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 ●  トルストイ (小説家) のことば

  清い心をもった人間はこの世で成功することはない。

 

 ●  井原西鶴 (小説家) のことば

  福福祈る商人の家に世の無常を観じ人のなげきにかまふ事なかれ。


/ 2010年 1月 1日 /  ページ の トップ /


 ●  シラー (詩人) のことば

  野心の誘惑に のるな。

 

 ●  二宮尊徳 (篤農家) のことば

  商法は、売りて悦び、買ひて悦ぶ様にすべし。
  売りて悦び、買ひて喜ばざるは、道にあらず。
  買ひて喜び、売りて悦ばざるも道にあらず。
  賃借の道も亦同じ。
  借りて喜び、貸して喜ぶ様にすべし。


/ 2010年 1月16日 /  ページ の トップ /


 ●  プーシキン (詩人) のことば

  失敗の達人というものはいない。ひとは誰でも失敗の前には凡人である。

 

 ●  二宮尊徳 (篤農家) のことば

  汝売買をなすとも必ず金を設 (まう) けんなどと思ふべからず。只商道の本意を勤めよ。


/ 2010年 2月 1日 /  ページ の トップ /


 ●  ヒルティ (哲学者) のことば

  あらゆる野心家のうち、教養ある者が最も不幸である。かれらが、まだ攀 (よ) じ登ろうとする梯子の下段にあるときは、上段い立つひとに対する嫉妬にさいなまれる。これはあらゆる感情のなかの最も惨めなもので、いちばん卑しいものに見える。かれらが梯子のやや上段に立つならば、後進者にたいする恐怖の念に絶えず苦しめられる。のみならず、成功の機会もまたけっして多くはない。十人の野心家のうち、たかだかひとりがその希うところの目的を達するにすぎぬ。

 

 ●  中江兆民 (思想家) のことば

  それ商徳とも称すべきは機敏と信用と耐忍との三の者なり、然れども之を口に知りて心に知らざるの輩世間甚だ多し、(略) この三徳具はりて始めて真商の冠詞を蒙らしむことを得べし。


/ 2010年 2月16日 /  ページ の トップ /


 ●  アラン (哲学者) のことば

  野心家というものは、類のない幸福が手にはいると思って、つねに なにものかを追いまわしている。だが その男の主な幸福は忙しいということである。

 

 ●  中江兆民 (思想家) のことば

  おもふに商業なるものは山師的営業にあらずして信用的正業なり。それ信をもつて本尊とするは商業の右に出づるものあらず。


/ 2010年 3月 1日 /  ページ の トップ /


 ●  ラ・ロシュフコー (批評家) のことば

  大きな仕事を企てる場合には、機会をつくり出すことよりも、目前の機会を利用するように努めるべきである。

 

 ●  司馬遷 (歴史家) のことば

  利は智をも昏 (くら) からしむ。


/ 2010年 3月16日 /  ページ の トップ /


 ●  ゲーテ (詩人) のことば

  人間は じぶんのおかれた境遇に満足していることが なんと少ないのだろう。みんな じぶんの隣人の境遇を好ましく思っているのだが、その隣人のほうも、おなじように、なんとかして じぶんの境遇から抜け出したいと思っているのだ。

 

 ●  有島武郎 (小説家) のことば

  愛を優しい力と見くびったところから生活の誤謬は始まる。


/ 2010年 4月 1日 /  ページ の トップ /


 ●  チャーチル (政治家) のことば

  金持は (国家の) 財源としては貴重だが、社会の健全な状態にとってはかならずしも欠くべからざるものではない。しかし、それがねたましいからというので金持が追い払われる社会も、健全な状態ではない。

 

 ●  有島武郎 (小説家) のことば

  恋人の耳にささやかれる言葉はいつでも流暢であるためしがない。心から心に通うためには、何という不完全な乗物に私達は乗らねばならぬのだろう。


/ 2010年 4月16日 /  ページ の トップ /


 ●  シドニー・スミス (宗教家) のことば

  貧乏人は ひとの恥ではない、しかし ひどく不便なものである。

 

 ●  有島武郎 (小説家) のことば

  僕は死ぬまで心の delicacy を失うまいと思うものだ。繊細とか何とか訳されるために、この大きな一つの力は、著しく誤解されている。働きの細かいことが力の弱いことではない、と言っても心の delicacy を失った奴等には依然として分らないのだから仕方がない。


/ 2010年 5月 1日 /  ページ の トップ /


 ●  クィンティリアヌス (修辞学者) のことば

  事をおこなうにあたって、いつから始めようかなどと考えているときには、すでにおくれをとっているのである。

 

 ●  有島武郎 (小説家) のことば

  私は私のもの、私のただ一つのもの。


/ 2010年 5月16日 /  ページ の トップ /


 ●  アウソニウス (詩人) のことば

  たいへんな仕事だと思っても、まず、とりかかってごらんなさい。仕事に手をつけた、それで半分の仕事は終わってしまったのです。ところで、まだ後半分が残っていますね。もう一度、とりかかってごらんなさい。それで、ほら仕事はでき上がってしまいましたよ。

 

 ●  有島武郎 (小説家) のことば

  広さと幅と高さとを点は持たぬと幾何学は私に教える。私は永劫に対して私自身を点に等しいと思う。永劫の前に立つ私は何ものでもないだろう。それでも点が存在する如く私も亦永劫の中に存在する。


/ 2010年 6月 1日 /  ページ の トップ /


 ●  シェークスピア (劇作家) のことば

  ほどよい頃に起きて、好きな仕事を、愉快にやりにいこう。

 

 ●  有島武郎 (小説家) のことば

  思えばそれは淋しい道である。最も無力なる私は私自身にたよるほかの何物をも持っていない。


/ 2010年 6月16日 /  ページ の トップ /


 ●  ナポレオン 一世 (フランス 皇帝、軍人) のことば

  私はつねに仕事をし、非常に瞑想します。私が、いつもすべてのことに答え、すべてのことに直面しようと待ちかまえているように見えるのは、何かをくわだてる前に、長い間瞑想し、起るかもしれない事を予見しているからです。他人にとって思いがけない場合に、じぶんの言うべきことなすべきことを、突如として啓示してくれるのは天才ではなく、熟慮であり、瞑想なのです。私はつねに仕事をします。晩餐のさいにも、劇場でも。夜は、目がさめると仕事をします。

 

 ●  有島武郎 (小説家) のことば

  凡ての矛盾と混沌の中にあって私は私自身であろう。私を実価以上に値ぶみすることをしまい。私を実価以下に虐待することもしまい。私は私の正しい価の中にあることを勉めよう。私の価値がいかに低いものであろうとも、私の正しい価値の中にあろうとするそのこと自身は何物かであらねばならぬ。


/ 2010年 7月 1日 /  ページ の トップ /


 ●  ユゴー (小説家) のことば

  思いに耽けることは禁物。長く時間のかかる仕事にうち込むことである。たゆまぬ仕事の習慣ほどいつも利益するものはない。それは魂を麻痺させる阿片からわれわれを救ってくれる。

 

 ●  有島武郎 (小説家) のことば

  この近道らしい迷路を避けなければならないと知ったのは、長い彷徨を続けた後のことだった。


/ 2010年 7月16日 /  ページ の トップ /


 ●  ヒルティ (哲学者) のことば

  人間の幸福の最大部分は、たえず継続される仕事と、これに基く祝福とから成っている。そしてそれが、最後に仕事を愉楽に変ずるものである。人間の心は、その真正の仕事を見出したときほど、愉快な気分になることはない。諸君は幸福でありたいと希うならば、何よりもまず仕事を始め給え。失敗の生涯はたいてい、そのひとが全然仕事を持たないか、仕事が少なすぎるか、あるいは正当な仕事を持たぬということにその根本原因がある。ただしわれわれは、仕事をば、じぶんの仕える偶像にしてはならない。むしろ仕事をもって真実の神に仕えねばならぬ。これを顧みないひとは皆、老年に至って精神あるいは肉体の錯乱衰弱いおちいるのである。

 

 ●  有島武郎 (小説家) のことば

  それは感激なくして書かれた詩のようだ。


/ 2010年 8月 1日 /  ページ の トップ /


 ●  トマス・デッカー (劇作家) のことば

  せっせと働け、せっせ、せっせ、せっせと、正直に働くと愛らしい顔になる。

 

 ●  有島武郎 (小説家) のことば

  何という多趣多様な生活の相だろう。それはそのままで尊いではないか。そのままで完全な自然な姿を見せているではないか。(略) 主義者といわれる人の心を私はこの点において淋しく物足らなく思う。彼れは自分が授かっただけの天分を提げて人間全体をただ一つの色に塗りつぶそうとする人ではないか。その意気の尊さはいうまでもない。しかしその尊さの蔭には尊さそのものを凍らせるような淋しさが潜んでいる。


/ 2010年 8月16日 /  ページ の トップ /


 ●  ビュルガー (詩人) のことば

  私の格言はこうだ──神を信じ、けなげに働き、まっすぐに生きよ。

 

 ●  有島武郎 (小説家) のことば

  偽善者なる私にも少しばかりの誠実はあったといえるかも知れない。けれども少なくとも大胆ではなかった。私は弱かったのだ。(略) 彼れ (佐藤正美 註、ニーチェ のこと) も亦弱い人の通性として頑固に自分に執着した。


/ 2010年 9月 1日 /  ページ の トップ /


 ●  ヒルティ (哲学者) のことば

  小さい時間の断片の利用。多くのひとびとは仕事にかかる前に、なにものにも妨げられない広大無辺の時間の大原野を常に眼の前に持とうとするから、だからこそかれらは時間を持たないのだ。実に、この小時間の利用と、「今はまだ着手しても駄目だ」 という考えをとり除くことが、或るひとの生涯の業績の半ばを形成するといってもさしつかえないくらいである。

 

 ●  有島武郎 (小説家) のことば

  何故お前はその立場に立つのだと問われるなら、そうするのが私の資質に適するからだというほかには何等の理由もない。私には生命に対する生命自身の把握ということが一番尊く思われる。即ち生命の緊張が一番好ましいものに思われる。


/ 2010年 9月16日 /  ページ の トップ /


 ●  ドストエフスキー (小説家) のことば

  いま私はやっと五十五歳でまだ男の部類に属するが、これから先二十年くらいはまだまだ男の部類にはいっていたいものだ。だがそんな汚らしい老人には、だれも喜んで寄りそってはくれないだろう。さてそこで必要になってくるのが金である。 (「カラマーゾフ の兄弟」)

 

 ●  有島武郎 (小説家) のことば

  人間の生命的過程に智情意というような区別は実は存在していないのだ。生命がある対象に対して変化なく働き続ける場合を意志と呼び、対象を変じ、もしくは力の量を変化して生命が働きかける場合を情といい、生命が二つ以上の対象について選択をなす場合を智と名づけたに過ぎないのだ。人の心的活動は三頭政治の支配を受けているのではない。もっと純一な統合的な力によって総轄されているのだ。(略) 虹彩を検する時、赤と青と黄との間に無限数の間色を発見するのと同一だ。(略) 分解された諸色をいかに研究しても、それから光線そのものの特質の全体を知悉 (ちしつ) することはできぬと同様に、智情意の現象を如何に科学的に探究しても、心的活動そのものを掴むことは思いもよらない。


/ 2010年10月 1日 /  ページ の トップ /


 ●  ゲーテ (詩人) のことば

  じぶんが経験したことは、理解もしている、と思いこんでいる人間が沢山いる。

 

 ●  有島武郎 (小説家) のことば

  私はまた平安を欲すると共に進歩を欲する。潤色 (Elaboration) を欲すると共に創造を欲する。平安は既存の事態の調節的持続であり、進歩は既存の事態の建設的破棄である。色は在るものをよりよくすることであり、創造は在らざりしものをあらしめることである。私はその一方にのみ安住しているに堪えない。私は絶えず個性の再造から再造に飛躍しようとする。しかるに知的生活は私のこの飛躍的な内部要求を充足しているか。


/ 2010年10月16日 /  ページ の トップ /


 ●  ホフマンスタール (詩人) のことば

  「経験」 の概念に関しては二種類の不愉快なひとびとがある。
  経験のないひとびとと、経験をあまりに自慢するひとびとと。

 

 ●  有島武郎 (小説家) のことば

  知的生活の出発点は経験である。 経験とは要するに私の生活の残滓である。 それは反省──意識のふりかえり──によってのみ認識せられる。(略) 即ち智識も道徳も既存の経験に基いて組み立てられたもので、それがそのまま役立つためには、私の生活が同一軌道を繰返えし繰返えし往来するのを一番便利とする。(略) だからもし私がこの種の生活にのみ安住して、社会が規定した智識と道徳とに依拠していたならば、恐らく社会から最上の報酬を与えられるだろう。 そして私の外面的な生存権は最も確実に保証されるだろう。


/ 2010年11月 1日 /  ページ の トップ /


 ●  ゴーリキー (小説家) のことば

  取引は戦争も同じで、生きるか死ぬかの勝負である。相手の財布に じぶんの生命をかける戦争である。

 

 ●  有島武郎 (小説家) のことば

  無元から二元に、二元から一元に、保存から整理に、整理から創造に、無努力から努力に、努力から超越力に、これらの各の過程の最後のものが今表現せらるべく私の前にある。


/ 2010年11月16日 /  ページ の トップ /


 ●  アラン (哲学者) のことば

  処世術というものは、なによりもまず、じぶんのした決心やじぶんのたずさわっている仕事について文句を言わないことだろう。

 

 ●  有島武郎 (小説家) のことば

  ある人が純粋に本能的の動向によって動く時、誤まって本能そのものの歩みよりも更に急ごうとする。そして遂に本能の主潮から逸して、自滅に導く迷路の上をまっしぐらに馳せ進む。そして遂に何者でもあらぬべく消え去ってしまう。それは悲壮な自己矛盾である。彼れの創造的意向が彼れを空しく自滅せしめる。知的生活の世界からこれを眺めると、一つの愚かな蹉跌として眼に映ずるかも知れない。たしかに合理的ではない。またかかる現象が知的生活の渦中に発見された場合には道徳的ではない。しかしその生活を生活した常体なる一つの個性にとっては、善悪、合理非合理の閑葛藤を挿むべき余地はない。かくばかり緊張した生活が、自己満足を以て生活された、それがあるばかりだ。


/ 2010年12月 1日 /  ページ の トップ /


 ●  シュランベルジェ (小説家) のことば

  世のさまざまな享楽や虚栄の満足を棄て去り、じぶんの好むことにのみ専念するという最高の贅沢をじぶんに与えること、この選択こそ、極めて思慮のある処世術であろう。

 

 ●  有島武郎 (小説家) のことば

  利は行為或は結果を現わす言葉で、愛は動機或は原因を現わす言葉である。


/ 2010年12月16日 /  ページ の トップ /

[ END ]


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