思想の花びら 2018年 7月 1日


 ●  アラン (哲学者) のことば

  無秩序な経験は、重ねれば重ねるほど、単独な物よりももっと人をあざむくものだ。無秩序な経験が悟性ににせ金をつかませるのは統計の拙劣による。地平線とか鐘楼とか並木道とかの知覚には、考えられた距離がなくてはならないように、落下の知覚にもなくてはならぬ、分割できない惰性とか速力とか加速度とか力とかという、目には見えない、考えられ設けられた諸関係は、ひとえに物の考察から、ひとえに物を知覚しよう、物の表象を得ようとする不断の努力からのみ生れるのだ。この世は法則以前に与えられたものではない。たとえば明け方と暮れ方に現われるあの妙な二つの星が、たった一つのケプレルの軌道の上のたった一つの星となるように、法則が姿をあらわすに準じてこの世はこの世となり物となる。

 



 ●  亀井勝一郎 (批評家) のことば

  諸々の古菩薩像は、千年の歳月を経て、いづれも彼ら固有の運命をもち、固有の神託をもつてゐる。(略) 古仏をたゞ保存された彫塑とのみ思ふのは誤りである。千年にわたつて人間が祈つた切なる生命の息吹きを、古仏の肉体は吸収してゐるのである。彼らはわが前に跪拝せよとは言はぬ。われを絶対に信ぜよとも言はぬ。伝統を語らず勿体をつけず、放心のまゝ黙然として立つてゐるだけである。大自然の扉をひらく黄金の鍵と云つてもよかろう。それを開顕する力は我らの唯信である。

 


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