2005316

「はしがき」 を読む

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2010216日 補遺

 

 

 この書物の初版は、1998年の出版である。いま (2005年) から振り替えれば、7年前の中身である。
 したがって、1998年以後、T字形 ER手法は、改良されてきて、当時とは、考えかたの違う点や、今となっては、あきらかに 「間違い」 と判断される点も出てきた。

 当時(1998年)、執筆は、当然ながら、全力を尽くした。T字形 ER手法は、その後も、実地に使いながら、有効性・単純性を験証しながら整えてきたし、さらに、理論的な検証をして──それをやったのが、「論理 データベース 論考」 であるが──、理論的な整合性も証明してきた。そして、いまでも、T字形 ER手法は、改良の途上にある──モデル (modeling) のために使った ロジック は、事実的対象 (環境) の変化に対応して、つねに、改良しなければならない。改良は、おそらく、小生が生きているあいだ──思考力を喪うまで──、継続されるでしょう。

 T字形 ER手法そのものは、本書を執筆する以前から、実地に使っていた──ただし、当時、技術的にも、詰めが粗かったし、理論的な検証をしていなかった。T字形ER手法を、はじめて、まとめたのが、本書である。いまから振り返れば、本書の中身は、技術的にも、理論的にも、拙い。
 ただ、マーケット では、小生の想像を超えて、本書は、版刷りを重ねて、歓迎されているようである。
 そして、T字形 ER手法の ファン のあいだでは、本書は、「黒本」 という愛称で呼ばれている。

 「はしがき」 のなかで、小生が訴えたかった点は、システム 作りに関する 「常識 (正確には、プロダクト が マーケット・シェア を占めて得た defacto standard)」 に対する抵抗力であった。その訴えを綴った文を、以下に、「はしがき」 から、そのまま、抜粋する。

       思想とか体系とかいう言葉が、以前ほどに信用されなくなった現代においては、技巧とか多数派の形勢とか
       が注目を得る可能性が高い。プログラム 作成に付着した「属人性」から脱却して、エンジニアリング (工学
       技法) を構築するためには、まず、技巧の完璧性と技巧の共有化のほかはなかったのである。つまり、
       技巧の共有 (多数派の形成) は、機械化を狙う現代において当然の要請であった。
       逆に言えば、自ら考えることをしなくても、確立された技巧に従えば、物事を完成できる、という錯覚が忍び
       込む余地は大きかったのである。技巧万能の現代が、「体系」 とか 「思想」 とかを嫌悪し軽視する傾向にある
       ことを理解できるが、息の長い体系に耐えることができない、という点に、現代精神の弱さを筆者は感じる。
       この点に、現代の SE 教育の難しさがある、と筆者には思われる。

       願わくは、本書が単なる実用本位の技法解説書としてではなくて、データ 構造を考えるために役立つ思索の
       書として利用されることを望む。
       読者は、筆者が提示した考え方を踏み台にして、本書を超えていただきたい。

 
 以上の考えかたを、小生は、いまも、同じように抱いている。
 次回から、「T字形 ER データベース 設計技法」 を章立てに沿って、順次、読み解ていて、いまとなっては、間違いになった点を訂正しながら、T字形 ER手法の考えかたを述べる。 □

 



[ 補遺 ] 2010216日)

 まず、「黒本」 を絶版にしたことを記しておきます。「黒本」 を絶版にした時期が いつ頃なのかを私は正確に記憶していないのですが、たぶん、「赤本 (データベース 設計論──T字形 ER)」 を出版した直後 (2005年) だと思います。というのは、「論考 (論理 データベース 論考)」 (2000年) で、T字形 ER手法の構文論を再検討し、かつ、意味論の前提を改変して、さらに、「赤本」 で意味論を補強したので、「黒本」 で述べられていることが旧套 (きゅうとう、古い やりかた) になったので。そして、「赤本」 では、T字形 ER手法という呼称を TM という呼称に改めました。というのは、T字形 ER手法の体系と TM の体系は、見違えるほど変わったので。ただし、技術そのものは、それほど変化していない。ということは、理論的な証明が一変したということです。言い換えれば、T字形 ER手法は、理論的に不備だったということ。

 「理論が変わっても、技術が さほど変わっていないのなら、われわれ実務家にとって、理論なんて どうでもいいじゃないか」 と私の眼前で言ったひとがいましたが、無責任な言い草だと思う。たとえ、百歩譲って、実務家にとって理論が どうでもいいとしても──そんなことは戯言ですが──、モデル を作った本人にしてみれば、無矛盾性・完全性の証明されていない技術を使ってくれとは断じて言えない。

 「黒本」 は、T字形 ER手法を初めて体系立って記述した著作でした。当時、T字形 ER手法は、コッド 正規形を実地に使いやすいようにするために、コッド 正規形を基底にしながらも、「event resource」 という概念を導入して関係文法を整えました。その関係文法は、全順序の 「関数」 を一律に使わない文法にしました──言い換えれば、全順序と半順序を混成した文法にしました。ただ、その文法は、「event」 (全順序) と 「resource」 (半順序) という性質に対応して 「関数」 の適用法を変えたのであって、entity を 「集合」 として考えた場合に、さほど、やっかいな論点になるとは思っていなかった。そのために、T字形 ER手法は、コッド 正規形 (完備性の証明された コッド 関係 モデル を前提に作られる正規形) を (意味論的に) 単純拡大したにすぎないと思い込んでいて、理論的な証明などいらない──言い換えれば、コッド 関係 モデル を起点にしているかぎり、理論的な証明はいらない──と思い込んでいました。ただ、「event--resource」 の文法が──つまり、全順序の関数も半順序の関数も使えない関係文法が──私の頭のなかで宙ぶらりんになっていました。その宙ぶらりんを しかるべき置き所に収めるために、その後、理論的な検証をしなければならなくなった次第です。そして、「論考」 と 「赤本」 を執筆しました。

 「論考」 と 「赤本」 の観点に立って、「黒本」 を視たら 「黒本」 は理論的に拙かった──すなわち、技術の説明において、理論的な間違いを いくつか犯していたことに気づきました。そのために、「黒本」 を絶版にした次第です。

 ただ、本文に引用された 「はしがき」 の抜粋文を読んで、私は、いまでも、思想とか体系に関して同じ感を抱いていることを再認識しました。

 「論考」 と 「赤本」 を執筆するために、私は、数学・哲学を学習しました。その学習では、数学の個々の技術ではなくて──勿論、数学の式が技術で記述されるかぎり、個々の技術を習得しなければならなかったのですが──、モデル の 「思想・体系」 と向きあうことになりました。しかも、相手は天才たちです。「黒本」 を出版したあと、(それを改訂するために、) 私の生活は、とても辛い状態になった。

 いま、私のてもと [ 机の側 ] には 「黒本」 は置いてない。そして、私は、「黒本」 を見るのも嫌です──当時、懸命に執筆したにもかかわらず。次回から、「『黒本』 を読む」 に対して 「補遺」 を綴ってゆきますが、その 「補遺」 は、(「黒本」 を直接に参照しないで、) それぞれの エッセー に対して綴ってゆきます。





 

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