2002年12月 1日 作成 辞書の使いかた (日本語の類語辞典) >> 目次 (作成日順)
2008年 1月 1日 補遺  


 
 TH さん、きょうは、類語辞典の使いかたをお話しましょう。

 類語辞典は 「ことば の言い換えのために」 使うのが一般的でしょうが、「概念を整理するために」 使うこともできます。
 類語辞典には以下の 2つの種類があります。

 (1) 「ことば の言い換え用の」 辞典
 (2) 「概念整理用の」 辞典

 以前の ホームページ のなかで──「辞書の使いかた (国語辞典)」 (118 ページ)──、小生が多用している類語辞典 (のいくつか) を掲載しましたが、当然、複数冊の類語辞典を使っています。
 「ことば の言い換え用の」 辞典として小生が多用している類語辞典は以下の辞書です。

 (1) 必携 類語実用辞典、武部良明 編、三省堂
 (2) ハンディ 版 類語辞典、類語辞典編集委員会、柏書房
 (3) 類語辞典、広田栄太郎・鈴木棠三 編、東京堂出版

 「ことば の言い換え用の」 辞書を小生は多用するので、扱いやすい版形の小さい冊子を使っています。ちなみに、「必携 類語実用辞典」 は EBXA 版を使っています (電子 ブック 版を パソコン のなかに収録して使っています)。(参考)

 「ことば の言い換え用の」 辞書の使いかたを具体的にお話しましょう。
 前述した文章のなかで、小生は、すでに、一回、「必携 類語実用辞典」 を使っています。
 類語辞典を使った文章は、以下の文章です。

 「『ことば の言い換え用の』 辞書を小生は多用するので、扱いやすい版形の小さい冊子を使っています。」

 この文を綴ろうとして、最初に頭に浮かんだのは以下の文でした。
 「『ことば の言い換え用の』 辞書を小生は多用するので、扱いやすい版形の小さいものを使っています。」

 「小さいもの」 という記述が気になったので──というのは、「もの」 という記述は、最大限に抽象化された ことば ですから、事物や事象のすべてに適用することができるので、「もの」 という ことば を安直に使えば、思考が杜撰になったような気がしたので──、「もの」 という ことば を言い換えようとしたのですが、的確な概念が浮かばなかったので、類語辞典を使いました。書籍・文献について綴っているので、類語辞典 (「必携 類語実用辞典」) を使って、「本」 を調べました。以下の類語が記載されています。

  書 (しょ) 書 (ふみ) ブック 書物 書籍 図書 典籍 文献 書誌 書巻 書冊 草紙 冊子 (以下、省略)

 「使いやすい版形の小さい」 というふうに綴っていますから、以上の類語群のなかから 「冊子」 を選びました。
 このようにして、類語辞典は 「的確な」 概念を選ぶために使うのですが、そういう使いかたを応用すれば、「文体」 自体を変形することができます。たとえば、以下の文章を例にして類語辞典を使ってみましょう。

 「もし、T字形 ER手法が重視する 『規則準拠性』 と数学が要求する 『規則準拠性』 が同じ性質なら、T字形 ER手法が独自に立脚できる正当性はない (数学のやりかたに従えばよい)。」 (拙著、「論理 データベース 論考」 の序文)

 まず、類語辞典 (「必携 類語実用辞典」) を使って 「重視」 を調べてみましょう。
 類語辞典では、「おもんじる」 を参照されたいとなっていたので、「おもんじる」 を調べました。
 以下の類語が記載されています。

 <--> 軽んじる 敬う <人名・名誉--を> 貴 (たっと) ぶ 貴 (とうと) ぶ 大切にする 尊重 尊崇 (以下、省略)

 さて、以上の類語のなかから、もし、「大切にする」 という概念を使うとすれば、前述の文は、以下のように大幅に変形することになるでしょう。

 「T字形 ER手法では、『規則に従う』 という点を大切にしているが、『規則に従う』 ということが、云々」

 以上の 2つの文を比べてみれば、それぞれの文が与える余韻は違ってくるでしょう。
 実は、執筆の当初、「規則に従う」 と 「大切にする」 という ことば が小生の頭のなかに浮かんだのですが、「大切にする」 ということば を使えば文が緩慢になるので、「『規則に従う』 という点」 を凝縮して記述するために (類語辞典を使わなかったのですが) 「規則準拠性」 という ことば を使いました。

 日頃から、類語辞典を使って、ことば の言い換えをやっていれば、概念を融通 (遣り繰り) できるようになるでしょう。
 しかも、「概念整理用の」 類語辞典もあります。
 「概念整理用の」 類語辞典として、以下の辞書を小生は愛用しています。

 日本語語彙体系、NTT コミュニケーション 科学基礎研究所・岩波書店

 この辞典は、類語を記載して、かつ、類語を カテゴリー に分類しているという点が特徴です。
 たとえば、「愛」 を調べてみたら、以下のような カテゴリー のなかで扱われています。
 1253 感情 [ /1名詞/1000抽象/1235事/1236人間活動/1237精神 ]

 そして、感情のなかで、以下の概念が扱われています。

 1254 情緒
  (興奮・鎮静、苦楽、悲喜、怒り、驚き、恐れ
 1267 自我感情
  (安心・心配、満足・不満、焦燥・くつろぎ、狼狽・落ち着き、自尊・卑下、虚栄、奢り・慎み、栄辱
 1297 対人感情
  (人情、好悪、愛憎、親疎、善意・悪意、同情・嫉妬、恩・恨み、尊敬・軽蔑、尊重・無視等、感謝・ひがみ、信用・不信用、奉仕・私心
 1337 情操
  (感動、賛美、憧憬

 「情緒と情操」 の分類や、「自我感情と他人感情」 の分類は見事ですね。
 そして、「愛憎」 のなかで、「愛」 の類語・関連語として 160 語が記載されています。

 「愛」 について文を綴りたければ、この類語辞典を調べて、「どのような」 愛について綴ればよいのかという示唆を得ることができます。つまり、「愛」 という最上階の抽象語を使って虚空を掴むような・とりとめのない 「一般論」 を綴るような泥沼に陥らないで、主題を具体化できます

 類語辞典を使って概念を選び、国語辞典を [ ピン 止めのように ] 使って(選んだ概念に定義を与えて、文のなかに) ことば を貼る、というのが文章を綴る際の日本語辞書の使いかたでしょうね。
(英語の類語辞典 [ thesaurus ] も、同じような使いかたをすればよいでしょう。]

 
(参考) 「必携 類語実用辞典」 は、三省堂社の辞書 11冊が納さめられている EBXA 版のなかに収録されています。

 



[ 読みかた ] (2008年 1月 1日)

 たぶん、私は、国語辞典を使う頻度に比べて、類語辞典を使う頻度のほうが多いかもしれない。そして、文を綴るために使う パソコン のそばには、「特徴ある」 類語辞典が、数冊、置かれていて、ときどき、それらを参照します。「特徴ある」 というふうに綴ったように、類語辞典も、それぞれ、「個性」 があります──同じような中味の類語辞典を数多く所蔵していても価値がないでしょう。類語辞典には、どのような類 (たぐい) があるかは、本 ホームページ の 「読書案内」 (171 ページ) を参照して下さい。

 類語辞典を使うときには、たとえば、ふたつの概念があったら──たとえば、A と B とすれば──、それらの概念が、「外延」 (「概念」 が指示する 「もの-の集まり」) として、以下のいずれの関係にあるのかを考えるようにしたいですね。

 (1) A と B は、べつべつの概念である。 (A ≠ B)
 (2) A は B をふくんで、さらに拡がっている。 (A ⊃ B)
 (3) B は A をふくんで、さらに拡がっている。 (A ⊂ B)
 (4) A と B は、いちぶ、まじわる。 (A ∩ B)
 (5) A と B は、同じ外延である。 (A = B)

 言いかたが違っていても、同じ外延 (あるいは、事物) を指示することもあります。たとえば、ロジック (論理学) の文献で例示されるのは、「明けの明星」 と 「宵の明星」 です。それらは、「表現」 が違っていますが、いずれも 「金星」 を指示しています──フレーゲ 氏 (数学者・哲学者、記号論理学の祖) の用語法を使えば、「明けの明星」 「宵の明星」 が 「意義」 とされ、「金星」 が 「意味」 とされます。ただし、フレーゲ 氏の云う 「意味」 は、現代の ロジック では、「指示関係」 とされています。

 「明けの明星」 「宵の明星」 という言いかたは、たぶん、金星と太陽との関係のなかで生まれた 「表現」 だと思うのですが──もしかして、それらの 「表現」 を初めて使ったひとは、それらが同じ個体を指示しているとは思っていなかったかもしれないのですが──、ほかに、「もの」 と 「事物」 という言いかたがありますが、「もの」 とか 「事物」 は、「関係」 のなかで使われた 「表現」 ではなくて、「性質」 そのものを記述した 「表現」 で、かつ、それら (「もの」 と 「事物」) は、同じ概念 (同じ語義) だと思っていいでしょう。同じ概念にもかかわらず、ふたつの 「表現」 がある理由は、たぶん、使用法に違いがあるからでしょうね。たとえば、英英辞典は、使用法に関して、「Labels」──専門語とか口語とか俗語とか古語などの表示──を注記していることが多い。あるいは、ふたつの語が同じ語義であっても、リズム (rhythm) を配慮して、どちらかの語が選ばれるかもしれない。

 私は、定義 (語義) そのものに対して、さほど、興味がない。私は、(ウィトゲンシュタイン 氏が示したように) 「文脈」 を重視しています──したがって、語そのものよりも collocation とか用例を重視しますし、さらに、もっと広い context (larger part) を第一義に考えています。そして、語そのものよりも語法 (usage) を重視しています。したがって、本 エッセー のなかで記載した 「日本語語彙体系」 のような書物を使うときでも、そこで示されている概念体系が思考の体系であるとも思っていない。たとえば、本 エッセー のなかで 「愛」 の語彙体系を言及しましたが、われわれが、「どういう対象に対して 『愛』 を感じるか (言い換えれば、『愛』 という ことば を使うか)」 というのは、文法 (生活様式のなかで合意されてきた使用法) でしか示され得ないでしょうね。
 本 エッセー のなかで 「『概念整理用に』 類語辞典を使う」 というふうに言いましたが、「概念整理」 というのは、あくまで、家族的類似性の強い概念 (名辞) をあつめた、という意味です。そして、「日本語語彙体系」 は、概念 (名辞) を巧みに体系化していますが、その体系は、断じて、hierarchy にはならないでしょうし、それぞれの概念 (名辞) の関係は──「固有名詞」 を除けば──、network (網) のような関係網でしょうね。なぜなら、ひとつの概念 (名辞) は、国語辞典を調べてみれば、いくつもの語義をもっているから。固有名詞でさえ、対象を一意に指示するためだけではなくて、ときに、比喩表現として使われることもあるでしょう──たとえば、「ベートーヴェン (Ludwig van Beethoven)」 が 「楽聖」 の意味で使われるように。

 さて、ここで、難しい質問を示して、補遺の締め括りとしましょう。「愛」 という概念 (名辞) があるなら、はたして、「愛」 として名指される対象は、「存在する (実存する)」 のでしょうか。




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  佐藤正美の問わず語り