2002年 9月 1日 「resource」 と 「event」 の相関関係 >> 目次 (テーマ ごと)
  ● QUESTION   「resource」 と 「event」 を結んだら、なぜ、「event」 のほうに (R) を挿入するのか。
  ▼ ANSWER   「event」 は個体変数であると同時に論理式変数だから。
2007年10月 1日 補遺  



 以下の例を考えてみる。
 (1) 顧客 {顧客番号、名称、...}[ R ]
 (2) 製品 {製品番号、名称、...}[ R ]
 (3) 顧客. 製品. 対照表 {顧客番号 (R)、製品番号 (R)、DATE、...} (「受注」 と同値である)

 対照表は 「event」 の原型である (「データ 解析に関する FAQ」 77ページ を参照されたい)。
 もし、対照表を 「event」 として認知するために、(受注伝票のなかに記述されている) 受注番号を認知番号にすれば、「受注」 entity が認知され--こういう言いかたは 「論点先取り」 になって正しくないので、正確に言えば、受注伝票のなかに受注番号が採番されているので受注は entity として認知される--上述の対照表は以下のように記述される。

    受注 {受注番号、顧客番号 (R)、製品番号 (R)、受注日、...}

 「resource」 が、2つ以上、関与していれば、対照表が生成されるので、対照表が 「event」 の原型になって、以上の現象的な 「からくり」 を言うことはできる。だが、「resource」 が 1つなら、以上の解釈は成立しない。「event」には、以下の 2つの性質がある。

 (1) 論理式変数
 (2) 個体変数

 ここでいう論理式変数というのは、aRb の R のことをいう。つまり、a および b を個体とすれば、個体の間に成立する関係のことをいう。言い換えれば、個体を座標のなかに一意に配置する関数である (「存在するということは変項の値である」 という クワイン 氏流の言いかたをしても良い)。
 いっぽう、T字形 ER手法では、entity は以下のように定義されている。

  「entity とは認知番号を附与された対象である」

 認知番号は コード 体系のなかで合意された番号をいう。とすれば、「event」 は entity (個体-- a または b) として認知されるが、いっぽうで、論理式変数 (関係 R) として演算される、という 2つの性質を帯びている。しかも、T字形 ER手法では、「モノ と関係は同一 レベル で扱われる (--クラス を使わない--)」 ので、[ entity の順序対を制御する ] R は (アルゴリズム ではなくて) データ として記述される。

 したがって、「aRb」 において、たとえば、「resource」 を a として、「event」 を b とすれば、(R と b が同値なので) b を使って R を記述することになる--もっと単純に言えば、個体として認知された 「event」 を使って R を記述することになる。だから、「event」 のなかに、「resource」 の identifier が挿入されることになる。

 
[ 補筆 ]

 「モノ と関係」 を検討するならば、「存在論」 の研究を回避できない。
 「ラッセル の パラドックス (素朴集合論の パラドックス)」 が契機となって 「数学の哲学」 として論理主義 (logicism) と直観主義 (intuitionism) と形式主義 (formalism) が形成されたが、哲学および数学基礎論に興味を抱いているほどの人々なら、それらの考えかたが、実在論 (realism) と唯名論 (nominalism) と観念論 (conceptualism) に呼応していることは直ぐに見て取ることができるでしょう。フレンケル 氏や ウィトゲンシュタイン 氏が的確に言い当てたように、論理主義では 「クラス は発見できる」 と考えるし、直観主義では 「クラス は発明される」 と考える。この 2つの考えかたの典型的な相違点は、「無限」 とか 「普遍な存在」 に関する意見の不一致から起こる (論理主義は、これらを 「強く」 認知する)。
 形式主義は、「モノ と関係」 を使って記述された構造--「モノ と関係」 を記述する言語的形式--は 「無意味な ゲーム」 である、と考える。

 「本質 (実体)」 は、アリストテレス にとって、「モノ (thing)」 であった。
 だが、「意味」 は言語形式のなかで成立する。
 とすれば、「本質」 は、言語形式のなかでは、「意味」 として記述できる。
 「意味」 が成立するためには、文脈が前提となる。つまり、「意味」 を 「定義」 しようとすれば、「定義」 に先立つ豊富な用例が与えられていなければならない。「モノ と関係」 を記述する 「無意味な ゲーム」 では、定義に先立つ用例はいらない(なぜなら、モノ を無定義語として扱うことができる)。

 われわれ システム・エンジニア が(日常言語を使って記述されている) データ を解析するときに遭遇する最大の難点が (文脈のなかで成立している) 「意味」 に先立つ豊富な (「意味」 を間違いないように記述できる豊富な) 用例を集める、という点にある。

 しかも、「意味」 は 「モノ と関係」 を形成する構造 (モデル) として記述されていなければならない。
 この点が 「意味論的規則」 を、どのようにして扱えばよいのか、という悩ましい点なのである。

 数学的構造が純粋に成立しない文脈なら--しかし、或る程度、成立する、というような文脈なら--、「意味論的規則」 を弱めて、「公準」 (環境的公準) を導入することができる。つまり、環境的公準の与えられた集合に対して、環境的公準とはなにか、ということを明晰に言うことができる。なぜなら、それは、形成された集合の メンバー になるから。
 そのために、T字形 ER手法のなかに導入された (環境的) 公準が 「時間 (時系列)」 の概念である--「DATE」 を判断規準にして、認知された entity は 「resource (事物)」 と 「event (事象)」 の 2つに類別される--数学的構造が純粋に成立しない文脈では、推論規則 (関係の論理) のなかで、完全な 「順序対」 を扱うことができない、という構造的な難点を回避するために、この 2つの entity 概念が導入された。時系列のなかで、2つの 「event」 の順序対は 「意味」 を記述する (49ページ を参照されたい)。

 しかし、小生が、いまだに、データ を解析するときに遭遇する難点は、個体の 「性質」 を記述する、という点である。「或る モノ には或る性質が帰属する」 という記述のなかで、どのような性質が帰属するのか、という判断規準を明晰に語ることができない。
 たとえば、企業 (会社 コード を認知番号とする entity、法的実体) では、資本金は帰属する性質なのかどうか、という点を考えてみればよい。「常識的に考えれば」、法的実体である企業は資本金がなければ成立しないので、資本金は企業に帰属する性質である、と判断できる。しかし、資本金をはじめとする 「財務情報 (与信判断)」 を企業の VE として扱うこともできる。

 データ を実地に扱っている複数の エンドユーザ が合意して、(文脈のなかで) どのような性質を entity のなかに帰属するか、という点が、その企業の考えかた (文化) を示している、ということもできる。

 以上のように歯切れの悪い言いかたしかできなかったが、「主語-述語 (S-P)」 形式のなかで、(認知された) 主語に対して、どのような述語 (性質、意味) が成立するのか、という判断は、(文脈を前提にしているので) ことさように単純ではない、というのが小生の正直な意見である。  

 



[ 補遺 ] (2007年10月 1日)

 本 エッセー の テーマ--すなわち、「resource」 の認知番号を 「event」 のほうに複写する (挿入する) という生成規則--が、拙著 「論理 データベース 論考」 (以下、「論考」 と略称) を執筆した理由の 1つでした。「論考」 は、以下の 2点を検討するために執筆されました。

 (1) 意味論の前提を転回する (「意味の対応説」 から 「意味の使用説」 に転回する)。
 (2) TM (T字形 ER手法) の関係文法を構文論の観点から検討する。

 「論考」 の最大の テーマ は、(1) だったのですが、同時に、(2) の妥当性も検討しました。「論考」 では、ロジック (論理学) および集合論に関して、「通論」 になっている基礎技術を網羅的に棚卸ししました。「関数」 は、本来、(「関係」 のある) 個体どうしを座標のなかで一意にする アルゴリズム です。そして、個体は、「項 (term)」 として、無定義語であって、個体そのものに対して、「意味」 を付与することは、原則として、しない。

 しかし、私は、「関係」 に関して、構文論上、「順序関係 (非対称性)」 の可否を こだわっていました。すなわち、「関係の対称性・非対称性」 に こだわっていました。この こだわり は、たぶん、事業過程のなかで使われている データ (「項」 となる対象) を私が対象にしているからかもしれない。事業過程では、「正常営業循環」 が強く作用します。「正常営業循環」 というのは、「購買過程→生産過程→販売過程」 という プロセス のことを云います。ちなみに、会社法は、「営業」 という用語を捨て、「事業」 という用語を導入したので、「正常営業循環」 という言いかたも 「正常事業循環」 としたほうが良いのかもしれないですね。

 さて、もし、「項」 を数学的な意味で 「変数」 として扱うのであれば、コッド 関係 モデル のやりかたが正統な やりかた です。しかし、私は、「『項』 を集めた最小の意味単位たる個体」 を entity として考えて、「関係の対称性・非対称性」 を強く意識して、entity を 「event」 と 「resource」 の 2つに類別しました。すなわち、「項」 に対して、実体主義的意味論を適用しました。というのは、事業過程では、「関係の対称性・非対称性」 が強く意識されているから。そのために、TM は、「関数」 を数学的に使うことができなくなりました。でも、私は、「我流」 を避けて、生成規則を作りたかった。そのために、私は、「哲学」 を援用しました。すなわち、ホワイトヘッド 氏の形而上学を entity 概念に対して適用しました (本 ホームページ 308ページ を参照されたい)。言い換えれば、数学的 ソリューション ではなくて、哲学的 ソリューション を導入しました。そして、純粋な数学的 ソリューション を使わなかったことが、以後--いまに至るまで--私を悩ませています。

 いま、entity に関して、私が考えているのは、「タイプ」 概念を導入して、「event」 と 「resource」 を 2つの 「タイプ」 として考えれば良いのではないか、という点です。そうすれば、TM では扱い切れなかった いわゆる 「HDR-DTL」 の合成関数も簡単に説明することができます。すなわち、TM は、もっと、エレガント な体系になる、ということです。ただ、そうしたときに、「階」 の概念を導入することになるので、TM の 「前提」 を根底から変更しなければならないでしょう。ただ、そうしたときでも、「resource」 という タイプ が、「event」 という タイプ のなかに侵入する (ingression) ことを数学的に説明することはできないでしょうね。やはり、哲学的な ソリューション を導入しなければならないでしょう。構文論的に エレガント になっても、意味論的な規則が変わらないのであれば、私は、「タイプ」 概念を導入するつもりはない。

 TM は、「項」 の集合に対して、哲学的 ソリューション を導入したので、「関係」 の生成規則は、ホワイトヘッド 氏の哲学を援用して、以下の点を 「公理 (仮定)」 としました。

    「resource」 が 「event」 に関与する (侵入する、ingression)。

 そして、この 「公理」 が、aRb では、もし、entity (a および b) が 「event」 ならば、「event」 は R の性質を継承して、「resource」 が 「event」 のなかに関与する--すなわち、「resource」 の認知番号を 「event」 のほうに入れる--という文法になった次第です。




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