2003年 6月16日 作成 「理論編第 3章 (命題論理)」 を読む >> 目次に もどる
2006年 3月16日 更新  



● 1つの複合命題は、いくつかの要素命題から構成されている。

 第 3章 「命題論理」 では、以下の 3点を習得されたい。

 (1) 1つの複合命題は、いくつかの要素命題から構成されている。
 (2) したがって、複合命題の真偽性は、要素命題の真偽性に依存する。
 (3) 命題の真偽は 「真理値表」 を使って検証する (真偽を検証する一般的な手続きが用意されている)。

 T字形 ER手法は、当初、ウィトケ゛ンシュタイン 氏が著した 「論理哲学論考」 を底本にして作られた。
 「論理哲学論考」の考えは以下のようにまとめることができる。

 (1) 複合的な構成は単純な個体に解体できる。(記述理論的)
 (2) 最小の意味単位は要素的な文である。(文脈的)



[ 補遺 ] (2006年 3月16日)

 まず、注意したい点は、ウィトケ゛ンシュタイン 氏の云う 「要素命題」 という概念を、「黒本」 と 「論理 テ゛ータヘ゛ース 論考」 では、相違する意味で使っている。「黒本」 では、「要素命題」 を対照表に対応する概念として使っていたが--そして、ウィトケ゛ンシュタイン 氏の云う 「名辞」 を entity として考えていたが--、「論理 テ゛ータヘ゛ース 論考」 では、「要素命題」 を entity と対応するように変更している。すなわち、後述するが、「要素命題」 を 「単文」 として考えている。entity は、1つの主語 (認知番号) に対して、「述語の連言」 として記述されるので、そもそも、「複文」 であるが、「『個体 (entity)』 を 『単文』 とみなす」 考えかたに変更した。したがって、個体の述語には、一切、null を認めない。
 TM (T字形 ER手法) の 「最小の意味単位 (存在単位)」 は、entity である。すなわち、TM (T字形 ER手法) では、「単文」 を (言語学で云う 「単文」 に比べて、拡張して、) 「認知番号を付与された個体 (最小の意味単位)」 として考えている点に注意されたい。

 




● ことば の意味を解明するために写像理論を使うことは正しいのか?

 そして、ことば の意味が 「なにによって成立しているか」 という点を解明するために、ウィトケ゛ンシュタイン 氏は 「論理哲学論考」 のなかで、「写像」 という考えかたを使う。すなわち、言語は (描かれた絵のように) 現実を写す鏡になっていて、「像の要素が対象に対応する」 と考えた。つまり、像と言語の間には、或る論理構造が共有されている、と考えたのである。
 このように考えれば、「真理値表」 を使った真偽の検証が一般的な手続きとして成立する。

 [ 注意 ]
 ちなみに、ウィトケ゛ンシュタイン 氏は、後になって、この考えかたが間違いであったことを認めて否定して、新たな考えかたとして、「言語 ケ゛ーム」 という概念を使う。



[ 補遺 ] (2006年 3月16日)

 ウィトケ゛ンシュタイン 氏は、当初、「ことば の意味」 を 「真」 概念--語と事実的対象との指示関係--として考えていた。そのように考えた理由は、「語り得る」 対象と 「語り得ない」 対象を対比して境界線を示して--「語り得る」 対象を明晰に語って、その内側から境界線を示して--、「語り得る」 対象の補集合として、「語り得ない」 対象 (指示できない対象、感知するしかない対象) の存在を知らしめるためであった。(私は、「語り得ない」 対象に対して、数学的な 「補集合」 という語を使ったが、かれの狙いは、「語り得ない」 対象が第一義的である。)

 写像 (「真・偽」、つまり 「事態の成立・不成立」) を検証する手続きとして、かれは 「真理値表」 を作った (「論理哲学論考」では、4・25 から 4・442 までが 「真理値表」 を記述している)。

 TM (T字形 ER手法) は、この 「真理値表」 を、構文論上、対照表として使っている。いっぽうで、対照表は、意味論上、或る 「事態」 を言及する (「指示する」 というふうに言っていない点に注意されたい)。つまり、対照表は、以下の 2つの性質を帯びている。

  (1) 構文論上、「真理値表」 として作用する。
  (2) 意味論上、「事態」 を言及する。

 この 2つの性質を、「関係文法」 のなかで、どのように充足するかという点が、悩ましい点になった。

 




● 統語論では、複文は単文に解体できる、ということは正しい。

 さて、ここで論点になるのは、要素命題とは なにか、という点である。
 もし、統語論 (叙述文の構成) だけを対象とするのなら、そして、「要素命題」 を 「単文」 として解釈すれば、1つの複文はいくつかの単文から構成されるという考えかたは成立する。
 ここでいう 「単文」 とは、「1つの主語 + 1つの述語」 の形式をいう。
 たとえば、「佐藤正美は男であり、SE である」 という複文は、以下の 2つの単文に解体できる。
 (1) 佐藤正美は男である。
 (2) 佐藤正美は SE である。

 つまり、1つの複文は、いくつかの単文の連言命題 (「AND」を使って結ばれた形式) である。
 T字形ER手法は、「要素命題」 を 「単文」 として解釈している。

 [ 注意 ]
 命題とは叙述文の形で記述されている判断のことをいい、命令・感嘆・願望・意志などを記述する文は命題としない。
 たとえば、「書物を読むな」 「きれいだなあ」 「鳥になりたい」 「禁煙するぞ」 は命題としない。



[ 補遺 ] (2006年 3月16日)

 統語論は構文論と同じ意味である。
 さて、ここで云う 「単文」 は、言語学・記号論理学の云う 「単文」 である。TM (T字形 ER手法) の云う entity は、構文論上、「1つの主語 + 複数の述語 (述語の連言)」 という構成なので、entity そのものが 「複文」 であるが、意味論上、entity を 「最小の意味単位 (存在単位)」 (TM の云う 「単文」) として考えている点に注意されたい。

 言語学・記号論理学の云う 「単文」 (あるいは、もっと、数学的に云って、個々の 「属性値 (述語)」) をまとめて 「複文」 として記述した対象を 「個体 (主体)」 として考えることもできる。というよりも、数学では、その考えかたのほうが一般的である。すなわち、「属性」 を 「項」 として扱い--たとえば、a1, a2, ...an として考えて--、複数の 「属性」 をまとめた関係-- R {a1, a2, ...an} として記述された構成--を 「主体」 として考えることができる。その考えかたを使ったのが コット゛ 関係 モテ゛ル である。

 コット゛ 関係 モテ゛ル に対して意味論を強く適用して、「認知番号、しかも合意された認知番号、を付与された対象を entity とする」 というふうに、TM は、「最小の意味単位 (存在単位)」 を entity とした点が特徴である。そして、この 「意味の最小単位 (存在単位)」 を、TM では、「単文 (要素命題)」 と云う。

 




● 意味論では、単文に対応する事実的対象とはなにか、という点が論点になる。

 「統語論」 は記号の間に成立する関係 (対象言語の構造) を扱うが、「事実-言明 (叙述文)」 の対応関係を扱う領域が 「意味論」 である。「意味論」 は、記号と対象の両方を扱い、命題の真理値に関する言明を研究する。

 「意味論」 を対象にすれば、単文と対応する対象とはなにか、という点が論点になる。
 そして、対象と対象の間に成立している関係が複文を構成するのか、という点が論点になる。

 T字形 ER手法は、「複文-単文」 形式と 「真理値表」 という検証手続きを使っているが、最大の論点になったのが、認知される 「対象 (個体)」 とは なにか、という点であり、個体と個体との間に成立する リレーションシッフ゜ (関係) が複文を構成するのか、という点であった。
 これらの点に関しては、後日、第 10章のなかで述べる。



[ 補遺 ] (2006年 3月16日)

 「論理 テ゛ータヘ゛ース 論考」 では、意味論そのものを検討しなかった--意味論が どういう考えかたをしているのかという点を詳細に調べなかった。そのために、意味論の検討は、「赤本」 に後送りされることになった。意味論は、「論理 テ゛ータヘ゛ース 論考」 を出版したあとで、本式に取り組んだ。その取り組みの過程は、本 ホームヘ゜ーシ゛ のなかで、タルスキー 氏、ホ゜ハ゜ー 氏、カルナッフ゜ 氏、ハ゜ース 氏、ホワイトヘット゛ 氏、クリフ゜キ 氏らの著作に言及していることでわかるでしょう。

 リレーションシッフ゜ に関して、「黒本」 と 「論理 テ゛ータヘ゛ース 論考」 のあいだで大きな相違点になったのは、「論理 テ゛ータヘ゛ース 論考」 のなかで、「『情報 (画面、帳票など)』 ごとに、『リレーションシッフ゜ の検証表』 を作成する」 ことが示された点である。「黒本」 では、この点は配慮されていなかった。

 「リレーションシッフ゜ の検証表」 を 「情報ごと」 に作成するようにした理由は、「文脈のなかで」 entity のあいだに存在する関係を問うためである。TM (T字形 ER手法) が (「意味の対応説」 を捨て、) 「意味の使用説」 を前提にしたので、「文脈のなかで」 関係の 「意味」 を問うことは、当然、導入されなければならない点であった。

 




● 量化記号を扱う述語論理では真理値表を使うことができない。

 ちなみに、数学 (数学基礎論) の観点から言えば、複合命題の真偽性を検証するとき、少ない数の論理変数なら真理値表を作成すればよいが、論理変数が多くなれば、真理値表を作成することは面倒になるし、量化記号が付与された ∀xP(x) の恒真性を真理値表を使って検証することはできない。
 それゆえに、(量化記号を扱う述語論理では) 「証明」 という手続き (推論) を使う。□



[ 補遺 ] (2006年 3月16日)

 数学は、「超限 (無限)」 を扱う。したがって、「超限」 に対して、有限のなかで対象を扱う数学を、「離散数学」 というふうにも云う。「超限」 を対象にすれば、「真理値表」 を使うことができない。ウィトケ゛ンシュタイン 氏は、「すべての (量化記号 ∀)」 を真理関数として認めなかった。

 事業過程・管理過程のなかで実地に使われている テ゛ータ は有限個である。したがって、真理値表の技術を使うことができる。ただし、TM では、真理値表は対照表として使われ、対照表は事態 (resource の関与) を言及するので、どのような resource から対照表が構成されたかという手続きは見て取れるようになっていなければならない。すなわち、1つの対照表が、どの entity 群 (あるいは、対照表群) から構成されているかを見て取れるようにしなければならない。たとえば、以下を考えてみる。

 {従業員番号、従業員氏名、...}. [ R ]
 {部門 コート゛、部門名称、...}. [ R ]
 {講師番号、講師氏名、...}. [ R ]
 {従業員番号 (R)、部門 コート゛ (R)、配属日...}. [ 対照表、「配属」 を言及する ]
 {従業員番号 (R)、部門 コート゛ (R)、講師番号 (R)、研修日、...}. [ 対照表、「研修」 を言及する ]

 「研修」 を言及している対照表のなかに記述されている従業員番号 (R) と部門 コート゛ (R) は、以下のいずれから転記されたのかという点は、「意味」 を考える際、大切な点である。

 (1) 従業員 resource および 部門 resource

   ┌──{従業員番号、従業員氏名、...}. [ R ] ──────┐
   │                            │
   │┌─{部門 コート゛、部門名称、...}. [ R ] ────┐ │
   ││                          │ │
   ││┌{講師番号、講師氏名、...}. [ R ]        │ │
   │││                         │ │
   │││{従業員番号 (R)、部門 コート゛ (R)、配属日...}. [ 対照表 ]
   │││
   └{従業員番号 (R)、部門 コート゛ (R)、講師番号 (R)、研修日、...}. [ 対照表 ]

 
 (2) 「配属」 を言及する対照表

      {従業員番号、従業員氏名、...}. [ R ] ──────┐
                                │
      {部門 コート゛、部門名称、...}. [ R ] ────┐ │
                               │ │
     ┌{講師番号、講師氏名、...}. [ R ]        │ │
     │                         │ │
     │{従業員番号 (R)、部門 コート゛ (R)、配属日...}. [ 対照表 ]
     │    │
     └{従業員番号 (R)、部門 コート゛ (R)、講師番号 (R)、研修日、...}. [ 対照表 ]
 (1) であれば、「研修」 は、新卒者あるいは転部者のほかの人たちも対象にしているが、(2) であれば、「研修」 event は 「配属」 event の後続になっている (言い換えれば、基本的に、「配属」 event が起こらなければ、「研修」 event は起こり得ない)。

 




  << もどる HOME すすむ >>
  「論理データベース論考」を読む