2003年 1月16日 作成 着想の醸成 (系統樹) >> 目次 (作成日順)
2008年 2月 1日 補遺  


 
 TH さん、きょうは、「着想の醸成」 を述べてみましょう。

 あなたは、「着想」 を展開することが むずかしいと言っていましたね。
 (「着想」 を固定化して整った) 「構造」 を (文章として) 記述するためには、以下の 3段階の階層構造が使いやすいことを以前に述べました (50ページ 「3段階の まとめ」 を参照してください)。

 (1) 主要概念
 (2) 重要細目
 (3) 例

 そして、「構造化された」 文章を変形して一覧表示の図にするためには、「テーブル 便覧」 形式が簡単な (実効性のある) やりかた であることを以前に述べました (162ページ 「テーブル 便覧」 を参照してください)。

 さて、あなたが迷い苦しんでいる点は、(「構造」 の前段階にある、いまだ形を得ていない) 「着想」 を どのようにして獲得して どのようにして豊かに実らせるか という点ですね。

 私は、着想を膨らませるために、「ツリー (系統樹)」 形式を使っています。
 (この ページ の最下位に添付した写真を参照してください。)

 まず、A4 版の白紙を用意してください。
 そして、左上の隅に楕円を描きます。この楕円のなかに、テーマ を記入します。
 たとえば、テーマ を 「着想を展開する」 としましょう。

 次に、右下の隅に楕円を描きます。この楕円は 「結論」 を記述します。
 この例では、「ツリー (系統樹) を使う」 としましょう。
 そして、左上の隅に描かれた楕円を起点にして対角線を描いて右下の隅の楕円と結びます。

 この対角線に沿って、着想を綴っていきます。対角線が ツリー の幹です。
 たとえば、(左上の隅に描かれた 「着想を展開する」 という楕円を基点にして、) 思い浮かぶことを対角線に沿って綴っていきます。思い浮かぶことを 「すべて」 綴るのが コツ です。綴るか綴らないかという判断をしないでください
 つまり、「brain-storm」 です。

 たとえば、(着想を形にするためには、) 当然ながら、「着想を得る」 ことと 「着想を膨らます」 ことが前提になります。
 それらの 2つを、それぞれ、(幹から枝が伸びるようにして) 記入します。

 そして、「着想を得る」 という枝を起点にして、思い浮かぶことを綴っていきます。
 たとえば、「無からなにも生まれない (Nothing comes from nothing)」 とか、(着想を得るには材料があったほうがいいと考えて) 「資料を入手する」 などを記述します(──それらを起点にした以後の展開は省略します)。

 同じようにして、(幹から伸びた 「着想を膨らます」 という楕円を基点にして、思い浮かぶことを追記していきます。
 たとえば、「着想を自由に (制限しないで) 記述する」 とか 「鳥瞰図 (一覧表示) にして全体を見て取る」 とか 「類語辞典を使う」 などが思い浮かんだとしましょう (──それらを起点にした以後の展開は省略します)。

 この例題の系統樹を作図するために、私は、ほんの数分間程度を費やして一回かぎりの粗い作図をしましたが、普段なら、いったん作図したら休止して、数日、作図から離れて、再び、取り組むようにして、「作図-休息-作図」 を いくども 繰り返して、丁寧な (詳細な) 系統樹を作図してください

 そして、今度は、結論から遡って、系統樹のなかに展開されている着想を整理します。
 この例では、(以前の 「佐藤正美の問わず語り」 のなかで、すでに、「資料を入手する」 や 「資料を読む」 や 「3段階のまとめ」 や 「類語辞典を使う」 を扱っているので、論点から排除して) 以下の 2点を系統樹の 「まとめ」 とします。

 (1) [ 思考 ] 「brain-storm」
 (2) [ 作図 ] 「鳥瞰図」

 つまり、「自由な思いつきを一目で見て取る」 という点を 「まとめ」 にします。
 系統樹は 「自由な思いつきを一目で見て取る」 ことができるので、以下の 2つを検証することができます。

 (1) 成熟した枝 (伸びて拡がった枝)
 (2) 未成熟な枝

 「未成熟な枝」 を、さらに、「伸ばす」 ようにすればいいでしょうね。

[ 注意 ]
 以下に添付した系統樹の作図例は、(見やすいように) 清書してあります。
 普段は、清書しないで、書き殴りのままにしています。

 

 系統樹の作図例


[ 読みかた ] (2008年 2月 1日)

 「系統樹」 の作りかたに関しては、具体的に記述しているので、取り立てて、補足説明はいらないでしょう。
 ただ、ひとつ注意を添えておくならば、「着想」 は、あくまで、「着想」 であって、「思想」 ではない、ということです。「着想」 は、判断以前の単なる直観・おもいつきの状態であって、「系統樹」 で書きとめた 「着想」 を、そのまま、文として綴る訳にはいかない、ということです。文を綴るには、「着想」 を思惟の対象にして、さらに、論理的に検討して整えて、「思想」 として結実しなければならない。知性の有り様とは、作品の充実そのものなのであって、「着想」 の豊富さではない、ということを忘れてはいけないでしょうね。「着想」 を 「思想」 として結実できる ちから が乏しいにもかかわらず、「着想」 が豊富に浮かぶようなときに、われわれは、うっかりすると、鋭い頭脳の持ち主であるかのような錯覚に陥りやすいようです──そして、他人とはちがう才能があることを 「装う」 罠に落ちるようです。この点を よくよく警戒しなければならないでしょうね。
 ギットン 氏 (哲学者) の以下の ことば を警句として記しておきます (「思想の花びら」 2003年10月 1日参照)。

    発想に富んだ豊かな頭脳をもつことは、決して危険なことではない。
    幻影を神託と思ったり、自分の精神の痙攣を何か内面的な直観だと思ったりすることがなければ。




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  佐藤正美の問わず語り