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2013年 2月16日 補遺  


 本編は、「未完の (pending)」 編です。
 私は、本書を執筆しはじめたときに、すでに、「実体主義と関係主義」 を今後の研究課題として取り置いていました。ただ、TM では、「個体の認知」 に関して、実体主義に近い考えかたをしていますし、いっぽうで、「関係文法」 では、「関係の対称性・非対称性」 を意識して、関係主義に近い考えかたをしていますので、「実体主義と関係主義」 を言及しない訳にはいかなかったので、哲学の通説を まとめた次第です。

 本 ホームページ の 「佐藤正美の問わず語り」で、最初の エッセー (2001年 3月15日付) として、「『もの』 語彙と 『こと』 語彙」 を綴ったように、当時から──否、もっと遡って、20歳代の頃 [ 1970年代のなかば頃 ] から──、私は、哲学上の 「実体主義と関係主義」 に対して興味を抱いていました。それらの学説を、いずれ、丁寧に調べなければならないと思ってはいたのですが、探究しないまま、今に至っています。TM を モデル として考えれば、TM は、今の所、「指示規則」 では、実体主義に近い観点を導入していて、「生成規則」 では、関係主義に立っているので、「指示規則」 として 「観察可能な特徴」──すなわち、物理的対象の性質・関係が、適当な条件の下で、与えられた事態のなかに現れるか現れないかという点を直接の 「観察」 によって確かめることができること──という概念を前提にして、実体主義的な 「F-真」 概念を使い、「生成規則」 では、「関係文法」 を遵守した 「(導出的な) L-真」 概念を使っています。「F-真」 「L-真」 は、カルナップ 氏の考えかたを借用しました。ただ、カルナップ 氏は、「座標言語」 という ことば を使っていて、どちらかと言えば、関係主義的な接近法をとっています。

 私の視点を実体主義のほうに向けた人物は、(ウィトゲンシュタイン 氏ではなくて、) クリプキ 氏です。ただ、TM は、セマシオロジー の観点に立っているので──逆に言えば、オノマシオロジー の観点をとっていないので──、実体主義に立った モデル ではないでしょうね。セマシオロジー の接近法をとった理由は、ウィトゲンシュタイン 氏の哲学を起点にして TM を作ったからです。そして、TM は、今後も、実体主義を導入しないと断言できます。というのは、TM は、「言語の形態」 を記述する モデル なので。そして、私は、「様相論理学 (modal logic)」 や 「多値論理学 (many-valued logic)」にも、さほど、興味を抱いていない。ロジック では、私は、古典的な二値論理学を使っています。

 TM の前身である 「T字形 ER手法」 でも 「entity」 という概念を使っていたのですが、「entity」 を 「実体」 と訳すことに私は違和感を覚えて、「T字形 ER手法」 でも TM でも、「実体」 という用語を使ってこなかった。たぶん、いままで出版してきた拙著のどれかのなかで、「entity」 を 「実体」 として訳すことに猛反対している文を綴ったと記憶していますし、私の セミナー のなかでも、「『霊体』 か」 と皮肉ってきました。「entity」 を 「存在物」 とか 「個体」 と訳すなら、いちおう、私は納得できますが、「『実存する』 物」 というふうに訳すのであれば、私は反対します。

 TM では、「entity」 は、以下のように定義されています。

   entity である = Df 認知番号 (個体指示子) を付与された対象である。

 たとえば、本書の最終 ページ (218ページ) で示した 「銀行」 の例 (応用編-31 「コード 体系」 と 「組 オブジェクト」) では、「支店 コード」 を付与されている 「支店」 は、TM 上、「entity」 ですが、「実存する物」 ではないし、「F-真」 を実現してもいない。「(事実的な) F-真」 を示す物は、「銀行. 支店. 対照表」 として構成されます。そして、この対照表を、TM では、「組 オブジェクト」 と呼んでいます。TM では、「個体 (entity)」 と 「オブジェクト (object)」 を使い分けています。ちなみに、TM 上、「構成 (対照表)」 のなかで、「(認知番号の) 並び」 が問われる オブジェクト を 「組 オブジェクト」 と云い、「(認知番号の) 並び」 が問われない オブジェクト を 「集合 オブジェクト」 と云っています。そして、私は、本編 (実体主義と関係主義) に対応するように、最終 ページ (コード 体系と組 オブジェクト) を配置しました。

 「実体 (ousia、substantia)」 という概念は、哲学上、非常に難しい概念です。私は、「実体」 に関して、スピノザ と ライプニッツ しか読んでいないので、哲学上の争点を理解している訳ではないことを正直に述べておきます。だから、私は、「実体」 概念を丁寧に調べてみたいのです。ちなみに、スピノザ は、「実体」 を 「quod in se est, et per se consipitur (それ自体のなかにあって、それ自体によって理解されるもの)」 として定義して、自然のなかでは、「実体」 を 「神」 のほかにないと考えていましたし、ライプニッツ は、「実体」 を 「La substance est un etre capable d'action (実体とは活動能力のあるもの)」 として定義して、個体のなかにあると考えて、個体的実体を 「モナド (monade)」 と命名しました。ふたりとも、物の 「基体」 として 「実体」 があると考えていました。そして、この考えかたを否定したのが、英国の経験論哲学 (バークリー、ヒューム) です。「実体」 を探究するならば、プラトン と アリストテレス まで遡らなければならないでしょうね。ちなみに、「ousia」 は、ギリシア 語の動詞 「ある」 の現在分詞から派生した名詞だそうです。「実体」 概念は、西洋哲学では、近世に至るまで、長く継承されてきたようです。「実体」 概念は、おそらく、形而上学とも切り離せない概念なのでしょうね。

 「T字形 ER手法」 という呼称は、以下に示すように、「entity」 をはじめとする すべての管理対象を 「T之字」 形式で記述する記法に由来します。

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             │                 │
             ├────────┬────────┤
             │認知番号    │性質(観察述語)│
             │        │        │
             │        │        │
             └────────┴────────┘

 そして、この記法は、以下の 2つのいずれにも 「解釈」 できます。

  (1) 認知番号が付与された 「個体」 を、まず、認知して、その個体を定義しているのが 「性質」 である。
  (2) いくつかの 「性質」 を記述すれば、「個体」 を定立できる。

 TM では、(1) の やりかた を使っていますが、(2) を排除している訳ではない。というのは、TM は、そもそも、コッド 関係 モデル に対して、「意味論」 を強く適用したがために出てきた モデルであって──すなわち、コッド 関係 モデル で、直積 (tuple) として記述される 「個体」 が 「F-真」 を前提にして組まれる点を、TM は、もっと強く意識して、コード 体系のなかに定義されている管理番号を 「個体」 の認知手段として考えているのであって──、コッド 関係 モデル が示したように、「性質」 の直積を、まず、考えても間違いではないでしょう。言い換えれば、しかじかの 「性質」 を使って 「集合 (セット、あるいは タプル)」 を定立するとしても、数学上、正しい。TM の記法は、関係主義的にも実体主義的にも 「解釈」 できる形式になっていることが、哲学上の争点を pending にしたままになってしまったのでしょうね。そして、哲学上の この争点は、TM を実地に使う際に、なんら、影響しないですから。

 ただ、私の凝り性な性質が、どうしても、「実体主義と関係主義」 の哲学史を調べたいと私を促しています──「性質」 が 「個体」 を促すという記述も乙ですね (笑)。哲学の専門家であれば、この テーマ を地道に・丁寧に探究するでしょうが、私は エンジニア なので、仕事に直に影響する テーマ でもないので、とうとう、pending にしたままになってしまったのでしょうね。さて、今後、どうするか、、、いまの私には、この テーマ に立ち向かう ちから のないことを認めざるを得ないでしょうね。 □

 



[ 補遺 ] (2013年 2月16日)

 本 エッセー は、5年前に綴られていますが、それ以後に 「実体主義と関係主義」 の学習は一歩も進んではいないというのが現状です。寧ろ、この 5年間で、TM は、益々、数学基礎論への傾倒を強めました──事業の 「意味」 を伝えている言語を対象にして、語を記号列とみなして演算するという構文論重視の体系となっています。

 代数言語 L では、「項 (term)」 は次の様に定義されます。

  (1) 変数 x, y, z,・・・ は項である。

  (2) 変数 x, y, z, ・・・ を項として、関数 f を変数とするとき、f (x), f (y), f (z),・・・ は項である。

  (3) 定数は項である。

 TM は entity 概念を導入していますが、(2) で組まれた項 (組 オブジェクト あるいは 集合 オブジェクト) を、意味論上、物 (entity) として考えているというだけの事です。TM の次なる改訂では── TM は、今、バージョン 1.3 で、次に 2.0 として バージョンアップ するつもりですが──、entity 概念を外そうと考えていたのですが、意味論上、entity 概念を使えば便利なので、その概念を継続して使います。しかし、その概念には、いかなる形而上学的存在論 (オントロジー) を援用するつもりはない。つまり、entity という日常語 (ただし、a formal word) を日常的常識を離れて使うつもりはないという事です──たとえば、a separate legal/political entity という様な使いかたです。そして、バージョン 2.0 では、entity とその 「性質 (attribute)」 という言いかたを、構文論上、「主題と条件」 という言いかたにします。

   ┌─────────────────┐
   │                 │
   ├────────┬────────┤
   │主題      │条件      │
   │        │        │
   │        │        │
   └────────┴────────┘




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