2003年 9月 1日 作成 日本史 (女性史) >> 目次 (作成日順)
2008年 2月 1日 更新  


 ● 日本史小百科 女性、赤木志律子 著、近藤出版社

 ● 通史と史料 日本近現代女性史、阿部恒久・佐藤能丸 著、芙蓉書房出版

 ● 女大学集、石川松太郎 編、平凡社 東洋文庫 302

 ● 史料にみる日本女性のあゆみ、総合女性史研究会 編、吉川弘文館

 ● 新稿 日本女性史、宮城栄昌・大井ミノブ 編著、吉川弘文館

 ● 日本女性の歴史 性・愛・家族、総合女性史研究会 編、角川選書 225

 ● おんなの服飾史 飛鳥から鹿鳴館まで、読売新聞大阪本社婦人部 編、同文書院

 ● スカート の下の劇場、上野千鶴子、河出書房新社

 ● 家族と女性の歴史 古代・中世、前近代女性史研究会 編、吉川弘文館

 ● 中世の女の一生、保立道久、洋泉社

 ● 中世の愛と従属 絵巻の中の肉体、保立道久、平凡社

 ● 走る女 歌謡の中世から、馬場光子、筑摩書房

 ● 仏と女 中世を考える、西口順子 編、吉川弘文館

 ● 犯科帳のなかの女たち 岡山藩の記録から、妻鹿淳子、平凡社選書 161

 ● 江戸時代の女たち 封建社会に生きた女性の精神生活、柴 桂子、評論新社

 ● 江戸の女、三田村鳶魚 著、早稲田大學出版部

 ● 江戸の女ばなし、西岡まさ子、河出書房新社

 ● 江戸の女たちの湯浴み 川柳にみる沐浴文化、渡辺信一郎、新潮選書

 ● 江戸時代の女性たち、近世女性史研究会 編、吉川弘文館

 ● 昭和のお母さんを見なおす本、秋山正美、大修館書店

 ● 現代女性の意識と生活、吉田 昇・神田道子 編、NHK ブックス 237

 ● 図表でみる女の現在、フォーラム 女性の生活と展望 編、ミネルヴァ 書房

 ● 女性の データブック 第 3版、井上輝子・江原由美子 編、有斐閣

 



[ 読みかた ] (2008年 2月 1日)

 「女性史」 は、「児童史」 と並んで、私が興味を抱いている領域です。ここに記載した文献からわかるように、私は、日本史のなかでの女性史を対象にしていて、「女性史」 を世界史のなかで──たとえば、「女性役割」 「女性解放」 を説いた書物として、バッハオーフェン の 「母権論」(1861年)、ジョン・スチュアート・ミル の 「女性の隷従」 (1869年)、ベーベル の 「婦人論」 (1879年)、エンゲルス の 「家族、私有財産、国家の起源」 (1884年)、E. ケイ の 「恋愛と結婚」 (1903年)、デュビー の 「騎士・女性・結婚」 (1981年)などがありますが──考えている訳ではないし、「女性学」 のなかで考えている訳でもない。

 日本では、「女性史」 は、民衆史の一つの展開として、柳田国男らが、1930年代に、女性史学を提唱していました。そして、高群逸枝の 「母系制の研究」 (1938年) は、先駆的研究でした。ただ、当時の女性史研究は、エンゲルス の説を土台にしていて、マルクス 主義の路線で進められていたそうですし (「世界大百科事典」、水田珠枝の解説)、高群が示した 「日本古代の母系制」 という仮説は、論証のうえで疑問をのこすとのこと (「電子辞書版百科事典 マイベディア」)。

 1960年代以降、ウーマン・リブ のなかで、「女性史」 は、女性学のなかで重視されてきましたが、「女性解放」 という性質が強い運動であったように私は記憶しています──1964年に、「中ピ連」 (中絶禁止法に反対して、ピル 解禁を要求した女性解放連合) が結成されたことを私は記憶していますし、いっぽうで、「女性史」 も 「女性解放」 に貢献した人たちの伝記を語るという風潮だったようです。

 1970年代に入って、従来の女性史研究が、「女性解放と社会主義の実現とを短絡させ、傑出した女性の羅列や女性解放運動の歴史にしてしまったという批判が出され、その結果普通の女性の生活史に目が向けられ」 たそうです (「世界大百科事典」、水田珠枝の解説)。そして、実証を重視する アナール 学派の思想が女性史に取り入れたそうです。
 1975年は 「国際婦人年」 とされ、「性による役割分業」 が批判され、「男らしさ、女らしさ」 の意識が女性史の研究対象となったそうです。また、「ジェンダー」──身体的性 (セックス) とは違う概念で、社会的に構成された性の区分── という概念が導入されました。
 1989年の 「世相」 では、「セクハラ」 という ことば が流行 (はや) りました。

 私個人の体験を言えば、いまから 20年ほど前に──したがって、1980年代なかば頃になりますが──、或る大会社の課長が、以下のように言ったことを鮮明に記憶しています。「あんた、よく、仕事をやれるねえ、、、私は、女性の下で働けないよ」 と。当時、私の上司は女性でした。そして、私は、仕事場で、私の上司を 「女性」 として意識したことはなかったので、その課長の言った意味を、直ぐには理解できなかった。私が当時勤めていた会社では、私は社長室に所属していて、私のほかは、すべて、女性でしたが、私は、仕事をするうえで、女性たちのなかに男性が一人いる──「紅一点」 の反対語はあるのかしら (笑)──という意識もなかった。当時の上司は──コンピュータ の技術では、私のほうが上でしたが──、対外的な 「交渉力」 では、私なぞ足下にも及ばなかった。だから、私は、彼女が上司であることを当然だと思っていたので、大会社の課長が言った意味が、皆目、わからなかったのです。そして、一つ理解できた点は、世間では、「女性」 を そういうふうに観ているのか、という点でした。そういえば、他の大会社でも、当時、「ウチの事務の女の子に それをやらせますので」 という言いかたを耳にしたことがありました。嫌な言いかたですね。ただし、私は、いわゆる 「フェミニスト」 でもない。私が言いたいのは、「仕事では、役割を果たす ちから が問われるのであって、ジェンダー など争点になるはずがない」 ということです。ただ、どうも、世間では、そういうふうになっていない、ということなんでしょうね。というのは、女性史のなかで、「ジェンダー」 が争点になっているから。そう言えば、私は、大学生の頃から今に至るまで、「女性っぽい」 と言われてきました (笑)。




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