2003年 5月16日 作成 「批評」 するということ >> 目次 (テーマ ごと)
2008年 6月 1日 補遺  


 
 TH さん、きょうは、「批評」 についてお話しましょう。

 
対象に対して、ぬきさしならぬ 「なにか」 を感じて迫られた作業が批評である。

 或る数学者 (数学基礎論の大家) の著作に対して、WWW の或る ページ (「日記」 風の形式を借りて個人の意見を述べている ページ) のなかで、以下のような批評が掲載されていました。

 「この著者は、○○ の観点から記述していることを評価できる。」

 その数学者の著作をいくつか読んでいれば、提示されている観点は、その数学者の立脚点であるのは (数学の その領域を研究している人々の間では) 一般に承認されていることであって、いまさら、門外漢が 「評価できる」 などというふうに新しい視点を評価したように言う筋合いはない。

 1つの言説を批評するという作業は、その言説が関与している領域のなかで公にされている膨大な資料をも対象にしなければならないし、しかも、その言説に対して、技術・思想の 「歴史」 の流れのなかで的確な座標を与えなければならない。
こと さように 「批評」 というのは一大作業なのである。
「批評」 は、酒の席において、思いつきの戯れ言を言い散らすこととは違う。

 或る言説に対して、賛成であれ反対であれ、ぬきさしならぬ 「なにか」 を感じて、その 「なにか」 を明晰に立証するために 「1 対 1 の対決」 を回避できないように迫られた作業が 「批評」 です。したがって、「批評」 は、(批評する人が) 自説の観点に立って自らの one-sided な コメント を付与した報告文とは違う。

 
的外れの評を弄しないためにも、「沈黙」 は批評の 1つの マナー である。

 批評家の力量は、批評の対象となっている言説を述べた人と同等 (あるいは、それ以上) でなければならない。
 それが批評の ルール (前提) です。

 その前提に立って、ぬきさしならぬ状態のなかで、寸鉄のように撃ち抜く アフォリズム を提示するのが第一級の批評家であって、第一級の批評家が綴った短い批評文は、思いつきの戯れ言とは雲泥の相違になる。

 They that know nothing fear nothing. 「無知は怖い物知らず」 と言うけれど、小賢しい知識を振り回せば恥を晒すので、他人が述べた言説に対して、ぬきさしならぬ 「なにか」 を感じていないのなら、黙っていること (!)
 的外れの論評をしないためにも、「沈黙」 は批評の 1つの マナー です。

 



[ 読みかた ] (2008年 6月 1日)

 「批評」 に関する quotations を探していたら、「批評」 に関する私の意見を代弁してくれそうな、以下の 3つの文を目にしました。(参考)

    Because a ciritc is never criticised he passes through the world without knowing what
    the world thinks of him.
    (Clifford Bax, John o'London's Weekly, Mr. Agate keeps egoing on 2 Sep 1940)

    I never read anything concerning my work. I feel that criticism is a letter to the public
    which the author, since it is not directed to him, does not have to open and read.
    (Rainer Maria Rilke, LETTERS)

    Pay no attention to what critics say. No statue has ever been put up to a critic.
    (Attr. Jean Sibelius)

 これらの英文を日本文に訳さなくても──訳さないほうが、「本意」 を──理解できるでしょう。
 さらに、もう一文を引用しておきましょう。

    They criticised Henry James as they might criticise a cat for not being a dog.
    (James Thurber, THE WINGS OF HENRY JAMES)

 「批評」 という意匠を施していても、「私と同じ考えかたじゃないから嫌い」 という類の感想文を綴っている人たちには、うんざり します。だったら、いっぱしの 「批評」 など装わないで、はじめから、「I don't like it because I don't like it (嫌いだから嫌い)」 というふうに気随 (きまま) を言ったほうが率直でしょうね。もっとも、そんな気随を言い散らせば、思量する ちから がないというふうに軽蔑されるでしょう。そして、「匿名の批評」 を私は軽蔑しています。

 
 (参考) Handbook of 20th Century Quotations, Sphere Reference, 1984, CRITICS pp. 84 - 85.




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  佐藤正美の問わず語り