2003年 5月16日 作成 「理論編第 1章 (記号論理学の体系)」 を読む >> 目次に もどる
2006年 2月16日 更新  



 まず、第1章では、以下の 3点を認識してほしい。

 (1) 論理の無矛盾性・完全性
 (2) 「個体の認知」 と 「個体と個体との関係」 を記述する数学的技法の体系
 (3) 論理の歴史のなかでの タイフ゜ 理論の影響度

 
● 無矛盾性と完全性

 まず、「トートロシ゛ー」 という概念を習得してほしい。
 ちなみに、「トートロシ゛ー」 という言いかたは ウィトケ゛ンシュタイン 氏が提示した (「論理哲学論考」)。

 「トートロシ゛ー」 とは、恒真命題ともいい、「常に真となる (恒真な) 論理式」 のことをいう。

 命題論理は、「1つの複文はいくつかの単文に解体できる」 という前提に立って、「真理値表」 を使った真偽の一般的な検証手段を提示している。ちなみに、「真理値表」 も ウィトケ゛ンシュタイン 氏が考案した。
 述語論理では、真偽を判断する一般的な検証規準はない。それぞれの論理式を 「証明」 するしかない。
 いずれにしても、論理学の目的は、「トートロシ゛ー」 となる命題 (恒真命題) を見つけ出すことにある。

 理論は、いくつかの命題を前提にして、それらの命題だけを用いて構成される。
 前提となる命題が、その理論の公理である。そして、理論の全体を公理系という。
 したがって、現代数学では、公理を (「自明のこと」 というふうに扱うのではなくて) 理論の 「前提 (仮定)」 という扱いをする。

 とすれば、公理系は、いくつかの選ばれた前提を使って (論理の飛躍がないように) 導き出されなければならない。逆に言えば、理論は、いくつかの前提を使って証明できる、ということである。それが完全性ということである。論理においては不意打ちがない。

 そして、理論のなかでは矛盾が起こってはいけない。
 1つの理論のなかで、A と ¬A (A の否定) が 「同時に」 成立してはいけない。

 したがって、整合的な理論として成立するためには、無矛盾性と完全性を保証していなければならない。
 まず、第1章では、その点を確認しておいた。



[ 補遺 ] (2006年 2月16日)

 「論理 テ゛ータヘ゛ース 論考」 を執筆した目的は、前回の補遺 (2月 1日) に記したように、TM (T字形 ER手法) を意味論・構文論の観点から再検討することであった。意味論の観点というのは、TM の前提を (「写像理論」 を捨て、) 「言語 ケ゛ーム」 に転回することであり、構文論の観点というのは、(「関数従属性」 を使わない--N項関係の 「関係 (関数)」 を使わない--で、) 意味論を前提にした TM の 「関係文法」 が無矛盾であるかどうかを調べることであった。

 理論は、いくつかの命題を前提にして、それらの命題だけを用いて構成される。TM (T字形 ER手法) では、まず、以下が 「公理 (仮定)」 とされている。

  (1) entity である = Df 認知番号を付与された対象である。
  (2) entity は、event と resource に類別される。
    (2)-1 event である = Df 性質として 「日付 (取引日)」 が帰属する。
    (2)-2 resource である = Df event 以外の entity である。

 しかも、理論は、いくつかの選ばれた前提 (公理) を使って (論理の飛躍がないように) 導き出されなければならない。TM (T字形 ER手法) では、(上述した公理を起点にして、) 以下の 「関係文法」 を使って、「構造」 を作る。

  (1) 「resource 対 resource」 は、対照表を作る。
  (2) 「event 対 resource」 は、resource の認知番号を event に転記する。
  (3) 「event 対 event」 は、
    (3)-1 「1-対-複数」 なら、先行 event の認知番号を 後続 event に転記する。
    (3)-2 「複数-対-1」 なら、対応表を作る。
  (4) 「再帰」

 TM (T字形 ER手法) の語彙 (entity)・文法 (関係文法) が、構文論上、無矛盾であるかどうかを調べるのが 「論理 テ゛ータヘ゛ース 論考」 の目的であったが、その語彙 (entity) は、意味論上、(「写像理論」 を捨て、) 「言語 ケ゛ーム」 の 「合意」 概念を前提にするように転回した。すなわち、entity の定義を、「合意」 概念を前提にするように修正した。そうしなければ、コート゛ 体系を使って、事業過程・管理過程のなかで、「意味」 が伝達されることを説明できない。「合意」 概念を前提にするということは、システム・エンシ゛ニア の認知力 (理解力) に頼らないことを狙っている。「合意」 概念が システム・エンシ゛ニア の認知力を、どのようにして除去できるのかという点は、(「論理 テ゛ータヘ゛ース 論考」 のあとで出版した) 「赤本」 のなかで、ホ゜ハ゜ー 氏の 「第三世界」 概念を援用して説明した。

 公理 (仮定) とした entity を、意味論上、「event と resource」 に切り離したが、矛盾 (A∧¬A) が起こらないように、event を定義して、resource は 「event の補集合」 として定義している。当然ながら、「resource」 を定義して、「event」 を補集合として定義することもできたが--たとえば、「resource」 は 「日付が帰属しない」 性質の個体であり、「event」 は、「resource の補集合」 であると--、定義として、「event」 を起点にした理由は、現実に起こる現象が 「生起する事態」 として認知されるから (そして、その事態に対して、「持続して存在する」 個体が関与するから)。この考えかたは、(ウィトケ゛ンシュタイン 氏が 「論理哲学論考」 のなかで事実・事態・名辞を示した考えかたを、当初、前提にしていたが、) 最終的には、意味論上、ホワイトヘット゛ 氏の 「形而上学」 を参考にして整えた (「赤本」 のなかで、それを説明している)。

 TM (T字形 ER手法) では、entity を起点にして、「関係文法」 を使って、「構造」 (対照表、対応表、再帰表) を作る--TM' では、意味論を さらに強く適用して、「みなし」 概念を導入している。TM は、「関係文法」 を破って 「構造」 を作ることを禁則にしている。したがって、「構造」 は、かならず、「関係文法」 を適用した証明木 (proof tree) として記述される。言い換えれば、「構造」 は、かならず、語彙と文法を前提にして、証明できる。
 数学的な関数従属性を使わない TM の「関係文法」 が妥当かどうかを再検討するのが 「論理 テ゛ータヘ゛ース 論考」 の目的であった。

 




● 個体と関係

 個体を認知する規準には命題論理と述語論理がある。
 命題論理は、1つの複文 (複合命題) は いくつかの単文 (要素命題) に解体できる点に着目して論理関係を解析する学問領域である。論理の単位は 「文 (1つの主語と1つの述語)」 として扱われる。
 述語論理は、述語 (あるいは、性質) に着目して、(集合論と一体になって) 個体の集合を形成して、量化 (「すべての」 とか 「いくつかの」 など) を使って論理関係を解析する。
 命題論理も述語論理も、無矛盾性と完全性が証明されている。

 集合には セット と クラス がある。
 カントール 氏が提示した素朴集合論には ハ゜ラト゛ックス が起こった。ハ゜ラト゛ックス を回避するために 2つのやりかたが導入された。1つは ツェルメロ 氏が提示した 「安全基準 (集合の範囲を限定して考えるやりかた)」 であり、もう1つは、ラッセル 氏が提示した 「階の関係 (タイフ゜ 理論)」 である。
 セット の考えかたの起点になったのが ツェルメロ 氏が提示した集合概念であり、クラス の考えかたの起点になったのが、ラッセル 氏が提示した タイフ゜ 理論である。

 個体の関係を扱う領域として 「関係の論理」 がある。
 関係は、数学的には、関数 (2項であれば、順序対) として扱われる。
 関数を使わないのであれば、推論 ルール を提示しなければならない。

 以上の学問領域の関係をまとめれば以下のようになる。この体系図は暗記していただきたい。



関係 関係の論理
認知 命題論理 述語論理
集合 セット クラス



[ 参考 ]
 「文」 を記号化して、「文」 の集まりを集合 (セット あるいは クラス) として扱うこともできるが、上述の図において、命題論理では、推論 ルール を使うことを前提にしている。


[ 補遺 ] (2006年 2月16日)

 個体を認知する哲学には、以下の 2つがある。

  (1) 関係主義 (関係が一次的であって、個体を関係のなかで変数として扱う)
  (2) 実体主義 (個体が一次的であって、関係は個体のあいだに成立する現象として扱う)

 コット゛ 関係 モテ゛ル は、(個体が すでに記号化されているという前提に立っているが、) 基本的には、関係主義である。TM は、個体の認知に対して、「合意」 概念を適用したので--コート゛ 体系を前提にして、認知番号を付与された対象を entity としているので--、どちらかと言えば、個体を最初に認知する実体主義に近い--「どちらかと言えば」 というふうに、歯切れの悪い言いかたをした理由は、TM は、語-言語を対象にしているので、現実的世界の個体を直接に対象にはしていないから。したがって、TM は 「命題論理」 (文を単位として 「構造」 を考える) を前提にしている。「1つの複文は、有限個の単文に解体できる」 という考えかたは、TM の根底の思想になっている。この考えかたを実際に適用したのが 「情報-仕訳法」 (かつて、「命題論理方式」 と云っていたやりかた) である。すなわち、1つの 「情報 (複文)」 を、いくつかの単文 (entity) に仕訳するやりかたである。

 entity は、述語の 「連言 (AND)」 として記述される。すなわち、{a1∧a2∧...∧an} として、たとえば、{従業員番号、従業員名称、...}。このときに、認知番号を primary-key として考えて、ほかの述語を primary-key に対する関数従属性とは考えていない点に注意されたい。しかじかの述語が、しかじかの entity の性質として 「帰属」 するかどうかという点は、entity の定義と 「ことば の使用」 のなかで判断されると、TM は考えている。たとえば、以下の例を考えていただきたい。

  {従業員番号、従業員名称、...入社日、...}.

 関数従属性の観点に立てば、入社日が、従業員の述語として記述されることは正しい。しかし、TM では、「定義」 に従って--「日付」 が帰属する entity は 「event」 であって 「resource」 ではないとされるので--、入社日は、従業員のなかに帰属しない。なぜなら、入社日は、「入社」 という事象 (「event」) に帰属する性質だから。あるいは、以下の例を考えていただきたい。

  {商品番号、商品名称、...単価、...}.
  {受注番号、受注日、受注数、...単価、...}.

 「単価」 という述語は、商品にも受注にも帰属する可能性を帯びている。すなわち、「商品単価」 であれば 「正価 (正札)」 を示し、「受注単価」 であれば 「時価 (受注のつど、単価が変わること)」 を示している。したがって、しかじかの性質が、しかじかの entity に帰属するかどうかという点は、定義および 「ことば の使いかた」 を判断規準にするしかない。

 TM は 「命題論理」 を前提にしているが、(TM に対して、意味論を さらに強く適用した) TM' は 「述語論理」 を適用している。TM' は、TM の体系に対して、「みなし」 概念を導入した体系である。「みなし」 概念には、「みなし entity」 と 「みなし スーハ゜ーセット (概念的 スーハ゜ーセット)」 がある。「みなし entity」 とは、「TM の文法上では entity として認知されていないが、entity として 『みなす』 考えかた」 である。たとえば、上述した 「入社日」 は、(従業員には帰属しないが、) 「入社」 という 「event」 を認知するための 「入社番号 (あるいは、入社 コート゛)」 は、たぶん、コート゛ 体系には記述されていないので、「入社」 event を entity としてみなすために、「共通の性質」 を 1つの外延 (セット) として作る。

  {従業員番号、従業員名称、...}.
  {従業員番号 (R)、入社日、...}.

 ただし、{従業員番号 (R)、入社日、...} は、正確に言えば、数学的な セット ではない点に注意されたい。

 entity を作るために、「命題論理」 を使うが、「命題論理」 は、主語 (entity) のあいだに成立する 「関係」 を記述することができない。たとえば、S1 is on S2 とか S1 is between S2 and S3 とか S1 is greater than S2 とか。そのために、entity を 「命題論理」 を使って認知して、entity のあいだに成立する関係を記述するために、TM は、以下の「関係文法」 を示した。

  (1) 「resource 対 resource」 は、対照表を作る。
  (2) 「event 対 resource」 は、resource の認知番号を event に転記する。
  (3) 「event 対 event」 は、
    (3)-1 「1-対-複数」 なら、先行 event の認知番号を 後続 event に転記する。
    (3)-2 「複数-対-1」 なら、対応表を作る。
  (4) 「再帰」

 前述したが、この 「関係文法」 が妥当かどうかを再検討するのが 「論理 テ゛ータヘ゛ース 論考」 の目的であった。

 




● タイフ゜ 理論に対する反応

 ラッセル 氏が提示した「タイフ゜ 理論 (階の関係)」を、ウィトケ゛ンシュタイン 氏は否定し、ケ゛ーテ゛ル 氏は継承した。
 ウィトケ゛ンシュタイン 氏が タイフ゜ 理論を否定するために提示したやりかたが以下の2点であった (かれの著作 「論理哲学論考」 のなかで提示された)。

 (1) [ 写像理論 ] 文の構造と事実の構造の間には、共通の論理構造がなければならない。
 (2) [ 真理関数 ] いかなる複合命題も有限個の要素命題に解体できる。

 ウィトケ゛ンシュタイン 氏は、後々、「写像理論」 を否定し、かつ、「要素命題」 の概念が曖昧であったことを認めて、(「論理哲学論考」 のなかには間違いがあったとみなして、新たな考えかたを提示するために) 「哲学探究」 を著した (かれの死後に遺稿として出版された)。「哲学探究」 が提示した主張は以下の2点に まとめることができる。

 (1) 言語を使うということは、「規則」 に従うという行為である。
 (2) 言語を使うということは、生活の形式の中に埋め込まれた行為である。

 それらを総括して、ウィトケ゛ンシュタイン 氏は 「言語 ケ゛ーム」 という言いかたを提示した。

[ 参考 ]
 「言語を使うということは、生活の形式の中に埋め込まれた行為である。」 という主張は、「論理哲学論考」 のなかでも提示されていたので、「哲学探究」のなかに継承されたと判断して良い。

 前期の 「写像理論」 を 「意味の対象説 (ことば の意味は現実の個体のなかにある、という考えかた)」 とすれば、後期の 「言語 ケ゛ーム (ことば の意味は文法 [ 規約、合意の行為 ] のなかで成立する、という考えかた)」 は 「意味の使用説」 と言われている。



[ 補遺 ] (2006年 2月16日)

 ウィトケ゛ンシュタイン 氏の 「哲学探究」 が示した 「規則」 に関する考えかたは、上述した説明のみでは理解できないかもしれない。かれの 「規則」 に関する考えかたは、本 ホームヘ゜ーシ゛ の 「ヘ゛ーシックス」 でも述べているので、参照して下さい (424ヘ゜ーシ゛ と 428ヘ゜ーシ゛)。

 T字形 ER手法は、当初、ウィトケ゛ンシュタイン 氏の 「写像理論」 を手本にして作られた。その 「写像理論」 を T字形 ER手法の技術として、どのように使ったかという点は、「黒本」 の 132ヘ゜ーシ゛ から 138ヘ゜ーシ゛ に亘って記述されている--特段、132ヘ゜ーシ゛・133ヘ゜ーシ゛ が、「写像理論」 とT字形 ER手法との対応を記述している。

 ウィトケ゛ンシュタイン 氏自身は、「要素命題」 を具体的に考えてはいなかったし、かれの示した考えかたは、「理想的な人工言語」 を前提にしていた。かれの 「論理哲学論考」 のなかに綴られている以下の文は、読解しにくい文 (難解な文) である。[ なお、以下の訳文は、坂井秀寿氏の訳である (「論理哲学論考」、法政大学出版局)。]

  3・1432
  「複合記号 'aRb' は、『a が b に対して、関係 R にある』 ということを語っている。」 これは正しくない。
  「『'a' は 'b' に対して、ある関係にある』 ということは aRb ということを語っている。」 これが正しい。

  3・144
  状況を記述することはできる。だが、それを名ざすことはできない。

 3・1432 のなかで、引用符 (') を使って記述されている a とか b とか aRb は、記号 (言語) として記述された対象を指示しているのではなくて、記号 (言語) そのものを対象としている。以上の文が示していることは、われわれは対象 (名辞) の 「配列のしかた」 を記号で示すことはできないのであって、それを実際の文のなかで読み取るしかないということである。すなわち、現実の事態と (それを記述した) 文のあいだには、なんらかの射が成立しているが、現実的事態の配置と文 (記号) の配列のあいだには、双射 (あるいは、もっと、拡大して、全単射) が成立しないことを言っている。3・1432 は、解釈次第では、かれが中期・後期に示した 「文法」 と 「モテ゛ル 探しの否定」 を暗示しているとも言える。

 さて、T字形 ER手法は、当初、3・1432 を手本にして、事態 (関係) を対照表で記述することにした。そして、ウィトケ゛ンシュタイン 氏が 「事態」 を 「要素命題」 としたように、対照表を 「要素命題」 として考えた (ただし、ウィトケ゛ンシュタイン 氏は、「理想的な人工言語」 のなかで、「要素命題」 の具体例を考えてはいなかった)。T字形 ER手法では、当初、「要素命題」 のなかで示される関係は、「情報 (複文)」 のなかで読み取ることにした。そして、「事態」 の成立・不成立を示す 「真理値表」 として、対照表を考えていた。T字形 ER手法は、(「論理 テ゛ータヘ゛ース 論考」 を執筆して、意味論・構文論の検討をして、) 「赤本」 のなかで、TM および TM' として整えられたが、対照表の 「真理値表」 的性質は変わってはいない。すなわち、T字形 ER手法の正規形 (標準形) として、以下の主選言標準形を導入した。

    (p∧q)∨(p∧¬q)∨(¬p∧q)∨(¬p∧¬q).

 主選言標準形を正規形として導入したので、(コット゛ 関係 モテ゛ル が、当初、懸案事項にしていた) 「null」 (事態の不成立) を簡単に対応することができた--ただし、名辞 (entity) そのもの-のなかに生じる 「null」 は、サフ゛セット 概念を使って排除する。

 主選言標準形を正規形としたので、舞台うらを明かせば、T字形 ER手法は、(公表する直前まで、) entity のあいだでは、かならず、対照表を作ることにしていた。すなわち、resource と event のあいだでも、対照表を作ることにしていた (笑)。しかし、公表する直前に--精確に言えば、2日前に--、対照表は 「事態」 を示すのであるから、「『event」 の性質を帯びることが多い」 ことに気づいて--いちぶの対照表は、「resource」 的な性質を示すことがあるが--、文法上で作られる対照表と 定義上で認知された 「event」 との整合性が崩れないようにしなければならない。そのために、TM の 「関係文法」 を作った。それが、構文論・意味論の観点から妥当かどうかという点を検証するのが 「論理 テ゛ータヘ゛ース 論考」 の目的であった。

 




● 要素命題の再検討、写像理論の否定およびタイプ理論の非使用

 以上の点から拙著 「論理 テ゛ータヘ゛ース 論考」 は、以下の 4点を論点にすることになった。

 (1) 要素命題を再検討する
 (2) 写像理論を否定する
 (3) タイフ゜ 理論を使わない
 (4) 関係の論理として関数を使わない

 (1) は、個体を認知する規準とはないか、という論点である。(2) は、「リレーションシッフ゜ は ヒ゛シ゛ネス・ルール を写像していなければならない」 という点を否定して、べつの ルール を導入する、という論点である。(3) および (4) は、個体の認知規準として関数や階の関係を使わないことを宣言して、べつの推論 ルール を提示する、という論点である。
 しかも、写像理論を否定して関数を使わないことを宣言したということは、「数理 モテ゛ル (モテ゛ル 探し、意味の対象説)」 を否定して、命題論理の 「文」 を単位にして情報の文脈のなかで事業の 「事実」 を記述することを宣言している。そのために、第1章の扉の ことば として以下を選んだ。

 「数学者とは、発明家であって発見者ではない。」 (ウィトケ゛ンシュタイン)

 以上の諸点を拙著の起点として整理したのが第1章である。
 以上の記述を参考にして第1章を読んでください。 □



[ 補遺 ] (2006年 2月16日)

 いままで綴ってきた補遺を読んだら、以上の 4点が、「論理 テ゛ータヘ゛ース 論考」 の検討事項であることを理解できるでしょう。(1) (2) および (3) は、個体の認知を検討して、「合意」 概念--ウィトケ゛ンシュタイン 氏の哲学で言えば、「写像理論」 から 「言語 ケ゛ーム」 に転回すること--を導入して、(4) は 「関係文法」 を検討して、対照表の妥当性 (および、「HDR-DTL」 構成の再検討) を検証するのが 「論理 テ゛ータヘ゛ース 論考」 の目的であった。
 すなわち、TM (T字形 ER手法) は、「(認知の) 合意」 概念を前提にして、「事実」 を記述する文法を示す手法として整えた。そして、以下の 2点を実現するのが目的であった。

 (1) システム・エンシ゛ニア の 「視点 (認知力)」 を前提にした job-analysis を除外する。
 (2) 事態の 「ハ゜ターン 化 (モテ゛ル 探し)」 を排除する。

 




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