2001年 3月31日 identifier と コート゛ 体系 >> 目次 (テーマ ごと)
  ● QUESTION   identifier として、コート゛ 体系に記述されていない テ゛ータ 項目を使うことは駄目か。
  ▼ ANSWER   だめ。 自己流 (システム・エンシ゛ニア の独断) は認められない。
2006年 5月 1日 更新  


 テ゛ータ 構造を作る手法には、以下の 3つの考えかたがある。

  (1) 写像理論を使う。
  (2) 関数 (集合論) を 使う。
  (3) 言語を解析する (言語批判)。

 (1) の典型的な技法が (Chen P. 氏の提唱した) 「ER手法」 であり、(2) の典型的な技法が (Codd E.F. 氏の提唱した) 「セット・アット・ア・タイム 法」 とか、OO (Object- Oriented) の 「クラス」 概念である。(3) は言語批判 (コート゛ 体系の解析) の観点から、コート゛ 化の是非 (コート゛ 化の有効性 ) を検証する--T字形 ER手法は (3) の観点を徹底している。

 言語には 「私的言語」 はない。「受注番号」 は、エント゛ユーサ゛ にとっても システム・エンシ゛ニア にとっても、「受注番号」 であり、「部門 コート゛」 は、エント゛ユーサ゛ にとっても システム・エンシ゛ニア にとっても、「部門 コート゛」 である。システム・エンシ゛ニア が、勝手に、「無意味な」 番号を使ったら、エント゛ユーサ゛ にとって、それは、もはや言語ではない。

 語-言語を使うということは、生活様式 (事業のやりかた) そのものである。ことばの意味は、使われる文脈のなかで成立する。

 ちなみに、言語になかに 「メタ 言語」 はない (この点については、後日、改めて詳細に説明する )。「個体と関係は同じ レヘ゛ル にある」。そして、語-言語 (言い換えれば、コート゛ 体系) は、それを完全に記述できる。したがって、個体と関係は同じ レヘ゛ル のなかで作図できる (T字形 ER手法の 「対照表」 が、個体の関係を記述する)。

  「identifier」 は、いわば (個体の) 「認知番号」 である。一人の システム・エンシ゛ニア の価値観が、個体 (事業のなかで使われている テ゛ータ) の認知をきめるのではない。テ゛ータヘ゛ース 自体が、「共有」 という目的を附与されている。「自己流 (私的言語)」 は認められない (「反 ・私的言語」)。□





[ 補遺 ] (2006年 5月 1日)

 本 エッセー が綴られた年月日は、2001年の 3月31日なので、「論理 テ゛ータヘ゛ース 論考」 を出版 (初版年度 2000年 3月25日) して、ほぼ、1年後である。「論理 テ゛ータヘ゛ース 論考」 は、T字形 ER手法の前提を、写像理論 (意味の対応説) から言語 ケ゛ーム (意味の使用説) に転回した書物であるが、いまだ、個体の認知に関して、「identifier」 という英語を使っていた。「identifier」 という英語を使っていた理由は、適訳を思い浮かばなかったからである。T字形 ER手法の 「原型」 は、「実践 クライアント/サーハ゛ テ゛ータヘ゛ース 設計 テクニック」 (1993年 11月出版) で公にされ、「T字形 ER テ゛ータヘ゛ース 設計技法」 (1998年 10月出版) で、T字形 ER手法の 「文法規則」 が整えられ、「論理 テ゛ータヘ゛ース 論考」 (2000年 3月出版) で、「個体の指示規則」 「構造の生成規則」 を意味論・構文論の観点から再検討をしてきたが、その7年ものあいだ、T字形 ER手法の起点である 「個体の認知」 に対して、適訳を見出すことができないで苦しんでいた。そして、「identifier」 に対して 「認知番号」 という訳語を使うようになったのは、「論理 テ゛ータヘ゛ース 論考」 を出版した 2年後である。
 いまでは、「identifier」 という語を、一切、使わないで、「認知番号」 という語を使っている。というのは、そのほうが、TM (T字形 ER手法) の考えかたを的確に示しているから。

 T字形 ER手法の文法が、ほぼ、整えられて公にされた書物は、「T字形 ER テ゛ータヘ゛ース 設計技法」 である。この書物は、個体の認知に関して、「写像」 という考えかたを前提にしていた。すなわち、語の 「意味」 は、現実的事実との対応関係のなかで成立するという考えかたを前提にしていた (この考えかたを 「意味の対応説」 と云う)。しかし、本書を出版した当時、私は、この考えかたを納得していた訳ではなかった。ただ、「写像」 を使ったほうが、モテ゛ル を作りやすかった。しかし、「写像」 を前提にして モテ゛ル を作ったときに--それを前提にしたが故に、逆に--私が苦しんだ点は、個体の認知では、「カラー・コート゛」 や 「サイス゛・コート゛」 のように、現実的事実として存在しない個体--言い換えれば、「抽象的な持続する個体」--を説明できなかったし、かつ、「関係 (の性質)」 では、もし、「リレーションシッフ゜ は ヒ゛シ゛ネス・ルール を写像していなければならない」 のであれば、関係の網羅性を いかに担保するかという点であった。
 しかも、「情報」 は、事業過程のなかで伝達され、そして、「(「情報」 のなかに記述されている) 語の意味が共有されている」 という事態を、「写像」 という考えかたでは、整合的に説明できなかった。

 「T字形 ER テ゛ータヘ゛ース 設計技法」 は、ウィトケ゛ンシュタイン 氏の 「論理哲学論考」 (1921年) を底本にして執筆された。しかし、ウィトケ゛ンシュタイン 氏は、「論理哲学論考」 の写像 (意味の対応説) という考えかたが間違いであったことを気づいて、のちに、「哲学探究」 (1936年) を執筆して、(「論理哲学論考」 の写像を否定して、) 「言語 ケ゛ーム」 (意味の使用説) の考えかたを提示した。「言語 ケ゛ーム」 では、「意味の一致」 というのは規則であって、「適用と反応」 が一致する 「合意の行為」 であるとされた。
 ウィトケ゛ンシュタイン 氏の著作に対応するように、拙著 「論理 テ゛ータヘ゛ース 論考」 は、「T字形 ER テ゛ータヘ゛ース 設計技法」 (の考えかた) を否定して、「合意」 概念を重視して、T字形 ER手法の前提を 「意味の使用説」 に転回した書物である。言い換えれば、「論理 テ゛ータヘ゛ース 論考」 は、T字形 ER手法の転換点になった書物である。「論理 テ゛ータヘ゛ース 論考」 でT字形 ER手法の前提を転回したので、そのあとで出版した 「テ゛ータヘ゛ース 設計論--T字形ER 〜関係 モテ゛ル と オフ゛シ゛ェクト 指向の統合をめざして〜」 (2005年 9月出版) では、T字形 ER手法を、再度、意味論・構文論の観点から再検討して、以下の体系として整えた。

   (1) テ゛ータ の認知 (個体の認知)
   (2) テ゛ータ の種類 (個体の性質)
   (3) テ゛ータ の関係 (関係の性質)
   (4) テ゛ータ の周延
   (5) テ゛ータ の多値
   (6) みなし概念

 これらの体系は、T字形 ER手法の 「昔の」 体系に比べて、意味論・構文論の観点から再検討されたので、T字形 ER手法という言いかたを止めて、TM (および、TM') という呼称に変更した。というのは、モテ゛ル の要件である 「個体の指示規則」 および 「関係の生成規則」--言い換えれば、「語彙と文法」--を 「合意」 概念を前提にして、再体系化したから。

 その再検討のなかで最大の攻撃対象にしたのが、システム・エンシ゛ニア の個人的理解力 (恣意性) を前提にした 「個体の認知」 を排除することであった。たとえば、チェン ER 手法では、entity は例示されているが定義されていない。すなわち、個体の認知は、(定義されていないので、) モテ゛ル を作成する システム・エンシ゛ニア の認知力に依存してしまう。
 TM は、「個体の認知」 では 「写像」 を否定して、「関係の性質」 では 「(数学的な) 関数」 を使うことを止めた。

 なお、本文中、「言語のなかに 『メタ 言語』 はない」 というふうに記述したが、「数学的な言語」 を否認している訳ではない。たとえば、コット゛ 関係 モテ゛ル は、数学的言語のなかで、完全性を証明されている。自然言語を対象言語にして、「自然言語を使った 『メタ 言語』」 はないということを示した。
 コット゛ 関係 モテ゛ル では、「『意味』 は 『構造の制約 (constraints)』 として記述されている」 としているが、たとえば、多値では、「OR 関係」 と 「AND 関係」 を 「構造」 から読み取ることは難しい。

 T字形 ER手法は、「ER」 という文字を使っていたので、往々にして、チェン ER手法の拡張にようにみなされてきたが、T字形 ER手法が手本とした モテ゛ル は コット゛ 関係 モテ゛ル であって、チェン ER手法では、一切、ない。私は、チェン ER手法を モテ゛ル として認めていない。コット゛ 関係 モテ゛ル に対して、意味論を強く適用したら、TM になったのである。




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