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 ●  エドガール・ドガ (画家) のことば

  デッサン は物の形ではない。デッサン は物の形の見方である。

 

 ●  小林秀雄 (文芸評論家) のことば

  誰も思想の 或る型など信じて生きているわけではない。 又、生きられもしない。 理解するという事と信ずるという事は、人間が別々の言葉を幾時の間にか必要としていた その事が語っている通り、全く性質の違った心の働きである。 人間は、万人流に いくらでも理解するが、自己流にしか決して信じない。


/ 2007年 1月 1日 /  ページ の トップ /
 


 ●  ボードレール (詩人) のことば

  美を表現しようとつとめる人間が、審査委員先生の規則なるものを拳々服贋したとすれば、美そのものが地上から消え去る羽目になるだろうことは、だれにだって簡単に解ることだ。

 

 ●  世阿弥元清 (能役者) のことば

  そもそも、能批判といふに、人の好みまちまちなり。しかれば、万人の心に合はんこと、左右 (さう) なくありがたし。さりながら、天下におし出されん達人を以て、本とすべし。


/ 2007年 1月16日 /  ページ の トップ /
 


 ●  レーニン (政治家) のことば

  しかし たびたび 音楽を聴くことはできません。神経に影響して、愛すべき愚にもつかぬことを言いたくなったり、汚い地獄に住んでいながら、こんな美しいものを創ることのできるひとびとの頭をなでてやりたくなったりするんでね。

 

 ●  小林秀雄 (文芸評論家) のことば

  人は如何にして批評というものと自意識というものを区別し得よう。彼 (ボードレール) の批評の魔力は、彼が批評するとは自覚する事である事を明瞭に悟った点に存する。批評の対象が おのれであると他人であるとは一つの事であって二つの事ではない。批評とは畢に己れの夢を懐疑的に語る事ではないのか !


/ 2007年 2月 1日 /  ページ の トップ /
 


 ●  アラン (哲学者) のことば

  名観客になるのには、おそらく 名優になるくらいの時間がかかる。

 

 ●  荻生狙徠 (儒学者) のことば

  自分より見え申さざる内は批評も無益に候。


/ 2007年 2月16日 /  ページ の トップ /
 


 ●  ボアロー (詩人) のことば

  作品は少数の文学通から賞讃を浴びせられても駄目である。人間一般の趣味を刺激するに足る或る種の面白味と塩味がないならば、けっして よい作品として通用しまい。その面白味、塩味とは、主として、読者に真実の思想と正確な表現を提供することに存する。

 

 ●  吉田兼好 (歌人) のことば

  天下の物の上手といへども、始めは不堪の聞えもあり、無下の瑕瑾もありき。されども、その人、道の掟正しく、これを重くして放埒せざれば、世のはかせにて、万人の師となる事、諸道かはるべからず。


/ 2007年 3月 1日 /  ページ の トップ /
 


 ●  レオナルド・ダ・ヴィンチ (画家、彫刻家) のことば

  知ることが愛することだ。

 

 ●  松尾芭蕉 (俳人) のことば

  およそ天下に師たるものは、まづ おのが形、くらゐをさだめざれば、人おもむく所なし。


/ 2007年 3月16日 /  ページ の トップ /
 


 ●  ヴァレリー (詩人) のことば

  いかに じぶんを知らないか、じぶんの書いたものを読みかえして初めて気がつく。

 

 ●  荻生狙徠 (儒学者) のことば

  されば、見聞広く事実に行わたり候を、学問と申事に候故、学問は歴史に極まり候事に候。古今和漢へ通じ申さず候へば、此国今世の風俗之内 (うち) より、目を見出し居り候事にて、誠に井の内の蛙に候。


/ 2007年 4月 1日 /  ページ の トップ /
 


 ●  ジューベール (批評家) のことば

  無為は精神にとって、勤勉におとらず必要である。物を書きすぎれば精神を破産させることになるし、書かずにいれば錆がつく。

 

 ●  有島武郎 (小説家) のことば

  愛の表現は惜みなく与えるだろう。しかし愛の本体は惜みなく奪うものだ。


/ 2007年 4月16日 /  ページ の トップ /
 


 ●  モンテーニュ (批評家) のことば

  子どもの教育については、勉学の欲望と興味とを喚起することが いちばんである。さもないと書物を背負った驢馬を養うことに終わってしまう。

 

 ●  林 語堂 (言語学者) のことば

  現在の教育制度が大量教育であり、従って工場同様であり、工場内で起ることは何事によらず、生命のない、機械的 システム によらなければならない。学校名を守り、製品を標準化するために、学校は卒業証書を発行して製品の証明をしなければならない。


/ 2007年 5月 1日 /  ページ の トップ /
 


 ●  ゲーテ (詩人) のことば

  人を教えようとするものは、じぶんの知っている最上の知識を しばしば黙ってすませることはできる。しかし生半可であることは許されない。

 

 ●  林 語堂 (言語学者) のことば

  教養のある人とか、理想的に教育された人というのは、必ずしも多読の人、博学の人のことではなく、事物を正しく愛好し、正しく嫌悪する人のことである。


/ 2007年 5月16日 /  ページ の トップ /
 


 ●  エッシェンバッハ (小説家) のことば

  じぶんの幼年時代のことを はっきりと記憶していないような者は、悪い教育者である。

 

 ●  森 鴎外 (小説家) のことば

  帽は脱いだが、辻を離れて どの人かの跡に附いて行こうとは思わなかった。多くの師には逢ったが、一人の主 (しゆ) には逢わなかったのである。


/ 2007年 6月 1日 /  ページ の トップ /
 


 ●  ジャン・パウル (小説家) のことば

  教科書のなかには、いつも何かいい事が書かれているのに、いい教師に めったに出会わないのは、どういうわけだろうか。

 

 ●  伊藤東涯 (儒学者) のことば

  凡そ書を読むに流覧十過は熟読一過に如かず。


/ 2007年 6月16日 /  ページ の トップ /
 


 ●  ファーブル (昆虫学者) のことば

  独学にも それ相応の価値がある。
  野生の果実も熟せば、温室の果実とは べつの風味がそなわる。

 

 ●  紫式部 (女流作家) のことば

  昔も今も、物念じして のどかなる人こそ、さいはひは見果て給ふなれ。


/ 2007年 7月 1日 /  ページ の トップ /
 


 ●  ジード (小説家) のことば

  じぶんに もっと理解力がないことを苦痛に感じるためには、すでに相当の理解力がなくてはならない。馬鹿ほど自惚の強いものはない。

 

 ●  林 語堂 (言語学者) のことば

  どんな形式にせよ、人間の知識を考査したり測定したりできるという考え方は捨てなければならない。


/ 2007年 7月16日 /  ページ の トップ /
 


 ●  バーナード・ショウ (劇作家) のことば

  馬鹿な人間が気恥ずかしいことをやっているとき、そいつは いつでも、これが義務なんだ と断言する。

 

 ●  森 鴎外 (小説家) のことば

  しかし わたくしは 学殖なきを憂うる。常識なきを憂えない。天下は 常識に富める人の多きに堪えない。


/ 2007年 8月 1日 /  ページ の トップ /
 


 ●  ゲーテ (詩人) のことば

  一面的な教養は教養とは言えない。ひとは一つの点から出発しなければならないが、しかし多くの面に向かって進まなくてはならない。

 

 ●  保元物語 (軍記物語) のことば

  烏滸 (をこ) の高名は為 (せ) ぬに如かず。


/ 2007年 8月16日 /  ページ の トップ /
 


 ●  ベンジャミン・フランクリン (政治家) のことば

  幸福になるためには、二つの道がある。
  欲望を減らすか、持ち物を ふやすかである。
  どちらでも よろしい。

 

 ●  紫式部 (女流作家) のことば

  心浅げなる人まねどもは、見るにも からはらいたくこそ。


/ 2007年 9月 1日 /  ページ の トップ /
 


 ●  ジード (小説家) のことば

  幸福になる秘訣は、快楽を得ようと ひたすら努力することではなく、努力そのもの のなかに快楽を見出すことである。

 

 ●  吉田兼好 (歌人) のことば

  つれづれわぶる人は、いかなる心ならむ。まぎるる方なく ただ一人あるのみこそよけれ。


/ 2007年 9月16日 /  ページ の トップ /
 


 ●  ラ・ロシュフコー (批評家) のことば

  われわれは皆、他人の不幸を黙って見ていられるほど気が強い。

 

 ●  本居宣長 (国学者) のことば

  うまき物くはまほしく、よききぬきまほしく、よき家にすままほしく、たからえまほしく、人にたふとまれまほしく、いのちながからまほしくするは、みな人の真心也。


/ 2007年10月 1日 /  ページ の トップ /
 


 ●  ドストエフスキー (小説家) のことば

  こちらが不幸の どん底にいるとき、それは お前が こんな ヘマ をやったからだと親しい友人に指摘されることくらい やりきれないことはない。

 

 ●  与謝蕪村 (俳人) のことば

  得たきものは強ひて得たるがよし。見たきものは つとめて見るがよし。また重ねて見べく得べき折もこそと、等閑 (なほざり) に過ごすべからず。重ねて本意 (ほい) とぐることは極めて難きものなり。


/ 2007年10月16日 /  ページ の トップ /
 


 ●  モンテルラン (小説家) のことば

  不幸は殆ど いつでも、人生に対する誤った解釈の しるし である。

 

 ●  貝原益軒 (儒学者) のことば

  知つて行はざるは知らざるに同じ。


/ 2007年11月 1日 /  ページ の トップ /
 


 ●  バートランド・ラッセル (哲学者) のことば

  不幸な人間というものは、眠るのが下手な人が不眠を自慢にするのと同じで、いつも自分が不幸であるという事実を自慢にしている。

 

 ●  芥川龍之介 (小説家) のことば

  人間の心には矛盾した二つの感情がある。もちろん、だれでも他人の不幸に同情しない者はない。ところが その人が不幸を、どうにかして切り抜けることができると、今度は こっちで なんとなく物足りないような心持がする。少し誇張して言えば、もう一度その人を、同じ不幸に おとしいれてみたいような気にさえなる。そうして いつの間にか、消極的ではあるが、ある敵意を その人に対していだくようなことになる。


/ 2007年11月16日 /  ページ の トップ /
 


 ●  キーツ (詩人) のことば

  人生は バラ の花の希望、ただし咲かない間だけの。

 

 ●  武田信玄 (戦国時代の武将) のことば

  為せば成る、為さねば成らぬ成る業 (わざ) を、成らぬと捨つる人のはかなさ。


/ 2007年12月 1日 /  ページ の トップ /
 


 ●  カーネギー (実業家) のことば

  好機に出会わない人間なんぞ一人もない。それを捕ええなかったというまでだ。

 

 ●  西行 (歌人) のことば

  惜しむとて惜しまれぬべき此の世かは身を捨ててこそ身をも助けめ。


/ 2007年12月16日 /  ページ の トップ /

[ END ]


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