江戸時代 (幕末の動乱、中級編) >> 目次 (テーマ ごと)



 江戸時代の幕末を概説した史料・資料を記載します。

 



[ 読みかた ] (2007年 9月 1日)

 幕末は、「(日本の) 変貌」 を生んだ動乱期だったので、小説や テレビ の時代劇でも、多々、テーマ になってきて、われわれは、幕末の様相を、或る程度、知っていますが、小説や テレビ 番組は、「英雄」 に焦点を当てた物語になっていて、当時の 「政局」 のみが クローズ・アップ されて、庶民の風俗に対して、われわれの目が、なかなか、向かないようですね。

 「変貌」 の起点になった事件は、「黒船来航」 (嘉永六年 [ 1853年 ] ) でしょうね。NHK の テレビ 番組 「そのとき歴史がうごいた」 風に言えば、「それは、サトウマサミ が生まれる ちょうど 100年前だった (笑)。そして、「黒船来航」 から、わずか 15年で、江戸時代が終焉の時を迎えました。

 幕末の世相を まとめれば、たぶん、「地震・世直し・黒船来航」 が動乱の序幕なのかもしれないですね。「黒船来航」 の 2年後 (安政二年 [ 1855年 ]) に、江戸の町を直下型地震が襲いました。家屋の倒壊・焼失は、約 10万戸に及び、死傷者の人数は、15,000人と云われています。ちなみに、当時、江戸の民家が 35万戸で、人口が 120万人だったそうですから、この地震は 「大地震」 であったことが想像できるでしょう。また、善光寺大地震・南海大地震・下田大地震というぐあいに、大地震が次々に発生して、終末感も拡がっていたそうです。ちなみに、地震を起こすのは 「鯰 (なまず)」 であるという信仰を絵に描いた 「鯰絵」 の錦絵が大量に出回ったそうです。鯰は地震を起こす 「悪い神」 なので、それらの 「鯰絵」 のなかには、鯰を懲らしめている絵 (「新吉原大鯰由来」)や、鯰が切腹して腹のなかから金貨が わんさと出てきている絵 (「切腹鯰」)や、さらには、鯰が 「良い神」 になって、金持ちたちを懲らしめて、金持ちたちの口・尻の穴から金貨を吐き出させて、町人と思しき人たちが それらの金貨を拾い集めている絵 (「世直し鯰」) が出回っていたようです。庶民たちは、たぶん、鯰信仰に託して、「世直し」 を期待していたのかもしれないですね。実際、「打ちこわし」 や一揆が多く起こっていて、そのなかには、はっきりと 「世直し一揆」 もあったし、「ええじゃないか」 のような御陰参り的な狂乱もありましたから。

 「勤皇派と佐幕派との対立」 が政局の混乱となっていましたが、幕府崩壊の起点になった事件は、「桜田門外の変」 (万延元年 [ 1860年 ])でしょうね。攘夷を進めていた薩摩藩が、生麦事件 (文久二年 [ 1862年 ]) を起こして、ついには、薩英戦争 (文久三年 [ 1863年 ]) になって、薩摩藩は破れたのち、寧ろ、英国に急接近して軍備を強化して、倒幕のほうに舵を取りました。そして、薩長盟約がむすばれ (慶応二年 [ 1866年 ])、第二回目の 「長州征討」 では、薩摩藩は長州藩を軍事的に援助して、幕府の征討軍は連敗し、勅命によって、幕府は、ついに、征討軍を解散しました。慶応三年 (1867年) に、大政奉還 (第 15代将軍 徳川慶喜が政権を朝廷に返上したこと) がおこなわれ、大政復古の大号令が出されました。大政奉還も大政復古も、それぞれ、紙切れ一枚に綴られた文でした。紙切れ一枚の上表で、250年近くも継続してきた政権 (および支配制度) が簡単に委譲できる訳でもないので、朝廷のほうでも、慶喜がたてまつった上表を受け取っても、実際には、政権を担当できないので、慶喜に政務継続を命ずるしかなかった。しかし、薩長倒幕派は、武力討伐を考えていました。そして、「勤皇派と佐幕派との対立」 は、慶応四年 (1868年) に、鳥羽伏見の戦い (旧幕府軍が薩摩藩討伐を名目に大阪から京都に攻めあがろうとした戦い) として武力衝突に至り、戊辰戦争が始まりました。戊辰戦争は、慶応 4年 [ 戊辰の年 ] から翌年まで続いた新政府軍と旧幕府軍との戦いの総称です--鳥羽伏見の戦い、彰義隊の戦い (上野の戦争)、長岡藩・会津藩との戦い、函館戦争などをふくみます。

 鳥羽伏見の戦いは、戊辰戦争の開始を告げた戦いであって、軍勢では、幕府軍が 15,000人くらいで、薩長軍は、その三分の一くらいで、幕府軍が数の上で優っていたので、幕府軍は自軍が負けるとは思っていなかったようです。逆に、薩長軍は、戦いに負けたら、天皇を連れて逃げることを検討していました。実際、徳川慶喜は、京都にいた徳川徳勝・松平慶永に親書を送って、薩摩が天皇を連れださないように監視してほしい旨を伝えています。
 慶応四年一月三日夕刻、両軍が鳥羽伏見で交戦し、薩長軍が勝ちました。そして、志気高揚たる京都 (薩長軍) では、翌日、仁和寺宮嘉彰を征討大将軍に任じて、錦旗をたて、(薩長が幕府と戦っているのではなくて、) 官軍が朝敵を討つという大義を整えました。幕府軍は、負けたといっても壊滅的な負けではなかったので立て直しを図ることもできたはずだと思うのですが、慶喜が 「弱気」 になって、一月六日の夜に、大阪城を脱出して--そのときに付き従ったのは、京都守護職の松平容保・京都所司代の松平定敬ら数人だったそうですが--、江戸に逃亡しました。総大将がいなくなった大阪城は大混乱に陥って、陣は、てんでばらばらになってしまい、京都の 「新政権」 が西日本を掌握しました。

 鳥羽伏見の戦いが、戊辰戦争の開始を告げたのですが、その後の帰趨を決めた戦いだったと云われています。慶応二年四月十一日、江戸城は、新政府軍に明け渡されましたが (江戸無血開城)、彰義隊の戦いが、江戸総攻撃の代理戦争だったとも云われています。





 ▼ [ 史料・概説書 ]

 ● 戊辰戦争全史 (上・下)、菊池 明・伊東成郎 編、新人物往来社

 ● 幕末の武家 (体験談聞書集成)、柴田宵曲 編、青蛙選書 7

 ● 幕末志士の生活、芳賀 登 著、雄山閣

 ● 坂本龍馬日記 (上・下)、菊地 明・山村竜也 編、新人物往来社

 ● 増補 幕末百話、篠田鉱造 著、岩波文庫

 ● 幕末維新 ものしり事典、奈良本辰也 監修、主婦と生活社

 ● 皇国形勢聞書(宮島家蔵版)、梶田明宏 監修・解題、柏村哲博・増田淑美 校注、新人物往来社

 ● 幕末明治 女百話 (上・下)、篠田鉱造 著、岩波文庫

 ● 平野弥十郎 幕末・維新日記、桑原真人・田中 彰 編著、北海道大学図書刊行会

 ● 幕末維新秘録、内外 タイムス 社

 ● 史話 明治初年、同好史談会 編、新人物往来社

 ● 維新旧幕比較論、木下真弘 著、宮地正人 校注、岩波文庫

 




 ▼ [ 図解・写真 ]

 ● 幕末の素顔・日本異外史、毎日新聞社

 ● 写された幕末、石黒敬七、明石書店

 ● 幕末 (写真の時代)、小沢健志 編、筑摩書房

 ● 写真で見る 幕末・明治、小沢健志 編著、世界文化社

 ● 開花写真鏡 (写真にみる幕末から明治へ)、大和書房

 ● 図集 幕末・明治の生活風景 (外国人がみた ニッポン)、須藤 功 編著、農文館

 




 ▼ [ 切絵図 (地図) ]

 ● 幕末の江戸絵図 (東京古地図復刻版)天保 14年 (1843年) 版、清光社、大阪人文社

 ● 嘉永・慶応 江戸切絵図で見る 幕末人物事物散歩、人文社

 ● 江戸から東京へ 明治の東京 (古地図で見る黎明期の東京)、人文社

 


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