思想の花びら 2018年 3月15日


 ●  アラン (哲学者) のことば

  たとえば、時間は分割できない諸瞬間からできあがっていやしないだろうか、と考えるのは、時間を運動と置きかえているので、しかも運動の影像からのがれていない、運動というものもまた、悟性にとって、挿話の連続とは別物なのだから。空疎な論理が、永遠を発見して嬉しがるのも、時間を物質化してしまった結果だ。ここでも、物と考えとを切り離さず、しかも両者をはっきり区別しなければならない。事実僕らはそういう態度でものを考えているのだ、僕らが通常の判断で考えるところを正確に知るということが、そもそも決してばかにならないことなのだ。

 



 ●  亀井勝一郎 (批評家) のことば

  とにかく出会って、さうして開眼する。いままで自覚してなかつたことを自覚せしめられる、目を開かせられる、さうしてそれに信じ従ふ。邂逅と開眼と信従、したがつてそこに感謝の気持が出てくるわけですが、かうした経験だけが人間としての最高の経験だらうと思つてをります。

 


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