思想の花びら 2023年 7月 1日


 ●  アラン (哲学者) のことば

  だが知らねばならぬところに通暁する人はいかにもまれなもので、そんなことに努力しているうちに新しいことはなにも言わぬという始末になる。なるほど言葉がいよいよ簡明になるが、だれでも同じことをしゃべるようにもなり、退屈がやってくる。この退屈をささえる強い野心とか恋愛の情熱のおかげで、人々はさまざまな表現に力をこらすようになり、いきおい声の規則的な抑揚とか言葉の順序だとかを重んずる話し方わからせ方が生れてくる。音楽にも同じ性質が現われる、まず安定感を与えるありきたりの規則的な転調を使用すると同時に、規則を破らぬ程度の不意打をくわして、聴衆をたのします。この点、詩は、音楽に似ている。(略) そうなると、感情の動きは、肉体が着物のひだから判じられるように、節奏による規律的な変化から判じられる。情熱は判じることによって育つものだから、礼儀正しい社会の快楽は、感動を情熱に変形させる傾向がある。しかしことわざにいうように、病気より薬の方がこわい。

 



 ●  亀井勝一郎 (批評家) のことば

  古来古代 ギリシャ においては、道を求むるものはまず友情を求めた。友情とは肉体と魂が妊娠状態にあるものが、美しく気高く素性のいい魂にめぐりあって、そこでの結合を自覚することである。人生における最も重要なことはこの種の邂逅である。そこに師弟に交りも結ばれるが、古代 ギリシャ においてはその場合でも友情的要素は極めて濃い。
  教えるものと教えられるものとは、共に道を求める者として友情の裡に対話を試み、対話を通して魂の悩み──陣痛状態を明らかにし、それによって真理を産ましめるように導いたのである。つまり ソクラテス は妊娠せる魂の産婆役を勤めた最高の哲人であった。

 


  << もどる HOME すすむ >>
  思想の花びら