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when he saw him, his heart was filled with pity. (Luke 10-33)

 



 小林秀雄氏は、「批評家失格 T」 のなかで、以下の文を綴っています。

     探るような眼はちっとも恐 (こわ) かない、私が探り当てて
    しまった残骸をあさるだけだ。和 (なご) やかな眼は恐ろしい、
    何を見られるかわからぬからだ。

 私 (佐藤正美) も同じ感を抱いています。「和やかな眼」 を持った批評家として亀井勝一郎氏を私は挙げます。亀井勝一郎氏の青春時代は、文学を志したひとの多くがそうであるように 「烈しい戦い」 の様を呈していて、まさに 「探る」 眼を持った状態だったと思います──かれの著作 「人間教育」 を読めば、その状態がわかるでしょう。「転向」 を体験した かれは、みずからの精神を再生するために信仰に入りました。「大和古寺風物誌」 を執筆したあとの かれの眼は 「和やか」 になった。そして、かれは、その眼で 「聖徳太子」 「愛の無常について」 「親鸞」 「日本人の精神史」 などや、恋愛論・夫婦論・人生論を執筆しました。私は、かれの ファン (a great fan of him) です。かれの アフォリズム 「思想の花びら」 は、私の座右書です──その書名を、私の ホームページ のなかで、名句を引用した ページ の標題として借用しています。そして、私は、かれの全集を所蔵しています。

 亀井勝一郎氏は、小林秀雄氏の弱点として 「宗教と向きあわなかった」 点を挙げています。確かに、小林秀雄氏は、正面切って宗教と向きあわなかったけれど、いっぽうで、正宗白鳥氏の強い信仰 (キリスト 教の信仰) を気にとめていた [ なんらかの興感を抱いていた ] ようです。

 「和やかな眼」 は、対象を一つの 「総体」 として普 (あまね) く照らして観る。その眼は、けっして、一つの烈しい視点 (向きをもった光束) ではない──そして、視点を幾つか束ねた 「複眼」 でもない。すなわち、事態を如是として 「あるがままに凝視する」──「菩薩の眼」 と云っていい。「慈愛に満ちた」 目 (まな) ざしです。それが亀井勝一郎氏の眼だったと思います──勿論、批評家である かれの眼は事態・物事を見透かす眼であったけれど、見えすぎたために異能を脱落 (とつらく) した (あるいは、異能を装うことを嫌った) 眼でした。

 しかし、「和やかな眼」 を持った亀井勝一郎氏は、じぶんを以下のように観ていました──以下に引用する文は、かつて、「反文芸的断章」 のなかに収録したのですが、ここで再録しておきます。

    私は美を愛し、信を尊重してきた。私は宗教に対しては美を密輸入
    し、美に対しては宗教を密輸入している。この貿易によって私の得
    た利益は、「柔軟心」 ともいうべきものであったが、同時に失った
    ところが非常に大きいように思われる。(略)

 かれの失った物とは、「一修」 の極みで 「無限」 を感じる無色透明な欣悦かもしれない。そして、「一修」 のなかで、「事実」 を あるがままに観た 「和やか」 な眼が志賀直哉氏の眼でしょうね。小林秀雄氏は、志賀直哉論で、その眼について語っています。志賀直哉氏は、宗教の観点で云えば、「羅漢」 (小乗修行の最高の位) なのかもしれないけれど、「羅漢」 は 「菩薩」 (仏となるための大乗の大覚有情) を継ぐ位です。文芸においては、志賀直哉氏の眼のほうが亀井勝一郎氏の眼に較べて いっそう 「和やか」 だったと私は思います──その点こそ、志賀直哉氏の眼が (小林秀雄氏の言を借りれば) 「ウルトラエゴイスト の眼」 なのであって、亀井勝一郎氏が 「美と宗教との交易のなかで失った」 点でしょうね。ふたり (亀井勝一郎氏と志賀直哉氏) の作品を読んだ私の感想としては、「和やか」 な眼において、逆説的になるかもしれないけれど、「宗教を信じた」 亀井勝一郎氏のほうが 「人間臭い」 感──なにがしかの心理的な揺れ [ 浪漫的な感興 ]──があると思います。そして、その点こそ、私が亀井勝一郎氏を愛しても志賀直哉氏を愛せない理由なのです。たぶん、小林秀雄氏は、私と逆でしょうね。

 
 (2010年 5月23日)


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