思想の花びら 2013年 4月16日


 ●  アラン (哲学者) のことば

  彼ら (マラルメ と ヴァレリー) は謎をゆさぶり、その妙音をたのしんでいる。若い人たちはそういうところから出発するのだ。ソクラテス も プラトン も、まさにそんなふうに ホメロス の謎をゆさぶったものである。(略)
  明るい謎、つまり解くことの可能な謎、いいかえると数学的な謎、解けなければわれわれが怠慢だということになるような謎が、いまでは求められている。   

 



 ●  亀井勝一郎 (批評家) のことば

  誰もが、同じような言葉で、同じような表現をとって、それが社会的に一つの威力となってあらわれる場合がある。(略)
  人間の自由には限界はあるにしても、「私は自由であるか」 という疑問を失ってはならないのは、この画一性への抵抗のためである。いかなる意味での画一性に対しても、つねにめざめているのが人間の自由というものであろう。出家遁世も、同一型のくりかえしになったときは明らかに堕落した。私は兼好や芭蕉の言葉から、「自由」 という観念を出来るかぎり明らかにしようと思ったが、「本音」 というものは、昔の人も今の人も容易に吐かないものである。「本音」 の自由はただ仏道に向ったときと、中世人は考えつめていたようである。人間の口にする自由の虫のよさに、失望していたのかもしれない。

 


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