日本古典文学 (読解の基礎) >> 目次 (テーマ ごと)


 

 ▼ 入門用、あるいは初級向けの学習参考書

 ● 古文研究法、小西甚一、洛陽社 (★)
  [ 目次: 語彙、文法、有職故実、修辞 ]

 ● 対照記憶 古文単語の新研究、永山 勇、洛陽社

 ● 識別法中心 国文法の総整理、永山 勇、洛陽社

 ● 日本文学研究法 (日本文学大系 第一巻)、武田祐吉、河出書房

 ● 古典の読み方、藤井貞和、講談社学術文庫

 

[ 読みかた ] (2005年10月 1日)

古文研究法」 (小西甚一、洛陽社) は、高校生用の参考書ですが、必読書です。この書物は、1955年に初版が出て、1965年に改訂され、以後、いままで、版を重ねてきている 「定番の」 書物です。小生 (52歳) が高校生の頃に使っていましたが、いまでも、参考にしている書物です。執筆者は、故・小西甚一 氏 (当時、筑波大学名誉教授) です。小西甚一 氏ほどの卓越した研究者が、高校生向きに、みずから、執筆なさった書物です。しかも、組版 (活字の大きさ、行間のあきぐあいなど) も、小西先生が、みずから、指示なさったそうです。「はしがき」 には、以下のように綴られています。

   えらい先生の名になっているが、中味は大学院あたりの学生が他の参考書を抜き書き寄せ集めたもの--という
   実例をいくつか知っている私は、そういう先生に限って 「学習参考書なんかは」 とばかにしたような顔をしたがる
   ことも知っている。しかし、それは心得ちがいというもので、...

   この本の初版が出たとき、こういった内容と構成をもつ参考書はひとつも無かった。ところが、デザイン盗用で
   世界的に悪名の高いわが同胞の商魂は、ついに学者までなかま入りさせたらしく、この本をまねた古文参考書
   がぞくぞく現れた。なかには、第一版における私の誤りまでそっくり持ちこんだものさえある。しかし、それらの
   糊ハサミ式参考書を見て感じたのは、いっぽん筋がとおっていないということである。器用にまとめてはあって
   も、全体としてぐいぐい迫ってくる力がない。つまり死に本である。では筋とは何か。良心である。十年にわたって
   書き直したけれど、私の本にはまだ不備があるかもしれない。だが、良心だけは、ぜったいに不備でないつもり
   である。

第一級の研究者が、そういう良心をもって執筆した書物は、「高校生用」 を超えて、古文を学習したいと思う人たちに迫ってくるでしょう。本書は、以下の構成となっています。

   第一部 語学的理解 (語彙、語法と解釈)
   第二部 精神的理解 (古典常識、修辞のいろいろ、把握のしかた、批評と鑑賞)
   第三部 歴史的理解 (事項の整理、表現と連関、時代と思潮)

以上の構成からわかるように、この書物を読めば、古文の基礎的知識が、一通りに習得できます。過去 50年のあいだ読み継がれてきた 「名著」 です。古文を、これから、本気で学習したいと思う人たちには、必読書でしょうね。ただ、古文を現代語訳で読んで、それぞれの名作の 「あらすじ」 を知りたい、と思う人たちは、本書を読まないほうがいいでしょう--こういう言いかたは、皮肉でもないし、現代語訳を軽視しているのでもないのであって (小生は、いくつかの古典を現代語訳で読んでいますので)、本書は、そういう目的向きではない、ということです。
いまから古文を本気で学習しようと思っている人たちは、本書を、隅々まで、丁寧に読んで下さい。



 

 ▼ 入門用、あるいは初級向けの学習用副読本

 ● 有職故実 日本の古典 (角川小辞典17)
  室伏信助・小林祥次郎・武田友宏・鈴木真弓 編、角川書店

 ● 新詳説 国語便覧、中洌正堯・長谷川滋成・花田俊典・竹村信治 編、東京書籍
  [ 高校生用の副読本 ]

 ● ヒ゛シ゛ュアル 解説 原色シグマ新日本文学史、秋山 虔・三好行雄 編著、文英堂
  [ 高校生用の副読本 ]

 



[ 読みかた ] (2005年10月 1日)

有職故実の辞典は、是が非でも (少なくとも)、1冊を、てもとに置いておくべきでしょう--古文の学習が、ややもすれば、ことば の翻訳のみに注がれて観念的になって、古人の生活・風俗に対する具象性を欠落する危険性が高いので。たとえば、「源氏物語」 の 「昼顔」 を、現代の 「昼顔」 として想像するのは、間違いです。そういう間違った読みかたを、「現代的な解釈」 というふうに云うのは、単なる 「でたらめな」 読みかたであって、古典に対する冒涜です。
「有職故実 日本の古典 (角川小辞典 17)」 の 「はしがき」 は、以下のように綴られています。

   平安時代に成立した 「源氏物語」 の背景を知るために鎌倉時代に制作された 「紫式部日記絵巻」 を参照する
   のは、厳密を期するならば、不適当です。まして江戸時代の考証家が推定して描いた絵図類などには、ほとんど
   使用にたえないものがたくさんあります。(略)

   また、有職は 本来 平安時代の公家有職と鎌倉・室町 時代の武家有職とを対象とするものですが、本書では
   上代から近世までの有職的なことがらというふうに広義に枠を広げてあります。それは、古典を通して、より
   豊かな イメーシ゛ の世界を築くための座右の書たらんとした本書の意図から出たもので、図録類と専門書との中間
   をゆくものとして、とりわけ実用性を重んじました。

古人の生活・風俗を具体化するのであれば、少なくとも、服飾・調度・住居に関する知識を学習しなければならないでしょうし、さらに、自然環境 (木・花・草、獣・鳥など) や社会 (行事、芸能娯楽、貨幣、武具、交通手段など) も学習しなければならないでしょう。色に対する感覚も、古人と現代人では、微妙に違うようです。
古人の魂を招魂して、古人の生活を 「生々しく」 再現することは、愉しみの 1つですね。こういう感覚がなければ、「愛国」 と云われても、ただ、観念的な スローカ゛ン (propaganda slogan) に堕落してしまうでしょう。テレヒ゛ 番組の時代劇では、ときどき、「物語」 を作品として構成するために、劇的効果を狙って、時代考証を (わざと) 無視していることがあるようです。古人の認 (したた) めた原典を読みながら、古人の生活を想うというのは、愉しみのなかでも、最上の愉しみの 1つでしょうね。




 

 ▼ 中級用の学習参考書

 ● 日本文学研究必携 (古典編)、日本文学協会編、岩波全書

 ● 古典文学研究必携、市古貞次 編、学燈社

 ● 雑誌「国文學」: 特集 「古典文学の キーワート゛」、第30巻第10号9月号、学燈社

 ● 雑誌「国文學」: 特集 「古典文学基本知識事典」、第33巻第11号9月号、学燈社

 ● 雑誌「国文學」: 特集 「キーワート゛ 110 古典文学の述語集」、第40巻第9号臨時号、学燈社

 ● 平安時代の信仰と生活 [「国文学解釈と鑑賞」 別冊 ]、山中 裕・鈴木一雄 編、至文堂

 ● 平安貴族の世界、村井康彦、徳間書店

 ● 古典文章宝鑑、小田切秀雄・川口久雄・松田 修 編、柏書房
  [ 人生観・恋愛・学問など カテコ゛リー 別に文章を抜粋してある ]

 ● 話に生かす日本の古典、渡辺富美雄・加部佐助 編、ぎょうせい
  [ 近世・中世・上代の時代ごとに、物語・日記・和歌などから抜粋してある ]
  [ それぞれの時代の人生観を浮き彫りにしている ]

 

[ 読みかた ] (2005年10月16日)

 入門編に記載した書物を読んで、古文読解の基礎力を養ったら、いよいよ、「原典」 を読めばいいのだけれど、いっぽうで、基礎知識を、さらに、拡充したほうがいいでしょう。「なにを、いかに読めばいいか (どういう作品が、どのような研究がされてきて、どのような参考文献があるのか)」 という 「読書の道しるべ」 としては、後述する 「日本古典文学研究大事典」 が最新版として役立つでしょう。「日本古典文学研究大事典」 は、「研究大事典」 というように、専門的に研究しようとする人たちの 道しるべ です。1つの作品を専門的に研究するには、いまに至るまでの研究文献を、まず、網羅的に調べなければならないでしょうが、われわれ アマチュア が、「或る作品を研究する」 こと--時代のなかで、語義を正確に整えることなど--を目的にしているのではなくて、専門家のいままでの研究を拝借して、作品を読むことを目的としているのなら、基本的作品に関して、基本的な参考文献さえ読んでいればいいでしょうね。したがって、研究の道しるべとして、少々、版が古くても、基本的作品・基本文献が網羅されている コンハ゜クト な 「道しるべ的文献」 がいいでしょう。そういう意味では、「日本文学研究必携 (古典編)」 (日本文学協会編、岩波全書) および 「古典文学研究必携」 (市古貞次 編、学燈社) は、お薦めです。ただし、いずれも、絶版ですので、古本店で探してください。

 入門編で学習した基礎知識を拡充するために--古典文学の 「キーワート゛、基本知識 および述語」 を学習するために--、雑誌 「国文學」 の ハ゛ックナンハ゛ー のなかで、われわれ アマチュア が読みやすい号を選んでみました。雑誌 「国文學」 は、古本店 (日本文学の書物を揃えている古本店) に、たいがい、置いてありますので、入手しやすいでしょうし、古本店で入手できなかったら、図書館で借りて下さい。

 古典文学を 「作品」 として鑑賞することは、「文学の読解」 として当然のことですが、いっぽうで、古典文学の作品を 「通史的に」 読んで、日本人の 「ものの見かた」 を調べることも、愉しい趣味の1つになるでしょう。古人は、日本人として、事象に対して--たとえば、恋愛など--、われわれ現代人と似た感じかたをしている点もあれば、きわめて相違する考えかたをしている点もあります。1つの作品のなかに綴られている感じかた・考えかたは、かならずしも、その時代に共通の性質であるとは言い切れないでしょうね。1つの作品が時代精神を語っているかどうか、という点は、同じ時代の、もっと、数多くの作品と対比したり、ほかの多量な資料 (美術、建築など) を考慮したりしなければならないので、専門家の仕事になりますが、専門家が、そういう研究をふまえて、作品を解説していれば、われわれ アマチュア には、非常に参考になります。
 1つの作品は、作品であるかぎり、作品のなかで語られている感性・知性は--たとえ、時代のなかで、時代的精神との相互作用があるとしても--、あくまで、個人に帰属するというのが 「事実」 でしょうね。
 「古典文章宝鑑」 と 「話に生かす日本の古典」 は、それぞれの作品のなかからの抜粋文です。抜粋文のみを読んで--作品のほかの記述を切り捨てて--、われわれが、思いのままに、「像」 を作るのは危険なのですが、そういう危険性を自覚していれば、「軽い読み物」 として、それぞれの時代で、どういう考えかたがあったのか、という点を鳥瞰するためには、有用な書物です。われわれが、或る事象--たとえば、恋愛・仕事など--に対して、考えかたを 「引用」 する際にも、役立ちます。




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