思想の花びら 2020年 7月15日


 ●  アラン (哲学者) のことば

  世間では、自分に満足した人間がいるということをいうが、僕はそんな人を一度も見たことがない。くりかえし他人からほめられる必要を感じているのは、ばか者に限る。成功は一種の安心をもたらすものだ。しかしことごとく成功した場合でも、この成功をささえる必要から、やりきれぬ思いをするのがふつう人の感情である。だれでも人を不快にするのはいやだ、人の気に入るのはうれしい。ただ自分の力で、人から好かれる自信のあるような男女がはたしているだろうか。ずいぶん確信の強い人でも、身のまわりに装飾や礼儀をつけている、友人の力で元気をつけている。無為な社会の悪習と自己反省に対する嫌悪とに押されて、世をあげて、阿諛追従を求める、金を払ってまで。そして、一種の安心に達する。だが、これは自愛ではない、虚栄心である。(略) しかし、この装飾は長持ちしない、虚栄はついに虚栄である。

 



 ●  亀井勝一郎 (批評家) のことば

  人生とは広大な歴史と云つてもいゝ。歴史とは無数の人間の祈念の累積だと云つてもいゝ。或は果さうとして果しえなかつた様々な恨みを宿すところとも云へるだらう。私はそれを学びつつ、やがて自分も束の間にしてその歴史の中に埋没してしまふことを知る。人間の一生は短いものだ。しかし自分は生きてゐると、たしかに感じさせるものがあるわけで、(略) したがつて人生における一大事、人生を人生として私達に確認させるものは、一言でいふなら邂逅であると云つてよい。

 


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