思想の花びら 2021年 8月15日


 ●  アラン (哲学者) のことば

  さまざまな情熱におぼれないようにする、なにごとにつけてこれが精神の力だ。(略) 最も深い意味での精神は、微笑自体のうちにあるのだ。なぜかというと、みずから制限してはるかかなたに置いたものをみて仰天してしまうのは、人間の暗愚の最も隠微な最後の現われだからだ。この恐怖のうちにすべての偶像崇拝がある。これに反し、神はおのれの姿を見て微笑する。形を成就してこれを解説する動きはそこにある。あらゆる偉大さは、準備された力の盛りあがるところに、易々として成るものだ。そのような人の風格ないしは表現こそ、その報酬だ。

 



 ●  亀井勝一郎 (批評家) のことば

  エホバ の愛は、はじめから赦すための愛ではない。十誡に示されたようにまず神の正義をうちたて、その正義が実行されるかどうか、実行されないところに対しては容赦なくこれを裁断するという云わば神の義が中心である。その愛とは義の愛である。愛の故に 「義」 はいささかもゆるがせにされない。(略) 同時に キリスト 教の固有の 「非寛容」 がここにみられるであろう。それは頑固とか偏狭とはちがう。「義」 のために妥協をゆるさない精神である。人間がこれを行使するときはむろん危険だ。あくまでも神の義であり、人間としてはそれへの祈りと随順がゆるされるだけであろう。

 


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