2005年 8月 1日 作成 文を綴るための辞典 (英語) >> 目次 (テーマ ごと)
2010年 8月 1日 補遺  


 
 TH さん、きょうは、「文を綴るための辞典 (英語)」 について考えてみましょう。

 
 私は、英文を綴る際、たいがい、「定番の」 和英辞典 (研究社の和英中辞典・和英大辞典・英和活用大辞典とか、小学館のプログレッシブ 辞典など) を使いますが、いっぽうで、以下の辞典を多用しています。

  「英文を書くための辞書 (BASIC ENGLISH WRITER'S JAPANESE-ENGLISH WORDBOOK)」、
   Daniels, F.J.、北星堂

 私は、英語の専門家ではないし、英語を母国語として育った訳ではないので、英語を自信もって (確実に) 運用することができない。私の専門領域 (データベース 設計) を、数年に及んで、直接に指導してくれた恩師は、Eric Vesely という米国人でした。そして、データベース の プロダクト に関する知識も、米国で、英語を通して習得しました。つまり、私は、英語を通して、仕事の知識・技術を習得したのですが、英語 (の運用) は、当時も、いまも、苦手です (苦笑)。

 仕事のなかで使う英語に関しては、なんとか、「誤解を生まないように」、運用できるようになりましたが──自分の言いたいことを、一言で的確に伝えるというような積極的な運用ではなくて、まず、或る言いかたをして、次に、補足説明を、いくつも添える、というやりかたをしながら、「誤解を生まないように」、運用してきましたが──、日常会話では、informal な (あるいは、slang な) 言いかたが、ふんだんに盛り込まれているので、私は、ほとんど、「of the native speakers, by the native speakers, for the native speakers」 の日常会話を聞き取ることができない。そういう現象は、私に限ったことではなくて、英語を母国語としない人たちが、たとえば、英語の映画を、台本を観ないで、セリフ の 70%以上を聴き取るというのは、まず、できないでしょう。(英語を母国語としない) 日本人が、「英語をできる」 などと言っても、高が知れている。英語を少々しゃべることができるくらいで、「英語ができる」 などと言っている人たちを観ると、私は苦笑してしまいます。

 英語を母国語としない日本人にとって、英語を運用する際、致命的な点は、ことば の 「ニュアンス」 がわからない、という点でしょうね。したがって、或る言いかたを、数回、聴いた程度では、それを間違いなく転用 (流用) できる訳ではない。そのために、私は、英語を使う際、できるかぎり、簡単な単語 (現実の事態と指示関係が、はっきりしている語) を使って、記述的に語る、という やりかた にしています。簡単な単語 (基本語) は、いっぽうで、「多義」 なので、基本語を片言のように並べても、「多義」 の危険性を避けることができない。そのために、それらの単語を使いながら、できるかぎり、「記述的に語る」 ようにしています。そのために役立つ辞典が、上述した Daniels 氏の辞典です。この辞典は、前回、日本語を綴るための辞典として紹介した 「例解新国語辞典」 に似た性質の辞典です。

 たとえば、「...のつもりでいてください」 という日本語を、すぐに、英語に翻訳できますか。なかなか、むずかしいでしょう。小学館プログレッシブ 和英中辞典では、以下の用例が記載されています。

   あすは会議があるから、そのつもりで。 Expect [ Be ready for ] a meeting tomorrow.

 これは、巧みな訳ですね。さて、「英文を書くための辞書」 では、以下の句例が記載されています。

   〜, so (please) be ready (for the event)
   〜, (please) don't let there be any error about that
   〜, so there'll be no need for you to be surprised
   〜, so (please) don't do anything which might get in the way [ keep it from taking place ]

 たとえば、「〜をするつもりだけれど、それを観ても、気にしないでね (驚かないでね)」 というなら、「〜, so there'll be no need for you to be surprised」 が適訳でしょうね。あるいは、たとえば、こども が悪さをして、注意したあとで、「二度と、こういうことをしないように。もし、そういうことを、また、やれば、今度は、許さないので、そのつもりで。」 という意味なら、「〜, (please) don't let there be any error about that」 が適訳でしょうね。

 「英文を書くための辞書」 は、Basic English を前提にしているので、きわめて、単純な単語を使って、記述的な句例を、豊富に記載しています。こういう英語を使えば、英語を母国語としていない日本人でも、なんとか、「誤解を生まないように」、英語を使うことができるでしょうし、英語が苦手であると思っている人たちでも──私も、その一人ですが──、英語を使うことができるでしょう。私は、英文日記を綴る際、この辞典を多用しています。

 この辞典は、昭和 44年に出版されたのですが、いまも、出版されているかどうか、という点は、私にはわからない。ただ、そうとうに人気のあった辞典だったし、そうとうな冊数が出回っているので、古本店でも、入手できると思います。この辞典が 1冊 てもとにあれば、英語を綴る際、そうとうに役立つでしょう。



[ 読みかた ] (2010年 8月 1日)

 言語の運用形態 (読み・話す・聴く・書く) のなかで、一番に難しいのが 「書く」 ことではないかしら。「話す・聴く」 という行為は、眼前に相手がいるので、話し手は、相手の反応を観ながら話の中身を調整できる two-way traffic な行為ですが、「書く」 という行為は、相手が眼前にいないので、相手の反応を観ながら文の展開を調整できない one-way traffic な行為です──勿論、文を綴っているときには、読み手が どのような受け取りかたをするか想像しながら文を整えるのですが、読み手が眼前にいないので、直接の反応を観ることができない [ したがって、読み手が書き手の想像したような反応を示すかどうかは、わからないし、読み手が書き手の意図とは違う反応をしたときに対応することもできない ]。読み手が眼前にいないかぎりにおいて、書かれた文が、すべて です [ ひとつの独立した物です ]。これ [ 書かれた文が すべて である、ということ ] は当たり前のことであると云えば当たり前のことなのですが、これは頭でわかっていても、実際の文では、なかなか、現れてこない──おとなの書いた文でも、なかなか、「まともな」 文がない。

 私は、日本で生まれて日本で育ったので、日本語が母国語ですが、日本語の文を綴る──勿論、ちゃんとした文を綴る──ことが難しい。私にとって、母国語でない英語では、なおさらです。本 ホームページ のどこかで綴りましたが、私は、30歳代 [ 40歳すぎまで ] 海外に出張することが多くて、私の専門技術である データベース 技術は、英語で習得しました──私を指導してくれた欧米人は、日本語を全然知らなかった。つまり、私は、仕事を英語で覚えた、ということ。当時、私は、英語で ずいぶんと苦労しました。40歳なかばをすぎてからは、英語を使って仕事をすることがなくなって、私の英語運用力は、ずいぶんと落ちたと思います。英語運用力の低下を できるだけ食い止めるために、私は、まいにち、英字新聞を読み英文日記を綴ってきました。

 先日 (2010年 6月11日)、早稲田大学 エクステンションセンター の エレベータ に乗るとき──私は、早稲田大学 エクステンションセンター で講師 [ 「ビジネス の実態がわかる データベース の作りかた」 という講座の講師 ] をしているのですが──、英会話の講座を担当している女性の講師が私に話しかけてきて、しばらくのあいだ、会話しました。私は、すんなりと会話に入れたし──日本語から英語に チェンジ できたし──、彼女と たがいに ジョーク を言いあうこともできました──私は、ここ数年、ほとんど、英語を話したことがなかったにもかかわらず。

 私は、英語の専門家ではないので、英語の学習法については、上手に説明できないのですが、少なくとも、英語で仕事を覚えてきた体験をもとにして言えば、「読み・書く」 という行為ができれば、「話す・聴く」 という行為もできる、と思っています。もっと正確に謂えば、英文を多量に読めば、かならず、英語を話すことができる、と確信しています──私の実体験から、そう確信しています。

 英会話では、英語の文法──たとえば、冠詞・数・助動詞・前置詞など──が、少々でたらめでも、眼前に相手がいれば、身振り手振りで、言いたいことを 「なんとか」 伝えることはできるでしょうが、英作文では、そうはいかない。文法が いいかげんな文では、書き手は教養がないと判断されるだろうし、なによりも、「意味」 を伝えることができないでしょう。日本語においても、われわれは、そう思うでしょう。

 日本語の特徴は、他の言語──ここでは、英語──と比較して はっきりと意識されるでしょう。それぞれの言語は、それぞれの風土・文化のなかで生まれて使われてきたのだから、それぞれの思考法をもっているでしょう──日本語の思考法は英語の思考法と相違しています。そして、日本語と英語のあいだに存在する相違点 [ 思考法の相違点 ] を把握するためには、日本語の高度な運用力がなければならないでしょうね。日本語を まともに綴れないひとが英語を ちゃんと綴れる訳がない。

 私は、じぶんが英作文の りっぱな ちから をもっているなどと、毛頭、己惚れていない。私の英作文の ちから が どの程度の ちから なのか は、本 ホームページ に以前に──2002年・2003年に──記載した 「T字形 ER手法の英訳」 を ご覧ください。英文日記を綴っていれば、この程度の英文を綴ることできる、という見本にしてください。





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  佐藤正美の問わず語り