思想の花びら 2019年 5月15日


 ●  アラン (哲学者) のことば

  さて、言語が社会の子であることを考えてみなければならぬ。人間は最初孤独であったが、しだいに他の人々と提携するようになったというのはおろかな作り話にすぎぬ。いろいろな人の言葉があるが、アガシス の強い言葉引用しておきたい、「ヒース はつねに荒野に生えていたが、人間はつねに社会に住んでいた。」 人間はその誕生以前すでに社会生活をしていたのである。言語は人間と同時に生まれたのであって、僕らが社会における人間の力を感ずるのは、つねに言葉によってである。人々が逃げだせば逃げだす、ということがすなわち話すとかわかるとかいうことだといって、すこしもさしつかえない。そこで模倣によって、というのは教育によってと言うにほかならぬが、さまざまの記号がしぜんと単純化され普遍化されて、社会自体の表現となることを理解したまえ。したがって、さまざまの記号はつねに典礼的記号からなりたつ。

 



 ●  亀井勝一郎 (批評家) のことば

  粉飾は剥奪されねばならない。しかも剥奪の後に、だゞ物質関係を基準として働く人間を発見するにすぎなかつたとすれば、これは悪意にみちた復讐であるか、錯誤か、或は人生智の偽らぬ相であるか。遺憾ながら、人間はつねに高貴であるとは限らない。パン 以上のものへ憧れつゝ、奴隷であることも多い。悲惨を悲惨と自覚せず、却てそれが世の実相だと考へないわけにゆかないこともある。この側面からの解決が一切の基本であると。かゝる問題に面して、人間はまさに妥協の一歩前に立つ。この誘惑に勝つか負けるか。

 


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