入りで記載されていて、以下の宣伝文が記述されていました。

    アニメ で登場! 「鉄腕 アトム」
    今夜 6時15分より テレビ 放映開始! 1963 (昭和 38) 年

 「鉄腕 アトム」 は、アニメーション で登場する前に、実写版が放映されていました (ちなみに、「鉄人 28号」 も、アニメーションがでる前に、実写版が放送されていました)--私は、「鉄腕 アトム」・「鉄人 28号」 の実写版を、いまでも、記憶しています。「鉄人 28号」や 「オックス (鉄人 28号の敵 ロボット) は、ひとが 「かぶりもの」 を着ていたので、等身大というのは、原作の漫画から外れているのですが、それらの番組を私は夢中になって観ていたことを覚えています。私の人生では、「大化改新」 の意味よりも、「鉄腕 アトム」 の影響ほうが大きな比重を占めています (笑)。
 「今日の天気」 は、東京が 「はれ」 で、金沢は 「あめ」 でした--私の出身地 富山 も、たぶん、雨だったかもしれない。
 「おくやみ」 では、藤原公任と藤原隆家が記載されています。

    藤原公任
    平安中期の歌人。公卿。政界での雄飛を断念、文学的活動に比重を移し斯界の権威者として地位を
    確立。余情美を重視する歌論は高く評価された。著述に私撰集 「捨遺抄」 など。1041年 (76歳)。

 
 以上に鳥瞰してきたように、「日本歴史新聞 366」 を 「気軽に」 読めば、そうとうに日本史の知識を得られるでしょう。「読める年表」 も 「日本歴史新聞 366」 も 「事項索引」 を備えているので、それぞれの できごと を拾い読みすることもできます。「日本歴史新聞 366」 の編修主幹は、武光 誠 氏 (当時、明治学院大学助教授) ですが、「はしがき」 のなかで、以下のように述べていらっしゃいます。

    私たちは毎日、新しい出来事を記した新聞い接していますが、それはまた過去の多くの出来事に
    つらなっている----そういった風にも考えてみて下さい。
    同時に、歴史には通史としてだけではなく、輪切りにした場面としてみる面白さがある、と思って
    頂ければ幸いです。

 「日本歴史新聞 366」 は、新聞ふうの 「読み物」 として編んでありますが、日本史の できごと を そういう体裁にして記述し編修することは たいそうな労苦だったと想像します。敬意を表します。

 





 ▼ 中級編

 ● 歴史の読み方 (朝日百科 日本の歴史・別冊)、朝日新聞社

 ● 新日本史、家永三郎 著、冨山房
  [ 初版は昭和22年の出版だが、今でも、読み応えがある。]

 ● 日本道徳思想史、家永三郎 著、岩波全書 194

 ● 概論 日本歴史、佐々木潤之介 他、吉川弘文館

 ● 日本史概説、石井良助 著、創文社版

 ● 詳説 日本史研究、五味文彦・高埜利彦・鳥海 靖 編、山川出版社
  [ 高校生用の参考書 ]

 ● 日本全史 (シ゛ャハ゜ン・クロニック)、講談社

 ● 日本史新論、保田與重郎、新潮社版

 ● 日本農民史、日本歴史地理学会 編、日本図書

 ● 民衆史研究の視点、民衆史研究会 編、三一書房

 ● 日本文化史 (日本の心と形)、石田一良、東海大学出版会

 ● 歴史家のみた日本文化、家永三郎、文藝春秋新社

 ● 日本文化史 ハンドブック、阿部 猛・西垣晴次 編、東京堂出版

 



[ 読みかた ] (2006年 9月 1日)

 「入門編」 に記載した書物が 「雑学」 ふうだとすれば--念のために、私は、「雑学」 を軽視しているのではない点に注意して下さい--、「中級編」 に記載した書物は、それぞれの できごと の詳細な記述を目的としているのではなくて--ただし、そういう詳細な知識を前提にして--できごと のあいだに作用したと思われる 「原因・理由」 を探って、「日本史」 として体系化した 「学術書の入門書」 です。

 ちなみに、私は、「原因」 と 「理由」 を、それぞれ、ちがう意味で使っています。すなわち、「原因」 は 「化学的な因果関係」 のように、結果に対して、「かならず」 前提となる起因であって否定できないのですが、「理由」 は、(「化学的な因果関係」 ではなくて、) 否定することができる由因として使っています。短く云ってしまえば、「原因」 は 「因って」 という事象であり、「理由」 は 「由って」 という所為だと判断しています。

 できごと のあいだに観られる 「原因・理由」 を体系だって記述した学習書として、私は、以下の 2冊を愛読しています。

  (1) 新日本史、家永三郎 著、冨山房
  (2) 詳説 日本史研究、五味文彦・高埜利彦・鳥海 靖 編、山川出版社

 「詳説 日本史研究」 は、山川出版社が出版している 「高校生用の教科書」 を さらに詳細に記述した学習参考書です。私は、高校生の頃、山川出版社の教科書で日本史を教わりましたが、そのときの延長 (つまり、慣れ) で (教科書を詳細にした) 山川出版社の参考書を使っている訳ではないようです。「詳説 日本史研究」 の 「はしがき」 には、以下のように、「執筆の態度」 が述べられています。

         どのように日本史を学ぶのか

         (略)
         もとより、日本史においては、常に 「一つの正しい歴史」 が存在するわけではない。また
        過去の出来事がすべてわかっているわけでもない。今日、わかっている出来事は、ぼう大
        なわかっていない出来事に比べれば、ほんの一部----「九牛の一毛」 にすぎない。したがっ
        て、新しい史料の発見、埋もれていた史実の解明、異なった見方・考え方や解釈の導入が、
        これまで常識となっていた定説を大きく書きかえ、歴史の意味や イメージ を全くかえてし
        まうことも珍しくない。その点では歴史をできる限り多角的にとらえ、さまざまな視点
        から、いわば複眼的に見直す努力も必要であろう。歴史の学習は、ともすすると結果論的な
        単なる知識の集積におち入りかねない。しかし、歴史の学習にとって、大切なことは、歴
        史の内在的理解である。われわれは往々にして、歴史状況を無視して安易に現在の価値基
        準や倫理観により、いわば 「あと知恵」 で歴史を裁断しがちである。それは しばしば、特定
        の イデオロギー 史観にもとづく、善玉・悪玉的な歴史の見方におち入るという弊害につな
        がってしまう。
         しかし、歴史を内在的にとらえるには、ある時代に生きた生身の人間たちが、どのよう
        な状況の中で、いかなる情報や認識をもち、どんな価値観や行動様式に基づいて、何を考
        え、何を目標に行動したのか、といった事柄を状況に即して理解することが必要不可欠で
        あろう。
         本書は、日本史の学習参考書であって専門書・研究書ではないが、執筆者一同は上述の
        点を考慮し、できりだけ日本史の多角的な見方・内在的な理解に意を用いた。定説的な見
        方に即して記述しながらも、見解が大きく分かれるような歴史事象については、可能な限り、
        諸学説・諸見解を併記し、平易に その論点を解説するように努めた。時としては、高等学
        校での学習の範囲を越えるかもしれないが、読者の皆さんが、その意を汲んで学習して頂
        ければ幸いである。

 この執筆態度は、後述する 「研究の手引書」 に記載した 「学問としての歴史 (史学)」 が成立するための 「方法論」 にもつながるのですが、「詳説 日本史研究」 の記述は、「私の歴史観」 に合うようです。

 「新日本史」 (家永三郎) は、1つの視点を示した体系だった書物だと思います。ただ、この書物を読んで、そこに記述されている体系を、そのまま、「一つの正しい歴史」 として丸暗記しなければ、という前提ですが。私は、この書物を とても気に入っています。ほかの人たちにも、ぜひ、一読してほしいと思います。「体系だって まとめる」 という仕事は、こういうふうな作業を云うのだなと感じた書物です。専門家の人たちが、(一般向けに綴られた) この書物を どのように評価したのかを私は知らないのですが、私にとって、この書物は 「名著」 と品評していい書物です。

 





 ▼ 図録

 ● ビジュアルワイド 図説日本史、東京書籍
  [ 高校生用の副読本 ]

 ● 日本の歴史 別巻 (1) 図録 原始から平安、中央公論社

 ● 日本の歴史 別巻 (2) 図録 鎌倉から戦国、中央公論社

 ● 日本の歴史 別巻 (3) 図録 織豊から幕末、中央公論社

 ● 日本の歴史 別巻 (4) 図録 維新から現代、中央公論社

 ● 資料 日本歴史図録、笹間良彦 編著、柏書房

 ● 日本史 モノ 事典、平凡社 編

 



[ 読みかた ] (2006年 9月 1日)

 歴史的資料のなかでも、文書・工芸品などを 「史料」 を云い、施設・場所などを 「史跡」 と云うようですが、いずれにしても、(現物を調査しないわれわれ シロート であっても、) 実物を観るのが、歴史に対する--すなわち、過去に思いを馳せる--直接の誘因になるでしょうね。
 ただ、史跡を訪れても、数百年の時のなかで、たとえば、寺は老朽化して、「わび・さび」 の趣を漂わせていますが、建立された当時、柱は朱色に塗られ、空間のなかで いくつもの柱が直線に延びて生命感溢れる様相を呈して人目をひいたでしょう。過去に思いを馳せるというのは、そういう復元力を云うのではないでしょうか。

 広隆寺の弥勒菩薩像の複製 (高さ 50p ほど) を私は所蔵していますが--大学生の頃 (30年ほど前) に購入しましたが--、本物の弥勒菩薩像は、ご存じのように、大きな像です (像高 84p)。聖徳太子が秦河勝に与えた渡来仏として伝えられています。本物 (原作) の前に立って像を拝しながら起こる感嘆と、ミニチュア を玩味して抱く愛蔵の感は、物に即して起こる気持ちとして、似ても似つかない情感です。本物は、聖徳太子がご覧になされて、千数百年の後に、私も、同じ像を観たというのが歴史でしょうね。弥勒菩薩は、釈尊入滅後、気の遠くなるような年月 (56億 7千万年) を待って この世に下生 (げしょう) して、釈尊の救いに洩れた衆生を済度するという未来仏ですが--ちなみに、弥勒菩薩は釈迦牟尼仏に次いで仏になると約束された菩薩ですが--、当時の人たちは、弥勒菩薩像を前にして、どのような気持ちを抱いていたのだろうか。
 私は、阿修羅像 (興福寺) も好きです。ただし、写真で観たのみで、実物を私は、いまだ、観ていない。阿修羅像の 思い詰めたような顔つきと ほっそりとした体つきは、なにかしら、「生々しい」 色気すら感じますね。阿修羅は、仏教では、天竜八部衆の一つとして仏法の守護神とされていますが、絶えず闘争を好み、六道 (地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天) のなかでは、人間以下の存在とされています。いずれ、興福寺を訪れて、阿修羅像を観たいと思っています。

 史料・史跡の実物を、すべて、観ることはできないので、実物を写し撮った図録・写真が代用として役立ちます。そういう図録を私は重宝しています。史料・史跡は、豊富な写真を収録した 「日本の歴史」 を参考にしていますが、日常生活のなかで使われてきた事物については、「日本史 モノ 事典」 (平凡社) を重宝しています [ 「問わず語り」 490ページ 参照 ]。
 たとえば、中世・近世では、帯・紐・縄の 「結びかた」 が非常に大切な仕業であったことが、「日本史 モノ 事典」 を 「眺めて」いればわかるでしょう。帯は、古代では幅がせまくて、一重にしめて前に垂らしていましたが、小袖が発達して、幅も長さもさまざまに変化して、色々な結びかたが出てきました。私は、たまに、着物を着るので、帯を使いますが、男帯には、角帯・兵児 (へこ) 帯などがあって、はさみ帯び・貝の口・折貝の口・嘉永男帯や駒下駄結などがありますが、角帯は、現代では、たいがい、「貝の口」 に結びます。女帯の 「結びかた」 は、数多い。また、掛物・軸物・行器・貝桶・文箱・烏帽子懸・薙刀の鞘袋/傘袋・刀袋・鷹つなぎ や水引など、「結びかた」 は、催事・日常生活のなかで基本のたしなみでした。どのような 「結びかた」 があって、どのように結ぶのかという具体的な様は、文のみで説明されても理解しにくいでしょうし、図録が役立ちます (「日本史 モノ 事典」 に収録されています)。
 乗物は、日本では、平安時代以後から武家時代になるまで、牛車 (ぎっしゃ)・輿 (こし) が貴人の乗物として用いられていました。牛車・輿の構造は、有職故実の辞典に記載されています。荷役用として、牛に曳かせた牛車 (ぎゅうしゃ) は、貴人用の乗物と混同しないように、発音を変えているようです。人力車は、1869年頃、和泉要助たちが西洋馬車から ヒント を得て考案したそうです。当初は、車体は木製で、車輪は鉄製だったそうです。そういえば、昭和時代の途中から、荷役用の大八車/代八車・リヤカー を目にしなくなりましたね。リヤカー は、大正初年に日本で考案されました--リヤカー は 「和製英語」 です。駕籠は、中古に、病人や罪人を運ぶのに用いられた編板が起源で、15世紀頃に、駕籠の形ができて、江戸時代には、豪華な作りの駕籠を 「乗物」 といい、簡素な作りを 「駕籠」 とよび、庶民は 「乗物」 の使用を禁じられていました。図録 (「日本史 モノ 事典」) には、駕籠の種類が記載されています。

 図録は、眺めているだけでも、愉しい書物ですね。

 





 ▼ 研究の手引書

 ● 日本史論文の書きかた、中尾 堯・村上 直・三上昭美 編、吉川弘文館

 ● 日本史学入門、大久保利謙・海老沢有道、廣文社

 ● 歴史認識 (日本近代思想大系)、田中 彰・宮地正人、岩波書店

 ● 戦後の歴史学と歴史意識、遠山茂樹 著、岩波書店

 ● 日本史の問題点、日本歴史学会 編、吉川弘文館

 



[ 読みかた ] (2006年 9月 1日)

 私は史学の専門家ではないので、こういう類の書物を読まなくてはならないという訳ではないので、私の人生に照らしながら、日本史の書物を 「気軽に」 読んできましたが、いっぽうで、私は、システム・エンジニア という職業がら、正確性・構成力という観点を尊重するようです。そういう観点から、私は、史学が学問として成立している前提を知りたいという気持ちも強い。

 亀井勝一郎氏と遠山茂樹氏は、「歴史意識」 に関して、論争しました。亀井勝一郎氏の歴史観は、以下の思いで貫かれていたようです(参考)

      正確で詳細な資料に出会ったことで安心してはならない。それは さらに深い秘密に直面したという
      ことで、必ずしも事態や人物が明確になったことを意味するものではない。

      現代の歴史家の最大の欠点は、史上の人物を資料化する能力だけが発達して、人間化する能力の
      衰弱していることである。

 亀井勝一郎氏は、かれのいくつかの著作のなかで、(歴史を振り返るときに、) 「招魂」 という ことば を使っています。亀井氏の歴史観は、史学の専門家から観れば、「文芸的な、あまりに文芸的な」 態度に映るかもしれないですね。亀井氏が主張する 「人間化」 を史学の専門家が感じていなければならないのか、それとも、「資料化」 された文献を読んだひとが そういう 「招魂」 を司れば良いのかという点は、きわめて 「境界線上の」 争点なのかもしれない。ただ、私は、かれの歴史観に同感します。かれの遺した美しい アフォリズム を以下に引用します(参考)

      遠い古代の日本人は文字をもたなかった。家々に伝わる重要な物語や事蹟は すべて暗誦して
      語り継ぎ、言い伝えた。それを職業とするものを語部 (かたりべ) と呼んだ。歴史家のこれ
      が原型であり、今もなお旧家の炉辺に名残りをとどめている。

      語部の多くは女性であった。家に住みつき、家の大黒柱となり、やがてその家の家霊となる
      のは女性である。執拗に家にからみつきながら、代々の祖先の歓びの声や恨みを体内に吸収し、
      あたかも祖先が乗り移ったかのように、白髪をふりみだして語りつづける、彼女そのものが
      歴史の亡霊と化するのである。

      あらゆる芸術、宗教、そして歴史もまた、その中枢となっているのは人間の音声である。
      師や祖先の声を模倣し、あるいは耳の底に留めて忘れなかった声の思い出を、語り継ぎ言い
      継いできたのだ。そのときの音声の高低、その溜息、その複雑な ニュアンス、伝えることの
      それが基本となっていた極めて長い年月があった。書かれたものとは、その台本にすぎなかった。
      書物は 「声を伝えたもの」 として音譜のようにみなされていた。

      耳で聞くことから、眼で読むことへの転換ほど、精神のはたらきの上に大きな変化をもたらした
      ものはあるまい。書物の普及によって知識は増大したかもしれないが、その反面に、耳の衰微
      という大きな犠牲を払ったのだ。これは我々が、「生命の直接的な音」 から いかに遠ざかった
      かを意味するものである。詩への最初の決別でもあった。

 
 亀井勝一郎氏は、東京大学文学部美術科を中退して、プロレタリア 運動に参加したのですが、いわゆる 「転向」 して、その後、日本の古典・古美術・歴史などへの関心を深め--「転向」 後、みずからの再生を祈って、奈良・京都の史跡を、たびたび、訪れて--、「大和古寺風物誌」 を上梓した文芸評論家であって、かれにとって、「歴史」 は、みずからの人生の立て直しの誘因となったので、かれは、「歴史」 に対して、造詣が そうとうに深い。かれの著作 「聖徳太子」 「親鸞」 は、歴史書として、私は愛読しています。この 2冊を読んでみて下さい。かれの言う 「人間化」 を知ることができるでしょう。

 
(参考) 「思想の花びら」、大和書房。

 




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