思想の花びら 2021年 6月15日


 ●  アラン (哲学者) のことば

  戦いはあらゆる情熱の終末であり、いわば解放だ。情熱はみなそこへいく。めいめいがただ機会を待ちかまえているにすぎない。恋人が不貞な相手を罰しようと思うとか、富者が貧者をあるいは貧者が富者を罰しよう、あるいは不正の徒が正義の徒を、正義の人が不正な人間を罰したいと思うとかいう状態は、みな真に平和な状態ではない。そういう際には、思想はもはやただいろいろなとげにさされて不眠の状態を続けている。そこで自然の諸原因が戦いのうちに戦いにそむくものも投げ入れたのだ。とげにさされた思想は、なにか大きな衝動とか無碍の怒りとかがなければ収りがつかなかったのだ。(略) 戦いは一つの解決ではない、戦いと解決とは同じものだ。嫉妬に燃えた男は、喜びに燃えて女を殺す、こわくなるのは殺してからだ。

 



 ●  亀井勝一郎 (批評家) のことば

  私は宗教に関心を深め、文明批評に興味をもち、人生論とか恋愛論もかき、また古典の地を訪れて古美術を語ることも楽しみにしてゐるわけで、その上文学批評もやるので、いかにも多才のやうにみえるかもしれないが、決してさうではない。人生いかに生きるかといふ唯ひとつの問ひから出てくることで、貫くものは一つである。表現の様式は異つても、表現上の苦労をかさねてゐる点ではすこしも他の文学者と異つてゐるわけではない。私は更に視野をひろくし、山積する日本の様々の問題にとり組んで行きたいと思つてゐる。

 


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