2004年10月 1日 作成 読書のしかた (持続は力なり) >> 目次 (テーマ ごと)
2009年10月16日 補遺  


 
 TH さん、きょうは、「習慣の形成」 について考えてみましょう。

 
 「読書の習慣」 については、かって、「問わず語り」 のなかで、綴っています [ 305ページ を参照してください ]。
 きょうは、習慣そのものについて、考えてみましょう。

良い組織は、仕事を ルーチン 化して、落ち着いた静かな仕事環境を整えている。

 私は、データベース・コンサルタント として、数多くの企業の システム 作りに関与してきました。多くの企業のなかに入って、事業過程や管理過程や組織過程を、その企業のなかで働く主役ではなくて、あくまで、企業の外から雇われた臨時の助っ人として、おおまかですが、観てきて、「良い企業 (excellent company)」 というのは、落ち着いた静かな仕事環境を実現している、という点を気づきました。つまり、そういう企業では、すべての仕事 (手続き) が ルーチン 化されていて、習慣になっている。したがって、或る時刻になれば、あるいは、或る事象が起これば、どのように対応するか、という点が具体化されていて、事象が起こるたびに、対応を考える、という労力が排除されています。
 経営用語を使えば、そういう企業では、経営計画 (事前報告)・経営実行 (経過報告)・経営批判 (事後報告)が、一貫して整っている、ということでしょうね。

 「習慣」 の良い点は、事象が起こるたびに、対応を考え出す労力がいらないので、仕事そのものに対して、集中力を注ぐことができる、という点でしょう。逆に、「習慣」 の悪い点は、(環境変化を観ながら、手続きを調整していなければ、) 対応そのものが形骸化して、習慣が老朽化してしまう、という点でしょうね。言い換えれば、「習慣」 が惰性となって、新たな着想を生み出す意欲が萎えてしまう、という点が欠点です。「習慣」 の長所が、そのまま、欠点になる、という危うさを秘めています。

 たとえば、私の仕事に関して言えば、システム が稼働中に、(思ってもいなかった) トラブル が起これば、対応 (消火活動) に追われますが、もし、まいにち、そういう対応に追われることになれば、疲れます。1度や 2度くらいの対応なら、「生き生きとして」 対応するでしょうが、長い年月のなかで、そういう対応を、まいにち、続けなければならない、というのでは、事態に対して、事後措置しかできないし、疲労困憊に陥ってしまいます。事態を コントロール するというのが理性の性質であれば、我々の理性は、事態を、あらかじめ、想像して、計画・実行・批判の手続きを整えたい、と思うでしょう。そして、その手続きを作りながら、効果的・効率的な体系を整えて、ルーチン 化するでしょう。それが、「習慣」 のはじまりではないでしょうか。

 しかも、環境は変化しますから、当然ながら、「習慣」 は、いったん、作ったら終わりということではなくて、ときどき、環境変化を観ながら、調整しなければならないでしょう。すなわち、「習慣」 を作るということは、きわめて、理知的な行為である、ということです。

 
読書の時間帯は、早朝が良い。

 さて、読書に関しても、「習慣」 を作ることが大切でしょう。
 気晴らしに、書物を読むことを除外するとして、およそ、自らの思考を促すための読書であれば、読書そのものに専念できるように、計画・実行・批判を一貫して整えておいたほうが良いでしょう。読書計画については、かって、「問わず語り」 のなかで、綴りましたので、参照してください [ 66ページ と 102ページ ]。

 読書計画を作って、読書の進捗を、つねに、管理することは、読書習慣を作る 手だて となります。
 読書の時間帯は、早朝が良いでしょう。朝、新聞を読んで、世相の ニュース を知る前に、読書をしたほうが良いでしょう。私は、通勤の電車のなかで--朝なら、新聞を読む前に──、往復1時間ほど、哲学・数学などの書物を、集中して読んでいます──快適な読書を実現するために、私は、通勤では、往復とも、わざわざ、特急電車 (の指定席) を使っています。座席に、ゆったりと、座って、書物を読み、鉛筆を使って、論旨に対して下線を引きながら、じっくりと、読書しています。通勤のために、特急電車を使うようになったのは、10年ほど前のことですから、10年ほど、そういう読書を続けていることになります。確実に、そういう読書が、習慣になっています。

 通勤電車のなかで読破した書物の数を調べたことがないので、正確な数を述べることはできないのですが、そういう読書を、少なくとも、10年も続けていれば、それ相応の数を読破している、と思います。家にいるときは、ほとんど、(読書ではなくて、) 「考える」 ことに集中していますので、読書のために割り振っている時間帯というのは、最近では、通勤電車のなかのみ (わずかな時間のみ)、という状態ですが、数多くの書物を読破してきました。
 もし、過去 10年のあいだ、電車のなかで、読書していなければ、それ相応の数を読んでいないことになりますね。「持続は力なり」。

 



[ 読みかた ] (2009年10月16日)

 補遺として、以下の文 (本 ホームページ の 「佐藤正美の問わず語り」 (読書のしかた、2009年 9月 1日付) で本居宣長の 「うひ山ぶみ」 から引用した以下の文) を示しておけば充分でしょう。

    しょせん学問はただ年月長く、うまずおこたらずに、はげみつとめることが肝要である。まなび方は
    いかようにしてもよいだろう。さして拘泥するにはおよぶまい。方法がどれほどよくても、おこたって
    つとめなければ効果はない。

 「効率的な学びかた」 を探して 「○○ の学びかた」 とか 「×× に学べ」 というような ハウ・ツー 本ばかりを読んでいるひとは、「学びかた」 に関して、なにがしかの 「法則」 でもあると思っているのかしら、、、たしかに、「序論・本論・結論」 とか 「主要概念・重要細目・例」 というような 「文の構成法」 はありますが、そんなことは中学校・高校で習ったことでしょうし、そういう基本技術のほかに 「奇術」 がある訳でもないでしょうね。基本技術を いったん習得したら、「うまずおこたらず」 学習を進めるほかに やりかた はないでしょう。作業に使う道具ばかりを吟味して、作業を実際にやらないというのは、道具の収集家にすぎないでしょうし、はたして、そうやって知り得た やりかた の 「ききめ」 など知り得ないのではないかしら。「実績」 というのは 「成績」 のことであって、もし、「定則」 を知っていても実際にやってみて、期待値以下の 「成績」 で終われば フィードバック して さらなる工夫を考える以外に やりかた はないでしょう。読書法を学習することは良いことなのですが、読書法の書物を 1冊か 2冊読んだら──いつまでも、そういう類の書物を読んでいないで──読書を実際にやる、そして、「うまずおこたらずに」 読書を続ける、これ以外に学習法はないでしょう。





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  佐藤正美の問わず語り