2003年 3月16日 作成 辞書の使いかた (百科事典) >> 目次 (テーマ ごと)
2008年 4月 1日 補遺  


 
 TH さん、きょうは、百科事典の使いかたについて お話しましょう。

 私は、大学生の頃、百科事典を馬鹿にしていました──今から思えば、大いなる反省ですが。
 私が中学生の頃、母が百科事典を私のために買ってくれたのですが、「いかがわしい」 ことばを百科事典や国語辞典で内緒に調べることはあっても、「まともな」 使いかたをしたことはなかった。
 百科辞典を馬鹿にしていた理由は、百科事典のことを単なる知識の膨大な記録であって体系的に考える媒体ではない、と思い違いしていたからです。この思い違いを正してくださった書物が、以下の著作です。一読をお薦めします。

 加藤周一 著、「頭の回転をよくする読書術」、光文社

 この書物を読んで、百科事典に対する 「偏見」 を考え直して、私は凝り性だから(笑)、いったん興味を抱いたら徹底的にやらなければ納得できないから、古本屋を訪ねて、「百科事典操縦法」 (非売品、平凡社の百科事典の購入者向けに出版された新書版の書物) を入手して、百科事典の使いかたを習得しました。
 百科事典を使い込んでいるうちに、調べかたを工夫して、「自らのやりかた」 を体得するようです。そして、自らのやりかたのなかで [ 偏向した ] 癖 (bias) が出てきて 「我流」 に陥ったかなと疑いを抱いたら、原点にもどって、「頭の回転をよくする読書術」 と 「百科事典操縦法」 を読み直すようにしています。

 いわゆる 「ハウツー 本」 も、読んだら直ぐに捨てるのではなくて、技術を教えてもらったなら、ズッ と所蔵しておいて、自らのやりかたが工夫しながら変形して 「我流」 に陥ったと感じたら、もう一度、原点にもどって再読すれば良いでしょうね。

 百科事典の記述には、以下の 2つの系統があります。

 (1) 大項目・中項目のまとめとした 「テーマ (領域)」 ごとの体系的な記述
 (2) 小項目を網羅した 「事項」 ごとの辞書的な記述

 両系統の百科事典を、それぞれ、2冊以上、所蔵すれば 「知識の宝庫」 を得たことになります。

 たとえば、日本語の百科事典を例にすれば、(1) としては、「世界大百科事典 (平凡社)」 や 「大百科 (丸善)」 を例示できるし、(2) としては、「小百科事典 (平凡社)」 や 「ブリタニカ 百科事典 (小項目) (CD-ROM版)」 を例示できます──
いずれの百科事典も私が使っている事典です。なお、「世界大百科事典」 は大項目・中項目・小項目を包括した事典です。

 英語の百科事典なら、私は、ほとんど、(2) を使っているのですが──たとえば、britanica 2001 (CD-ROM版)、The Concise Columbia Encyclopedia、Hutchinson Encyclopedia、The New Grolier (CD-ROM 版) など──、Hutchinson 版には ポケット 版 (Hutchinson Pocket Encyclopedia) があって 「テーマ ごとの」 記述になっているので、たとえば、哲学の歴史を概観して英語で綴りたいときや、フットボール (association football、サッカー のこと) の ワールド・カップ の優勝国について調べるときや、フットボール の ルール を英訳したいときなど、「テーマ ごとの」 英英百科事典を使っています。

 (1) と (2) の百科事典を揃えたら、使いかたは、「大項目・中項目 --> 小項目」 という調べかたと 「小項目 --> 大項目・中項目」 という調べかたになるのですが、どちらの やりかた にするかは、調べたい対象次第でしょうね。
 たとえば、自らの師と仰ぐ哲学者がいて──したがって、すでに、その哲学者に関して、そうとうな知識があるとして──、その哲学者が後世に対して、どのような影響を与えたのかを調べるなら、「小項目 --> 大項目・中項目」 という やりかた になるでしょう。その哲学者の業績がどのようにまとめられているかという点を 「小項目」 を使って調べてから、対象領域を拡大して 「大項目・中項目」 を調べることになるでしょう。
 哲学の歴史を知りたいのであれば、「大項目・中項目 --> 小項目」 という調べかたになるでしょう。哲学史の大きな流れを 「大項目・中項目」 を使って調べて、代表的な哲学者の業績について 「小項目」 を使うことになるでしょうね。
 (したがって、百科事典は 1冊あれば事足りるという書物ではない、という点を強調しておきたい。)

 簡単な例を示しましたが、以上の例を調べるためには、1時間か 2時間もあればできるでしょう。そうやって百科事典を使って収集した知識は 「通論」 の骨組みとなっている知識ですから、今後、哲学を研究する起点となって、「いい加減な我流」 に陥らない助けとなります。

 以前にも述べましたが (本 ホームページ の 30 ページを参照されたい)、一日、3回ほど、百科事典を 「読む」 ようにすれば、思考の助けになるでしょう

 



[ 読みかた ] (2008年 4月 1日)

 私が小学生だった頃──いまから、40数年前になりますが──、「百科事典 ブーム」 が起こったように記憶しています。当時、私の母が、共稼ぎのなかで代金を工面して、百科事典 (小学館、10巻ほどの カラー版百科事典) を買ってくれたのですが、私の勉強部屋に置かれて、ほとんど、活用しないまま、部屋の オブジェ になっていました。
 私が大学受験に落ちて 「浪人生活」 を送っているとき、コーヒー 代欲しさに、その百科事典を古本店に入れたのを母が知ることになって、母は、古本店を探し当て、その百科事典を、泣きながら、買い戻しました。そして、その百科事典は、いまも、実家のほうに置いてあります。百科事典に関して、ほろ苦い思い出となっています。

 百科事典を私が活用するようになった時期は、たぶん、30歳くらいの頃だったと記憶しています。それまで、本 エッセー のなかで綴ったように、私は、百科事典を軽視にしていました。特に、大学生・大学院生の頃には、「思考法」 ということに興味を抱いていて、百科事典などは、知識の単なる羅列にすぎないと思い違いをしていました。百科事典が、「思考」 を促す書物であることを知ったのは、加藤周一氏の 「頭の回転をよくする読書術」 を読んでからでした。この書物は復刻されたようなので、ぜひとも、読んでみて下さい。百科事典の使いかたに関して、私が下手な説明するよりも、加藤氏の著作を直接に読んで下さい。

 私が どのような百科事典を どのようにして使っているかという点は、本 ホームページ のあちこちで綴っているので、「Search this site」 のなかに、キーワード として 「百科事典」 を入れて一覧表示して、読んでみて下さい。それらの ページ を読んでいただければ、百科事典の使いかたに関して、本 ページ で改めて補足する点はないです。

 なお、私は、百科事典を 「古事類苑」 のような 「類書・類聚」 とみなしているので、「最新版の」 百科事典のみを重視している訳ではない──たとえば、Wikipedia を私は 「百科事典」 と思っていない。
 日本最初の百科事典は、「和名類聚抄」 (平安時代の漢和辞書) です──「和名抄」 と略することが多い。この辞書は、後続の辞書類に対して──たとえば、「類聚名義抄」 「色葉字類抄」 「節用集」 など──、影響を与えたそうです。私は、これらの類書を、いずれも、活字印刷ですが──「節用集」 は江戸時代の版摺りですが──、所蔵しています。最近の百科事典のなかでは、昭和 59年に出版された 「大図典 view」 (講談社) を気に入っていて愛用しています。勿論、本 エッセー のなかで記載した百科事典群も常用しています。




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  佐藤正美の問わず語り