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What, will the world be quite overturned when you die? (Epictetus)

 

 Bloomsbury Thematic Dictionary of Quotations セクション Importance の中で、次の文が私を惹きました。

    In heaven an angle is nobody in particular.

    George Bernard Shaw (1856-1950) Irish dramatist and critic.
    Man and Superman, 'Maxims for Revolutionists'

 
    Art and religion first; then philosophy; lastly
    science. That is the order of the great
    subjects of life, that's their order of
    importance.

    Muriel Spark (1918- ) British novelist.
    The Prime of Miss Jean Brodie, Ch. 2

 
 引用文の一番目、「天国に於いては、天使も特段どうってことない存在である」──天使は、神の使者として人間界に派遣され、人間に神意を伝え人間を守護する役割を持った特別な存在ですが、天国では nobody (特段 どうってことない存在) です。或る領域に於いて役割を担った人 (あるいは、或る領域では普通のこと) が他の領域では そのような人・物事は存在しないが故に 普通一般ではないとして特別扱いされるけれど、元の領域では どうってことのない普通のことである、ということですね。

 我々は職 (仕事) を持てば社会のなかで それぞれ 果たすべき役割を担っている。しかし、ともすれば、それを忘れて自分の為していることが一番に重要なこととして評価されるべきだと勘違いしてしまう。ひとつの集合のなかから いくつかの メンバー を選んできて関数 [ 特性関数 ] を使って並べること (順序をつけること) は なんらかの構成をつくるには普通だけれど、その並べる規準を外点 (集合に属さない [ 集合の外側に存在する ] メンバー にまで敷衍することは間違いでしょう。芥川龍之介氏は この間違いを次のように見事に言い表しています──

    百足  ちつとは足でも歩いて見ろ。
    蝶   ふん、ちつとは羽根でも飛んで見ろ。

 前提が同じでなければ、対比ができないことを この寓話は示していますね。

 私が介護施設で働いていたとき、居住者のなかで 霞ヶ関の元・役人と学校の元・校長が (定年退職して かなりの年数が経っているにもかかわらず) 今でも自分たちを 「偉い」 と思っていて威張り散らしていました──彼らを観ていて私は哀れだなと思った。自分たちが属していた組織を定年退職して離れたら、ただの オジサン になる [ 属していた組織上の地位など組織を離れたら昔話になる ] ということを 一向 認めていない。若い頃に精神修養を怠ってきたのでしょうね (苦笑)。「俺は偉いから尊敬しろ」 というような無駄に偉そうなことは自分からもとめるものじゃない、ただの オジサン になっても他の人々が自然に尊敬するような人物になりたいですね。

 引用文の二番目が述べている学習の順序は、私が学んできた順序と同じです。文学・宗教・哲学は私に多大な影響を与えてきました──それについては本 ホームページ のあちこちで綴っているので割愛しますが、私の考えかた・生活のしかたの根幹を成しています。私は文学者でも宗教家でも哲学者でもない、システム・エンジニア です。システム・エンジニア として、仕事柄、数学 (数学基礎論) を学習しました。仕事は生活の ほとんどを占めるので数学の学習が他の学習に較べて多大な時間を費やしているように思われるかもしれないのですが、それほど多くを費やしていない──たぶん、文学・宗教・哲学の学習が 7割くらいを占めて、数学は 3割くらいだと思います。私は、システム・エンジニア を自称していますが、ただ単に (事業分析・データ 設計のための) モデル 技術を長いあいだ学習してきたというだけであって、仕事の実態を云うならば 「文学青年」 が たまたま モデル 技術を長いあいだ扱ってきた (システム・エンジニア というよりも 今でも 「文学青年」 たる性質が重立っている) というのが正直な話でしょうね。

 他の システム・エンジニア (および プログラマ) に較べて さしたる技術もない私が 「情報 システム の専門家」 と称するのは噴飯ものでしょう、私も本心では 「情報 システム (モデル 技術) の専門家」 になろうとは 毛頭 思っていない──私は シロート 側に常に立っていたい。ひとつの道を探求して次第に熟練していきたいけれど、私は いつまでも シロート であることを忘れない。「巨大な常識人」 でありたい──勿論、この 「常識」 とは デカルト 氏の云う意味に於いて

 
 (2019年 9月 1日)

 

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