2004年12月16日 作成 「文献編第14章 (歴史的原典)」 を読む >> 目次 (作成日順)
2007年 9月16日 更新  


 「古典 (歴史的原典) を読むために」 に先立って、(拙著 「論理 データベース 論考」 では、) 以下の 2つの テーマ に関する文献を列挙しています。

  (1) 帰納的関数を習得するために
  (2) 選択公理を理解するために

 以上の 2つ テーマ は、いずれも、数学基礎論を本格的に学習する人たち向きなので、集合論の技術を、データ 設計のなかで、手段として使えれば良い、というのであれば、読まなくてもいいでしょう。

 さらに、本 エッセー で述べる 「古典」 も、無理して読まなくてもよいでしょう。ただ、述語論理の公理系に関する考えかたや、集合論の考えかたを、根本から理解したい、という人のために、いくつかの基本的な文献を記載しておきます。
 さて、「古典 (歴史的原典) を読むために」 のなかで記載した文献では、まず、以下の書物を読んでください。

 ● 記号論理学の基礎、ヒルベルト・アッケルマン (石井 新・竹尾治一郎 共訳)、大阪教育図書

 この書物は、絶版になっているので (もう、市販されていないので)、図書館で借りてください。前回までに、お薦めした文献を読んでいれば、この書物を読むのは、苦労しない (簡単に読むことができる)。というのは、当然のことであって、この書物は、述語論理の 1つの公理系を示して、それ以後、述語論理が、次第に整理されたのだから、現代の書物を、さきに読んで、古典を読めば、歴史的な順が逆になっていて、現代の書物を理解できれば、それに対応する源泉の概念も理解できる。現代の書物を読んでいれば、ヒルベルト・アッケルマン の書物を読んでも、目新しい概念はない。ヒルベルト が示した 「述語論理の公理系」 が、どういう体系なのか、という点を知ればよい。

 同じように、以下の文献は、述語論理の体系を作った源泉なので、それぞれの体系が、どのような考えかたを前提にしているのか、という点を知るために読めばよい。ただし、それらの文献のなかで使われている記号は、現代論理学のなかで使われている記号とちがうので、読みにくいなら、無理して読まなくてもよい。

 ● 概念記法 (「フレーゲ 著作集 1」)、フレーゲ (藤村龍雄 訳)、勁草書房
 ● プリンキピア・マテマティカ 序論、ホワイトヘッド・ラッセル (岡本・戸田山・加地 共訳)、哲学書房

 述語論理の公理系に興味がある人は、以上の 3冊 (ヒルベルト・アッケルマン、フレーゲ と ホワイトヘッド・ラッセル) を読めばよいでしょう。ただ、述語論理が、どのように作られてきたか、という点に興味がないのであれば、読まなくてもよい。

 
 同じようにして、集合論が、どのような考えかたを前提にして作られてきたのか、という点に関して興味がある人は、以下の文献を読んでください。ただし、集合論そのもの (考えかた) を知りたいと思わないのであれば、無理して読まなくてもよい。

 ● 超限集合論、カントル (功力金二郎・村田 全 共訳)、共立出版
 ● 数について、デーデキント (川野伊三郎 訳)、岩波文庫
 ● 数の概念について、ペアノ (小野勝次・梅沢敏郎 共訳)、共立出版

 
 また、ゲーデル の 「不完全性定理」 を読むのであれば、以下の書物も読んだほうがよい。

 ● 数学の基礎 (シュプリンガー 数学 クラシックス)、ヒルベルト・ベルナイス (吉田夏彦・渕野 昌 共訳)、
   シュプリンガー・フェアラーク 東京

 この書物は、論理式の 「次数と階数」 を除去して導出を扱い、形式的体系の推論図式を有限回の手続きのなかで確立して、無矛盾性を証明しようとしている。この書物を読破するには骨が折れます。この書物のなかで記述されている証明を、「一般化」 することが無理であることを、ゲーデル が (いわゆる 「不完全性定理」 として、) 証明しました。ゲーデル の論文と対比するために読むのであれば--あるいは、当時、メタ 数学として、数学の 「無矛盾性」 を証明しようとした企てが、どのような考えかたであったか、ということを知るなら--、それはそれでよいが、無理して、読まなくてもよいでしょう。 □

 



[ 補遺 ] (2007年 9月16日)

 数学の専門家はべつとして、われわれ シロート が、本 エッセー で記載した文献を読むとすれば、よほど、ロジック (論理学) あるいは数学基礎論に魅了されたひとに違いないでしょうね。そして、私は、ロジック に魅了されたので、読みました。そういうふうに書いてしまうと、時系列が逆になってしまいますね。事実は、こういう書物を読んで、次第に、ロジック に魅了されたということです。

 ただ、私は、本 エッセー のなかで記載した書物を読んだとき、それらの書物を 「読まなければならない」 という使命感に近い状態のなかで読んだのであって、決して、ロジック の魅力を感じていた訳でないことを正直に記しておきます。本 エッセー を綴ったのは、2004年 12月ですが、(本 エッセー の底本になっている 「論理 データベース 論考」 は、2000年に出版していますので、) それらの書物を読んだ時期は、2000年以前--たぶん、いまから、10年弱前のこと--だと思います。当時、私は、ロジック を魅力的な学問だと、つゆぞ、感じていなかった。TM (T字形 ER手法) の技術を ロジック の観点から検証するために、ロジック ・数学基礎論の書物を読んだのであって、義務感に近い状態のなかで読んだにすぎない。

 私が ロジック に魅力を感じはじめたのは、「論理 データベース 論考」 を出版したあとで、たぶん、本 エッセー を綴った 2004年頃のことだと思います。その頃から、本 ホームページ のなかでも、ロジック に関する記述が多くなってきたと思います。

 私が、どうして、ロジック に魅了されたかと言うと、TM を ロジック の観点から検討して、TM の技術を推敲 (改良) して、そして、改良した技術を実地に使って験証するなかで、つねに、技術の 「網羅性・検証可能性」--あるいは、技術が対象にしている データ を構成した モデル の 「網羅性・検証可能性」--を検討する際に、ロジック が極めて役立つ手段 (装置) だったからです。そして、さらに、TM を論理的意味論の観点から検討するために、「数学の哲学」 を再学習したことが--それを まとめた著作が 「赤本」 ですが--いっそう、ロジック に のめり込む後押しになったようです。

 数学基礎論には、以下の 2つの系統があるそうです。

 (1) 数学の論理的分析
 (2) 論理の数学的扱い

 私が学習しているのは、(2) のほうです。そして、ロジック は、私の仕事のなかで、極めて大切な装置として役立っています。仕事で直接に ロジック を使わない限り、本 エッセー で記載した 「原典」 を読むことは、たぶん、ないでしょう--あるいは、読みたいと思う気持ちは、まず、興らないでしょうね。

 





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