2005年 1月16日 作成 「真」 概念 (その 1) >> 目次 (テーマ ごと)
2009年 2月16日 補遺  


 
 「真」 概念には、(論理的意味論では、) 以下の 2つがある、とされている。

 (1) F-真 (事実的対象と対応して検証される 「真」 概念)
 (2) L-真 (F-真を前提にして、論理的推論のなかで、導出される 「真」 概念)

 たとえば、対象が有限個であれば──そして、いちいち、指示できるほどの個数であれば──、かつ、言明 (1つの複文) が、いくつかの単文として、構成されるのなら、言明が 「真」 であるかどうか、という点は、真理値表を使って検証することができる。

 しかし、対象が数えられないほど多数であったり、「すべての」 という量化記号が付与されたら、真理値表を使って、逐一、検証することはできない。そのために、「証明 (導出規則)」 が導入される。

 さて、「『真』 概念が、『事実的対象との対応』 のなかで検証される」 ことを定義した人物が、タルスキー (Tarski, A.) 氏である [ 「ベーシックス」40ページ を参照されたい ]。「真」 概念は、メタ 言語のなかに属する。メタ 言語に属する 「真」 概念を、同時に、対象言語のなかにも使えば、パラドックス が起こる。つまり、自然言語のなかで、「真」 概念を定義することはできないことを、タルスキー 氏は証明した。

 いっぽう、ウィトゲンシュタイン 氏は、タルスキー 氏の 「メタ 言語」 をいう考えかたを、終始──前期(「論理哲学論考」) も、後期 (「哲学探究」) も──、排斥した。ウィトゲンシュタイン 氏によれば、「真あるいは偽」 という言いかたは、「事実と一致する、あるいは、一致しない」 と言っているように思われるので、妥当ではない、ということである。ウィトゲンシュタイン 氏が論点にしたのは、まさに、「この 『一致』 が、虚構である」 という点であった。

 「命題が、真あるいは偽である、という言いかたは、それに、「賛成する、あるいは、反対する」 余地がある、ということを示しているにすぎない。モノ が、いかなる モノ であるか、という点は、対応する語の文法的使用のなかで記述される (成立する)。対象的事実のなかに、あらかじめ、「構造」 が潜んでいることを前提した 「発見の企て」 を、ウィトゲンシュタイン 氏は反対する。

 T字形 ER手法は、ウィトゲンシュタイン 氏の 「言語の使用説」 を立脚点にしている。「言語の使用説」 に立つならば、個々の システム・エンジニア が体得している認知力を頼るのではなくて、事業過程 (正確には、管理過程) という制度のなかで成立している 「合意」 概念を、T字形 ER手法は立脚点にしている。



[ 補遺 ] (2009年 2月16日)

 数学上の 「完全性」 は、「意味論的な 『恒真』 が構文論的な 『証明可能性』 と同値である」 ことを云います──このことを 「完全性定理」 と云います。厳密に言えば、「完全性」 と 「健全性」 という ふたつの概念があるのですが、それらを説明するために、以下の概念を まず定義しておきます。

 (1) 「意味論的に帰結する」
 (2) 「構文論的に帰結する」

 「意味論的に帰結する」 というのは、論理式の集合 Τ に帰属する すべての式を真とするような 「解釈」 において、或る式 φ も真とされるなら、φ は Τ から帰結するということです。すなわち、「意味論的に帰結する」 というのは 「解釈」 上の概念です。
 「構文論的に帰結する」 というのは、Τ に帰属する式と或る式 φ が ロジック (命題論理あるいは述語論理) の公理系 P としたときに、P の公理と Τ の式から φ を導き出すことができるならば、φ は Τ から帰結するということです。すなわち、「構文論的に帰結する」 というのは、φ は Τ から演繹的に式変形で証明されるということです。

 さて、「(1) → (2)」 を 「完全性」 と云い、「(2) → (1)」 を 「健全性」 と云います。そして、それらの それぞれの外延が一致したとき、「妥当な推論」 と云います。「完全性」 と 「健全性」 をいっしょにして、単に 「完全性」 と云うことが多いようです。或る公理系 P に関して、「完全性」 と 「健全性」 を証明する手続きが 「完全性証明」 と云われ、証明された定理を 「完全性定理」 と云います。

 恒真命題 (トートロジー)──たとえば、無矛盾な 「定理」── を、「解釈」 上、真とすれば、意味論的な 「恒真」 が構文論的な 「証明可能性」 と同値になることは、なんとなく直観的に感じられるのですが、きちんと証明するとなれば、なかなか難しい手続きになります──命題論理の完全性は、1921年に ポスト 氏が証明し、述語論理 (第一階の述語論理) の完全性は 1930年に ゲーデル 氏が証明しました。

 「完全性」 と 「健全性」 を (恒真命題ではなくて、) 現実的事態──現実的事態を自然言語で記述した文──に適用したときに争点になるのが、「(1) → (2)」 の手続きです。すなわち、恒真命題のように論理式の集合 Τ に帰属する すべての式を真とするような 「解釈」 が存在しないという点が、現実的事態を対象にして モデル を構成するときに遭遇する難点です。ウィトゲンシュタイン 氏は、当初、「複合命題と要素命題」 という概念を使って、現実的事態にも 「完全性」 が成立すると考えていました (かれの 「論理哲学論考」 が それを語っています)。しかし、かれは、「要素命題」 を 「完全な文」 として考えていて、「理想的な人工言語」 を前提にして考えていました。かれは、後に、この考えかたには無理があることに気づいて──たとえば、「要素命題」 の前提など──、自然言語を前提にして 「意味」 の現れかたを考え直しました (かれの 「哲学探究」 が それを記しています)。自然言語を前提にすれば、自然言語は 「使いかた」 のなかで 「意味」 が現れます──そして、この 「使いかた」 のなかで現れる 「意味」 が どのようにして 「解釈」 されるのかを丁寧に検討したのが 「哲学探究」 です。かれは、「哲学探究」 のなかで、「(語の) 意味」 は生活様式を前提にした 「合意」 のうえで伝達されることを 「言語 ゲーム」 という概念で示しました。

 さて、自然言語を対象にして モデル を構成する際に、構文論的な 「健全性」 (「(2) → (1)」) は モデル であるかぎり実現しなければならないし──文法 (推論規則) に従うかぎり実現できるのですが──、争点になるのは 「完全性」 (「(1) → (2)」) です。恒真命題と同じ接近法を適用することは、上述したように、できない。そのために私が導入した やりかた は、ウィトゲンシュタイン 氏の後期哲学 (「哲学探究」) の考えかたを前提にして、モデル 作成の手続きを以下のように整える やりかた でした。

   「合意」 された認知 → 「L-真」 の構成 → 「F-真」 の験証

 この手続きは、私の単なる思いつきではなくて、上述したように、「完全性」 と 「健全性」 を (自然言語に対して適用する際に、) 配慮して、言語哲学・数学基礎論の セオリー から外れないように整えました。





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