2004年 9月 1日 作成 合目的性 >> 目次 (テーマ ごと)
2008年10月 1日 補遺  


 
 或る事象を記述する 「整合的な」 モデル が 2つあれば、どちらかが、間違いである、ということではない。
 或る事象を記述する 「整合的な」 モデル が 2つあれば、、2つの モデル のあいだでは、いくつかの概念は一致するし、ほかの概念は一致しない。カルナップ 氏 (Carnap R.) は、以下の わかりやすい例を提示している。(参考)

 (1) 或る人は、すべての動物を、水棲動物、空棲動物及び陸棲動物として整理した。
 (2) 他の人は、すべての動物を、魚類、鳥類及びその他のものとして整理した。

 以上の 2つの概念整理は、或る程度、一致する。というのは、魚類は水棲動物だし、鳥類は空棲動物であるから。しかし、この 2つの整理は、きっかりに一致はしない。というのは、「鯨」 を対象にした際、(1) では、水棲動物となるが、(2) では、「その他」 になるから。

 でも、この 2つの概念整理は、それぞれ、間違いではない (それぞれの体系のなかで、矛盾が起こらない)。
 この 2つの概念整理を、同時に、使うことはできないが──というのは、両立できないから──、どちらを使うか、という点は、目的次第である。

 理論が 「整合的」 であれば、すべての事象に対して適用できるような錯覚を抱きがちになるが、理論は、或る目的を実現するために、いくつかの 「公理 (仮定)」 を前提にして作られた体系なので、目的から外れた使いかたをすれば、公理系が作用しないのは当然のことである。

 
(参考) 「意味と必然性 --意味論と様相論理学の研究--」、ルドルフ・カルナップ 作、永井成男 他訳、紀伊國屋書店、161 ページ。



[ 補遺 ] (2008年10月 1日)

 クワイン 氏は、かれの著作 「哲学事典」 のなかで、「数学症候群」 という項目を立てています。かれは、「数学症候群」 として 「努力しないふりをすること」を──その例として、「証明を突然思いついた」ことを かれは引きあいにだしていますが──非難しています。そして、その原因として、「ひと言でいえば、その症候は尊大な職業的 プライド である。この病気は往々にして数学について ひとつの事実、すなわち数学は最も精密な学であるばかりか、最も厳格な学であるという事実、より正確には この事実の広くゆきわたっている認識から生じる」 と かれは述べています。そして、このことに関連して、「ときとして数学的な優雅さと シンプル さを犠牲にしてまでも、専門用語と特殊な記号体系に覆われた内部的な偏狭さに固執する態度を育てる」 ことの例として、クワイン 氏の友人 (心理学専攻) が 或る数学者に対して 「相似」 概念を質問したときに、その数学者が応えた 「難解な」 説明を引用しています。

 ロジック を学習したひとであれば、クワイン 氏が正規の数学を修めていて、現代を代表する ロジシャン で、タイプ 理論を単純にして ML 体系を作ったことを知っているでしょう。かれは、「数学症候群」 の エッセー の冒頭で、「私の友人の中には数学者が何人かいる。私自身、大学では数学を専攻していたし、その関係で その後も ずっと、私の研究は主に数学に関するものであった。だから、偉大な数学者に対する私の畏敬は限りないものであるし、そこまでいかない何人かの数学者を限定つきではあるが純粋に尊敬している」 と述べています。

 さらに、プロ たちのあいだで、「流行のための流行を追う とくに苛立たしい例」 として 「関数」 の扱いをめぐる プロ たちの態度を かれは非難して、「今日の プロ 意識の お墨つきでしかないとしても、ともかく固持されるのである。したがって、自然な解釈と流行の解釈が併存することになり、二つの スタイル の間の コミュニケーション は骨の折れるものとなる」 と嘆いています。

 さて、2 チャンネル だか どこかの Wiki だかで、私のことを 「博士号をもっていない DQN (ドキュン、学歴がないことを云うらしいのですが)」 と誹謗していたそうです (苦笑)。私の仕事では、博士号はいらないし、私の仕事で必要とされる数学は、せいぜい、拙著「論理 データベース 論考」 で記述した程度の知識があれば足ります。そして、それを超えて数学を学習するつもりは私にはないし──なぜなら、私の仕事は データ 設計であって、データ 設計に役立つかぎりにおいて数学を学習しますが、数学そのものを専門家として学習するつもりはないのであって──、私は学術的研究者でないので博士号をとるつもりもない [ ただし、もし、私が学者の道を歩んでいれば、私は博士号をとったでしょう ]。正確さを追究することは大切なことですが、たとえば、データベース 設計では、百万 ステップ くらいの システム で扱う データ であれば、2 ヶ月 (あるいは、3 ヶ月くらい) くらいで なんらかの 「妥当な構造」 を作らなければ、その プロジェクト は事業戦略を サポート できないでしょうし、もし、クワイン 氏が苦言を呈したような 「数学症候群」 に陥っている患者が あなたの モデル に対して数学的な厳密性から観て ああだこうだと言うのであれば、それらの データ を そのひとにわたして、「2 ヶ月で、なんらかの [ そのひとの言う厳密な やりかた で ] 妥当な構造を作って下さい」 と応じれば宜しい。

 モデル は、なんらかの目的に沿って、有効性 (ききめ)・単純性 (使いやすさ)・整合性 (理論的な無矛盾性・完全性) を調整してあれば宜しいのであって、それらの どれか一つに偏った モデル は effective ではないでしょうね。

 クワイン 氏は、「数学症候群」 のなかで、以下の文も綴っています。
 「かつて ある高名な数学者が、かの偉大な ゲーデル を数学の研究機関に属していないから数学者ではないと公言していたという。」

 勿論、クワイン 氏は、この高名な数学者の この態度に対して非難しているのでしょうね。この数学者の態度に似た 「形式主義」 は──勿論、ここで云う 「形式主義」 は、数学上の 「形式主義」 のことでは毛頭ないのですが (笑)──、われわれの日常でも多々観られますね。フォン・ノイマン 氏は、さすがに、ゲーデル 氏の証明 (「不完全性定理」) そのものを まっすぐに評して、当時 学生であった ゲーデル 氏を正当に評価しています。





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