日本古典文学 (文法) >> 目次 (テーマ ごと)


 

 ▼ 中級用の文法の文献

 ● 時代別・作品別 解釈文法、共著、至文堂
  [ 雑誌 「国文學」 の収録文献を単行本にしてある。]

 ● 文法早わかり辞典、雑誌 「國文學」 第24巻第12号臨時号、學燈社

 ● 古典を読むための 助動詞と助詞の手帖、雑誌「國文學」第29巻第8号臨時号、學燈社

 ● 文語文法詳説、湯沢幸吉郎、右文書院

 ● 古文読解のための文法、佐伯梅友、三省堂 (★)

 ● 国文法ちかみち、小西甚一、洛陽社 (★)

 ● 日本語の文法、大野 晋、角川書店

 ● 日本語の文法を考える、大野 晋、岩波新書 53 (★)

 ● 奈良朝文法史、山田孝雄、宝文館出版 (★)

 ● 平安朝文法史、山田孝雄、宝文館出版 (★)

 ● 古代日本語の研究 (親族語彙の国語学的研究)、劉 学新 著、同成社

 ● 上代・中古の敬語 (敬語講座 2)、明治書院

 ● 中世の敬語 (敬語講座 3)、明治書院

 ● 江戸言葉の研究、湯沢幸吉郎 著、明治書院

 ● もの語彙とこと語彙の国語史的研究、東辻保和 著、扱古書院

 

[ 読みかた ] (2005年10月16日)

 古典文法は、学習する際、非常に てごわい。語彙が時代とともに変化するように、文法も、時代ごとに、特徴があります。時代ごとの文法的特徴を知るために、まず、「時代別・作品別 解釈文法」 (至文堂) を読めばいいでしょう--絶版ですので、古本店で入手するか、あるいは、この単行本のもとになった雑誌 「国文學」 を、古本店で入手してください。古文の学習は、まず、中古文を対象にするでしょうから、もし、古文を 「本気で」 学習するなら、文法書として、「奈良朝文法史」 (山田孝雄、宝文館出版) および 「 平安朝文法史」 (同) は、必読書でしょう。この 2冊を読んで、文法の大辞典を てもとに置いておけば、古文 (中古文) を読むには、まず、大丈夫でしょう。
 古代の語彙・文法は、(古典文法が、ただでさえ、むずかしいのに、) きわだって難解な対象です。古代語を学習する際には、「語根」 を無視することができない。われわれ アマチュア が、たとえば、古事記や万葉集を 「原文」 で読むことは、まず、ないでしょうが--専門家が解読した 「書き下し」 文を読むのが ふつうでしょうが--、「語根」 に関して、少々の知識を習得しておいても、(「日本語」 の成立・変遷を知るという観点から判断すれば、役立つので、) 損にはならないでしょう。
 万葉集の解読に関して、韓国の学者が、「通説」 に対して、異議を唱えて、さらに、その異議に対して、日本の学者が反論して、話題になったことがありますが、われわれ アマチュア が、そういう書物 (第一線の研究者たちの論争) を読んで、「ウケうり」 しても、なんら、みずからの学習には、役立たないでしょうね--そういうふうな 「解釈」 もあるのか、というふうに静観していればいいでしょう。第一線の研究者たちの論争を聞いても、われわれ アマチュア は、そもそも、どちらが正しいか、という判断をできるほどの知識はないのだから。

 文法の基礎知識を全体的に学習するには、「古文読解のための文法」 (佐伯梅友、三省堂) と 「国文法ちかみち」 (小西甚一、洛陽社) を、お薦めします。国文法の基礎知識がある人なら、「佐伯文法」 という言いかたがされていることを ご存じでしょう。「佐伯文法」 は、国文法に関して、1つの整った学説として有名です。ちなみに、興味深いことに、佐伯先生と小西先生は、つきあいがあったようです。小西先生の 「国文法ちかみち」 は、大学院国文科を志望する学生向けの中味ですが、「はしがき」 には、以下のような記述があります。

   というのは、わたくし自身が、あまり文法をすかないし、頭もそれほど良くなかったからである。したがって、
   文法にはさんざん苦しんだ。いまでは、国文学専攻の大学生諸君を相手にしても、何とか文句をいうところまで
   漕ぎつけているけれど、それまでの苦労といったら、秀才型の頭を持ちあわせる人たちの想像もできないほどで
   あったろう。だから、文法に悩まされている諸君に対しては、おそらく誰よりも同情と理解をもっているつもりで、
   それが わたくしに この本を書かせた主な理由である。

   それほど文法に弱かった わたくしが、ともかく人前で文法の話を持ち出せるようになったのは、佐伯梅友先生の
   おかげである。わたくしは、昭和二十一年から六年間、先生と同じ研究室にいさせていただいた。ところが、佐伯
   先生は、世にかくれもない文法の虫であって、...(略)。そんな先生と、文法ぎらいの わたしとが幾年も仲よく
   同室していたのは、まことに皮肉といえば皮肉だが、結果としては、わたくしに たいへん幸せをもたらしたよう
   である。この本のなかで佐伯先生のことがよく出てくるのは、そういった理由からである。

   この本では、これまでの常識と かなり違った方法がとられている。しかし、それは勉強の 「方法」 についての
   ことであり、説かれている文法そのものは、なるべく穏当な学説に従ったつもりである。ところで、その方法は
   アメリカ 流の訓練主義でつらぬかれているから、実は、あまり楽な勉強を期待してもらうと、すこし当てがはずれる
   かもしれない。が、考えてもみたまえ。文法ぎらいで頭もたいして上質でない お方が、努力ぬきで すらすら
   文法を マスター できるなんて、そんな虫のよい話があったら、それこそ大嘘にきまっている。文法ぎらいで、頭も
   上質でない人だって、わたくしの言うとおりに努力すれば、かならず ちゃんとした成績がとれるということだけ
   しか、わたくしは保証しない。「むだな努力をさせない」、それが結局わたくしのねらいなのであり、また
   「ちかみち」 ということの正しい意味でもある。




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