2003年 5月 1日 作成 「はしがき」 を読む >> 目次に もどる
2006年 2月 1日 更新  



● 執筆の動機

 拙著 「論理 テ゛ータヘ゛ース 論考」 を執筆した動機は、さきに出版された拙著 「T字形ER テ゛ータヘ゛ース 設計技法」 のなかに綴られている1つの疑問と1つの間違いを正すために執筆された。

 (1) [ 疑問点 ] 「HDR-DTL」 の構造が立証されていなかった。
 (2) [ 勘違い ]  リレーションシッフ゜ は ヒ゛シ゛ネス・ルール を写像していなければならない。



[ 補遺 ] (2006年 2月 1日)

 単純に言い切ってしまえば、本書 「論理 テ゛ータヘ゛ース 論考」 は、前書 「T字形ER テ゛ータヘ゛ース 設計技法」 (世間では、「黒本」 という愛称をいただいた) を否定するために出版した。「黒本」 は、いまになってみれば、論証があまいし、いつくかの間違いを犯しているし、なによりも、根底にした哲学 (写像理論) が適切ではなかった。「黒本」 は、1998年に出版されたので、もう、8年も前の書物である。2005年に絶版にした。ただ、最近になって、「黒本」 が人気を得ていることを作者たる私は忸怩たる思いを抱いている。

 TM (T字形 ER手法) は、コット゛ 関係 モテ゛ル を前提にして、意味論を強く適用した体系になっている。意味論を強く適用する際、対象 (あるいは、entity) を 「event と resource」 という性質に切り離した。そして、モテ゛ル (テ゛ータ 構造) のなかの項 (entity、対照表、対応表および再帰表) の並びは、現実的世界の物 (事象・事物) の並びと対応している--射が存在する--という 「素朴な (naive な)」 考えかたに、当初、立っていた。
 しかし、この考えかたでは、たとえば、サイス゛・コート゛ や カラー・コート゛ が示す対象のように、現実的世界には存在しない概念的構成物を説明することができない。しかも、モテ゛ル を使って生成される 「情報」 は、事業過程・管理過程のなかで、「意味」 が伝達されている。

 「無い物を有る」 と言えば虚構になるし、「有る物を無い」 と言えば隠蔽になる。したがって、対象と語のあいだには、なんらかの指示関係 (「真」 概念が成立する前提) を考えなければならない。そして、その 「『真』 概念が共有される--「意味」 が成立する--正当化の前提」 を考えなければならない。
 「論理 テ゛ータヘ゛ース 論考」 が最大の目的にしたのが、この 「意味 (モテ゛ル) の正当化」 を考究する点であった。

 





● 執筆の目的

 T字形 ER手法は、(述語論理ではなくて) 命題論理を前提にしている。
 執筆の目的は、命題論理と述語論理 (および集合論) を再検討して、T字形 ER手法が以下の 2点を保証している点を証明することであった。

 (1) 無矛盾性 (T字形 ER手法の ルール のなかには「A∧¬A」がない。)
 (2) 完全性 (T字形 ER手法を使って作図された構造は、いくつかの公理から、すべて、導出できる。)

 最大の懸案事項だったのは、「リレーションシッフ゜ は ヒ゛シ゛ネス・ルール を写像していなければならない」 という幻想 (「モテ゛ル 探し」) を打破する点にあった。

 
 数学の技法を棚卸しするために、「理論編」 では、以下の領域に関する基礎技術を検討した。

 (1) 記号論理学・数学基礎論の体系
 (2) フ゛ール 代数
 (3) 命題論理
 (4) 述語論理
 (5) 関係の論理
 (6) 集合論
 (7) 推論



[ 補遺 ] (2006年 2月 1日)

 「論理 テ゛ータヘ゛ース 論考」 は、TM (T字形 ER手法) を以下の 2点の観点から検討している。

   (1) 構文論 (Syntax)
   (2) 意味論 (Semantics)

 「論理 テ゛ータヘ゛ース 論考」 では、構文論の検討を重視して、意味論の検討は、写像理論を捨て 「言語 ケ゛ーム」 概念を導入することのみを狙いとした。意味論を さらに検討するために、(「論理 テ゛ータヘ゛ース 論考」 を出版したあとで、) 「テ゛ータヘ゛ース 設計論--T字形ER (関係 モテ゛ル と オフ゛シ゛ェクト 指向の統合をめざして)」 を上梓した。「テ゛ータヘ゛ース 設計論--T字形ER」 は、世間では、(表紙の色あいを指して、) 「赤本」 という愛称をいただいた。「赤本」 では、(ホ゜ハ゜ー 氏、カルナッフ゜ 氏および分析哲学の考えかたを検討して、) 「モテ゛ル」 の要件 (語いと文法) および 「真」 概念 (事実的な 「F-真」 と導出的な 「L-真」) を まとめている。

 「論理 テ゛ータヘ゛ース 論考」 では、TM (T字形 ER手法) の文法が、構文論上、証明木 (proof tree) として矛盾しないかどうかを検討している。そのために、本書の前半は、数学基礎論・記号論理学の基礎技術を、まず、棚卸している。そして、いっぽうで、哲学の考えかた (言語 ケ゛ーム) を導入して、「意味」 の成立を検討し直した。

 いまになって思えば、「推論 (自然推論)」 の章を、もっと、豊富に記述すべきだったと思う。そして、ク゛ラフ (Graph) も記述すべきだったと思う。さらに、モテ゛ル 理論にも言及すべきだったと思う (無矛盾性・完全性に関する数学的技術を、もっと、詳細に示すべきだったと思う)。

 というのは、TM の無矛盾性を証明するために、当初、安直に考えていて、コット゛ 関係 モテ゛ル (完全性が証明されている モテ゛ル) に対して、TM の意味論概念 (event および resource) を初等的拡大として付与すれば、TM の無矛盾性を証明できると思い込んでいたから (実際は、「写像理論」 を捨てたので、そう単純ではなかった)。

 





● 写像理論

 「リレーションシッフ゜ = ヒ゛シ゛ネス・ルール」の幻想を打破するためには、以下の 2点を検証しなければならなかった。

 (1) 写像理論
 (2) 関係の論理

 T字形ER手法は、当初、ウィトケ゛ンシュタイン 氏の 「論理哲学論考」 を手本にして作成された。
 「論理哲学論考」 は、写像理論と真理関数を使って論理を解析している。「論理哲学論考」 が主張した命題の1つが、「言葉の意味は現実を写像している」 という点であった。
 そのために、拙著「T字形ER による テ゛ータヘ゛ース 設計技法」では、それを継承している。

 それをべつの言いかたで記述すれば、「リレーションシッフ゜ = ヒ゛シ゛ネス・ルール」 ということになるのだが、(T字形 ER手法を実地に使っていて現実の対応として) ヒ゛シ゛ネス・ルール を隅から隅まで知り尽くすということはできないことを感じていて、「リレーションシッフ゜ = ヒ゛シ゛ネス・ルール」 という考え方が疑問点として小生の思いのなかに遺っていた。まず、打破しなければならない点が写像理論だった。



[ 補遺 ] (2006年 2月 1日)

 TM (T字形 ER手法) を意味論・構文論の観点から検討した際、意味論上、最大の攻撃対象になったのが 「写像理論」 である。「関係の論理 (aRb)」 は、構文論上の検討事項である。

 小生は、ウィトケ゛ンシュタイン 氏の書物を 19歳のときから読んでいたので、「論理 テ゛ータヘ゛ース 論考」 を執筆するまでに--2000年1月の出版なので、1999年までに--28年のあいだ ウィトケ゛ンシュタイン 氏の書物を読み込んできて、かれが初期の考えかた (写像理論、「論理哲学論考」 のなかで示された考えかた) を捨て、「言語 ケ゛ーム」 (後期 「哲学探究」 のなかで示された考えかた) を提示していたことを当然ながら知っていた。しかし、小生には、当時、「哲学探究」 を理解できなかった。そのために、構造を組みやすい 「写像理論」 を使って、当初、TM (T字形 ER手法) を作ったし、かつ、「モテ゛ル」 としたら、その前提に立っていれば齟齬をきたすことはないと思い込んでいた。しかし、実際の テ゛ータ を前にしたときに、カラー・コート゛/サイス゛・コート゛ の存在や、それらを使って 「意味」 が伝達される事態を (「写像理論」 を使っていたら、) 整合的に説明することができなかった。

 小生が 「哲学探究」 を理解できるようになった時期は、「論理 テ゛ータヘ゛ース 論考」 を執筆する 2年ほど前であった。言い換えれば、「黒本」 を出版した直後であった。この点を考えても、「黒本」 は、出版した直後に捨て去られる運命にあったと云える。「黒本」 は、そもそも、1996年に出版するはずであったが、日々の仕事に追われて、執筆が捗らず、出版が 2年おくれた次第である。

 「写像理論」 を捨て、「言語 ケ゛ーム」 のほうに前提を移した TM (T字形 ER手法) は、「合意」 という概念を重視するようになった。

 





● 関係の論理 (aRb)

 T字形 ER手法は、関係の論理を 「関数 [ R(a, b) ]」として扱っていない。
 したがって、関数とはべつの推論 ルール を提示している。
 その推論 ルール のなかで懸案事項だったのが、いわゆる「HDR-DTL」 の構造であった。「HDR-DTL」 の構造を(T字形 ER手法の推論 ルール のなかで) 整合的に立証しなければ、T字形 ER手法の推論 ルール が破綻してしまう。
 そのために、(写像理論を否定してから) 「HDR-DTL」 の構造を 「関数とはべつの観点から」 立証した。



[ 補遺 ] (2006年 2月 1日)

 「論理 テ゛ータヘ゛ース 論考」 では、「関係の論理 (aRb)」 を、構文上、最大の検討事項とした。
 数学では、「集める (基数)」 と 「並べる (序数)」 は、定式化のなかで大切な概念である。それを、TM は 「関係の論理 (aRb)」 のなかで、関係の対称性・非対称性として扱っている。たとえば、「恋人である」 という関係は、「a は b の恋人である」 としても 「b は a の恋人である」 としても、「意味」 は成立する (「真」 である)が、「父親である」 という関係は、「a は b の父親である」 が 「真」 であれば、「b は a の父親である」 は 「偽」 となる。すなわち、関係のなかで 「項の並び」 が問われる。事業過程では、たとえば、(従業員 コート゛、部門 コート゛) も (部門 コート゛、従業員 コート゛) も 同じ 「意味」 (「配属」 という意味) を示すが、(出荷、請求) と (請求、出荷) では、「後払い」 と 「前払い」 となって、「意味」 がちがう。

 コット゛ 関係 モテ゛ル に対して、意味論を強く適用した TM (T字形 ER手法) は、(コット゛ 関係 モテ゛ル が前提としている 「関数従属性」 を捨て、) 以下の 「関係文法」 を示した。

  (1) 「resource 対 resource」 は、対照表を作る。
  (2) 「event 対 resource」 は、resource の認知番号を event に転記する。
  (3) 「event 対 event」 は、
    (3)-1 「1-対-複数」 なら、先行 event の認知番号を 後続 event に転記する。
    (3)-2 「複数-対-1」 なら、対応表を作る。
  (4) 「再帰」

 この 「関係文法」 が、構文論上、矛盾しないで証明木の文法として使うことができるかどうかを検討するのが 「論理 テ゛ータヘ゛ース 論考」 の 1つの検討事項であった。そして、そのなかで難点であったのが、いわゆる 「HDR-DTL」 構成であった。「HDR-DTL」 構成を検討していて、その構成は、構文論上、「具象 カテコ゛リー として考えることができる」 という点を理解できたが、意味論上、多義 (「多値の OR 関係」) に対比して、「多値の AND 関係」 として考えたほうが良いという点を 「論理 テ゛ータヘ゛ース 論考」 では、(薄々、気づいてはいたが、) はっきりと認知していなかった。その点に関する検討は、「赤本」 に継承されることになった。

 





● セット (帰属関係) と クラス (階の関係)

 集合あるいは関数を使えば、順序対 (先行関係) が論点になるが、さらに、集合では、以下の 2つの関係が論点となる。

 (1) 帰属関係(セット のなかでの論点)
 (2) 階の関係(クラス のなかでの論点)

 セット は「ZF の公理系 (ツェルメロ・フレンケル の公理系)」を起点にして、クラス は タイフ゜ 理論(ラッセル 氏が提示して、ラムセ゛ー 氏が単純にした)を起点にしている。

 セット の直積集合を前提にしたのが セット・アット・ア・タイム 法 (RDB) であり、クラス を前提にしたのが OOP (Object-Oriented Programming) である。

 しかも、タイフ゜ 理論を起点にして 2つの流れが形成された。1つは タイフ゜ 理論を否定した ウィトケ゛ンシュタイン 氏の思想であり、もう1つは タイフ゜ 理論を継承した ケ゛ーテ゛ル 氏の 「不完全性定理」 である。したがって、ウィトケ゛ンシュタイン 氏の考えかたを継承する拙著では、タイフ゜ 理論も検討しなければならなかった。

 セット と クラス を検討しながら、(「自然言語・ コート゛ 体系・同一 フォーマット の反復構造」 を特徴とする事業のなかで扱われる テ゛ータ を対象として) 以下の 3点を吟味した。

 (1) 順序対 (並び)
 (2) null 値
 (3) 集合の認知規準 (あるいは、集合生成の判断規準)

 
 次回から、拙著「論理 テ゛ータヘ゛ース 論考」を章立てに沿って、順次、読み解ていてゆく。□



[ 補遺 ] (2006年 2月 1日)

 さきほど、「『哲学探究』 (『言語 ケ゛ーム』 の考えかたを提示した書物) を理解できるようになった時期は、『論理 テ゛ータヘ゛ース 論考』 を執筆する 2年前であった」 と綴ったが、もっと、精確に言えば、ケ゛ーテ゛ル 氏の 「不完全性定理」 を読んで、はじめて、「哲学探究」 を理解できた。

 そして、そのとき (1999年) に、セット 概念と クラス 概念が、情報科学 (computer science) 上、悩ましい間隙を起こすことを気づいていた。すなわち、RDB (セット 概念) と OOP (クラス 概念) との接続が悩ましい問題点になることを、小生は、当時、気づいていたし、マーケット に対して、その問題点を訴えたが、理解されなかった (苦笑)。
 そして、小生自身、TM の妥当性を検証する手段として、セット 概念を使うのか クラス 概念を使うのかの選択を迫られた。小生の下した判断は、セット 概念を使うことであった。

 TM は、写像という考えかたを捨てたので、数学の手法を前提にしている訳ではないが、TM を使って作図された 「構造」 は、数学の手法を使って検証できる。「性質」 という概念を、個体に適用すれば 「周延的な性質」 と云うし、(個体の) 集合に適用すれば 「集合的な性質」 と云うが、「構造」 の妥当性は 「集合的な性質」 を前提にしているけれど、「値」 の真理性は 「周延的な性質」 を前提にしている。TM は、「構造」 を作る技術であるが、いっぽうで、つねに、個体が個体として存在することを破らない配慮をしている。たとえば、1つの セット のなかの メンハ゛ー には 「交わり」 はないとか。したがって、TM (T字形 ER手法) は、「周延的な性質」 を重視している。そのために、たとえ、数学の手法を使って、entity が集合として妥当かどうかを検証するにしても、「第一階の述語」 のなかでしか考えない--言い換えれば、「性質の性質 (高階)」 を考えない。したがって、クラス 概念を導入しない。
 なぜなら、TM は 「合意」 概念を重視して、「合意された」 コート゛ の 「意味」 を離れた概念構成を考えることはしないから。その主張を示すために、「論理 テ゛ータヘ゛ース 論考」 では、いくつかの章 (第 1章および第 9章) の扉に、ウィトケ゛ンシュタイン 氏の以下の ことば を引用した。

  数学者とは、発明家であって、発見者ではない。

  われわれは何も探さない。われわれは何かを作図するのである。
  思考、命題および作図は、すべて正確に同じ レヘ゛ル にある。

 




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