2001年 4月30日 作成 日本古典文学 (全般): 中級編 >> 目次 (作成日順)
2005年10月16日 更新  


 入門編の基本書を読み終えて、基本的な知識を習得したら、下欄の文献を読めばよい。

 

 ▼ 中級用の学習参考書

 ● 日本文学研究必携 (古典編)、日本文学協会編、岩波全書

 ● 古典文学研究必携、市古貞次 編、学燈社

 ● 雑誌「国文學」: 特集「古典文学の キーワート゛」、第30巻第10号9月号、学燈社

 ● 雑誌「国文學」: 特集「古典文学基本知識事典」、第33巻第11号9月号、学燈社

 ● 雑誌「国文學」: 特集「キーワート゛ 110 古典文学の述語集」、第40巻第9号臨時号、学燈社

 ● 平安時代の信仰と生活[「国文学解釈と鑑賞」別冊 ]、山中 裕・鈴木一雄 編、至文堂

 ● 平安貴族の世界、村井康彦、徳間書店

 ● 古典文章宝鑑、小田切秀雄・川口久雄・松田 修 編、柏書房
  [ 人生観・恋愛・学問など カテコ゛リー 別に文章を抜粋してある ]

 ● 話に生かす日本の古典、渡辺富美雄・加部佐助 編、ぎょうせい
  [ 近世・中世・上代の時代ごとに、物語・日記・和歌などから抜粋してある ]
  [ それぞれの時代の人生観を浮き彫りにしている ]

 

[ 読みかた ] (2005年10月16日)

 入門編に記載した書物を読んで、古文読解の基礎力を養ったら、いよいよ、「原典」 を読めばいいのだけれど、いっぽうで、基礎知識を、さらに、拡充したほうがいいでしょう。「なにを、いかに読めばいいか (どういう作品が、どのような研究がされてきて、どのような参考文献があるのか)」 という 「読書の道しるべ」 としては、後述する 「日本古典文学研究大事典」 が最新版として役立つでしょう。「日本古典文学研究大事典」 は、「研究大事典」 というように、専門的に研究しようとする人たちの 道しるべ です。1つの作品を専門的に研究するには、いまに至るまでの研究文献を、まず、網羅的に調べなければならないでしょうが、われわれ アマチュア が、「或る作品を研究する」 こと--時代のなかで、語義を正確に整えることなど--を目的にしているのではなくて、専門家のいままでの研究を拝借して、作品を読むことを目的としているのなら、基本的作品に関して、基本的な参考文献さえ読んでいればいいでしょうね。したがって、研究の道しるべとして、少々、版が古くても、基本的作品・基本文献が網羅されている コンハ゜クト な 「道しるべ的文献」 がいいでしょう。そういう意味では、「日本文学研究必携 (古典編)」 (日本文学協会編、岩波全書) および 「古典文学研究必携」 (市古貞次 編、学燈社) は、お薦めです。ただし、いずれも、絶版ですので、古本店で探してください。

 入門編で学習した基礎知識を拡充するために--古典文学の 「キーワート゛、基本知識 および述語」 を学習するために--、雑誌 「国文學」 の ハ゛ックナンハ゛ー のなかで、われわれ アマチュア が読みやすい号を選んでみました。雑誌 「国文學」 は、古本店 (日本文学の書物を揃えている古本店) に、たいがい、置いてありますので、入手しやすいでしょうし、古本店で入手できなかったら、図書館で借りて下さい。

 古典文学を 「作品」 として鑑賞することは、「文学の読解」 として当然のことですが、いっぽうで、古典文学の作品を 「通史的に」 読んで、日本人の 「ものの見かた」 を調べることも、愉しい趣味の1つになるでしょう。古人は、日本人として、事象に対して--たとえば、恋愛など--、われわれ現代人と似た感じかたをしている点もあれば、きわめて相違する考えかたをしている点もあります。1つの作品のなかに綴られている感じかた・考えかたは、かならずしも、その時代に共通の性質であるとは言い切れないでしょうね。1つの作品が時代精神を語っているかどうか、という点は、同じ時代の、もっと、数多くの作品と対比したり、ほかの多量な資料 (美術、建築など) を考慮したりしなければならないので、専門家の仕事になりますが、専門家が、そういう研究をふまえて、作品を解説していれば、われわれ アマチュア には、非常に参考になります。
 1つの作品は、作品であるかぎり、作品のなかで語られている感性・知性は--たとえ、時代のなかで、時代的精神との相互作用があるとしても--、あくまで、個人に帰属するというのが 「事実」 でしょうね。
 「古典文章宝鑑」 と 「話に生かす日本の古典」 は、それぞれの作品のなかからの抜粋文です。抜粋文のみを読んで--作品のほかの記述を切り捨てて--、われわれが、思いのままに、「像」 を作るのは危険なのですが、そういう危険性を自覚していれば、「軽い読み物」 として、それぞれの時代で、どういう考えかたがあったのか、という点を鳥瞰するためには、有用な書物です。われわれが、或る事象--たとえば、恋愛・仕事など--に対して、考えかたを 「引用」 する際にも、役立ちます。




 

 ▼ 中級用の辞典

 ● 角川 古語大辞典(全5巻)、共編、角川書店 (★)
  [ 全巻揃えると高価な値段(約10万円)だが、お薦め。]

 ● 小学館 古語大辞典、共編、小学館
  [ 角川古語大辞典を揃えられないなら、この辞書をお薦めする。]
  [ コンハ゜クト 版もある ]

 ● 古典語彙大辞典 辞書叢書B、落合直文 編、東出版 (★)
  [ 原題「国書辞典」の復刻版。やや難解に属する古言古語を収拾している。]

 ● 新明解古語辞典 補注版、金田一春彦・三省堂編修所 編、三省堂
  [「新明解古語辞典」に補注を施してある。]

 ● 王朝語辞典、秋山虔編、東京大学出版会 (★)

 ● 平安朝文学事典、岡 一男 編、東京堂出版

 ● 古典対照語い表、宮島達夫、笠間書院
  [ 主要な古典作品で使われている語彙の頻度を比較している。]

 ● 古語類語辞典、芹生公男、三省堂
  [ 現代語から古語を調べることができる。]

 ● 日本文法大辞典、松村 明 編、明治書院

 ● 日本語文法大辞典、山田明穂・秋本守英 編、明治書院

 ● 日本文学史辞典(古典編)[ 角川小辞典31 ]、三谷栄一・山本健吉 編、角川書店

 ● 日本古典文学大辞典(簡約版)、岩波書店
  [ 改訂版がある、と思う ]

 ● 縮約日本文学大辞典、新潮社
  [ 改訂版がある、と思う ]

 ● 日本文学史(全6冊)、久松潜一 編、至文堂
  [ 改訂版がある、と思う ]

 ● 日本文学鑑賞辞典(古典編)、吉田精一 編、東京堂出版

 ● 日本古典文学研究大事典、西沢正史・徳田 武 編、勉誠社

 ● 有職故実大辞典、鈴木敬三 編、吉川弘文館

 

[ 読みかた ] (2005年10月16日)

 古文が、現代人にとって、外国語に近いほど、身近な言語でないのであれば、当然ながら、「良い辞典」 を使うことが大切な点になりますね。古典文学を 「本気で」 学習しようと思うのであれば、「古語大辞典 (全5巻)」 (角川書店) を購入しても、損はしないでしょう--ただ、不思議なことに、第3巻が、新本では、なかなか、入手できないようです (ぼくは、幸いなことに、古本店で、第1巻から第3巻までを入手していたので、第4巻・第5巻を新本で購入しました)。ほかにも、三省堂から 「時代別」 の数多い辞典が出版されていますが--「室町時代」 の語彙だけでも、そうとうな冊数がありますが--、専門家なら いざしらず、われわれ アマチュア が、それらを すべて 揃えるのは、学習力を超えてしまうので、無理に揃えなくてもいいでしょう--ただ、「古代」 編だけは購入しておいたほうがいいでしょう。古文の学習は、中古文が中心となるので、1冊版の コンハ゜クト な古語中辞典では、古代の語彙・文法を詳細に調べようと思ったら、物足りない。

 大辞典は、或る語彙を詳細に調べる際に使うので、常用する辞典ではないでしょうね。常用する辞典は--入門編で記載した学習辞典を、ほぼ、使いこなしたら--、中辞典になるでしょう。中辞典として、「小学館 古語大辞典 (コンハ゜クト版)」 と (「読書案内」 では記載しなかったのですが、) 「角川新版 古語辞典」 (久松潜一・佐藤謙三 編) を、お薦めします。「岩波 古語辞典」 (大野 晋・佐竹昭広・前田金五郎 編) も使いやすいです。個人的には、ぼくは、(前回も言及しましたが、コンハ゜クト な) 「模範 古語辞典」 (金園社) を使うことが多い。

 古語辞典は、需要が少ないからか、(ハ゜ソコン で使う) CD-ROM 版が、ほとんどない--三省堂の辞典群のなかに収録されている CD-ROM 版しか、ぼくは知らない。中辞典は、携帯するには、かさばるので--「模範 古語辞典」 は、携帯できるほどの小型版ですが、それでも、鞄に入れたら、かさばるので--携帯用として、「精選 古語辞典」 (福音館小辞典文庫) を、お薦めします--大きさは、たばこ の箱くらいです。ただ、老眼の ぼく には、活字が小さいので、眼鏡を外して、読まなければならないのが辛い (苦笑)。[ そして、電子辞書版 「広辞苑」 を携帯して、古語辞典として使っています。]

 古典作品を読むために、古語を古語として--古代・中古・近世で使われ、現代では、もう、使われていない語彙として--学習するのであれば、「古語辞典」 を使えばいいのですが、(現代では、「廃語」 となっている語彙を収録した) 「日本語」 として語彙を考えるのであれば、古語と現代語をいっしょに収録した辞典が役立つでしょう。そういう辞典として、「大日本国語辞典」 (上田万年・松井簡治、冨山房) 「大言海」 (大槻文彦、冨山房) および 「新潮 国語辞典」 (久松潜一 監修、新潮社版) が定評を得ています。ぼくは、いずれの辞典も所蔵していますが、いま、たまたま、てもとにあった 「新潮 国語辞典」 を使って、「驚く」 を調べたら、古代では (および、中古までは)、「起きる」 という意味であって、中古以後に、「意外な事に びっくりする」 という意味になったことが、例文から判断できます。
 - おどろき (覚) て かき探れども (万4、741) [ 目ざめる ]
 - 風の音にぞ おどろかれぬる (古今、秋) [ 目ざめる ]
 - 起し給へば (略) ふと おどろきぬ (源、空蝉) [ 目ざめる ]
 - 天地驚くばかり仕うまつらん (宇津保、吹上) [ 意外な事に びっくりする ]

 そして、「驚き」 (動詞 「驚く」 の連用形の名詞化) は、「驚き顔」 のような語構成になって、「びっくりした様子」 になることが、源氏物語の例文として記載されています。
 - おどろきがおにはあらねど (源、野分)

 「驚かす」 では、「注意をよび起こす」 とか 「音信をなす」 という意味もあることが、源氏物語の例文として出ています。
 - うち忘れたらんことも おどろかし給へり (源、初音) [ 注意をよび起こす ]
 - 通ひ給ひし所々よりは、恨めしげに おどろかし聞え給ひ (源、葵) [ 音信をなす ]

 「驚く」 の語感は、たぶん、「覚」 と 「愕 (駭)」 の2系統なのかもしれないですね。さて、そうなのかどうか、という点を、大辞典を使って、丁寧に調べてみてください。作品のなかで使われている語彙に対して、正しい語義 (あるいは、解釈) を与える作業は、膨大な資料を地道に調べなければならないので、専門家にしかできないでしょうが、或る語彙に関して、すでに、通説になっている語義を拝借して、詳細に述べることは、われわれ アマチュア でも、大辞典と中辞典を巧みに使えば、できるでしょう。逆に言えば、そういうことが巧みにできても、専門家ではない、ということです。

 古文を読むときに、むずかしい点の1つは、文法でしょう。文法に関しては、大辞典を、1冊、備えていたほうがいいでしょう。たとえば、中古文の散文には、「めり」 が多く使われているのですが、和歌では、ほとんど、使われていないようですし、古代や鎌倉時代でも、ほとんど、使われていないようです。「めり」 は、「見 (ミ) 有り」 の約とされ、「らむ」 と対比される語のようです。「らむ」 が、見えないものを推測するのに対して、「めり」 は、眼前にあるものを推量するそうです。基本的な助詞・助動詞に関して、大辞典を 「読めば」 いいでしょう。
 ちなみに、助動詞の 「めり」 とは違う語彙として、名詞的・動詞的に使われている 「めり」 は、「花伝書」 に出てきて、笛・尺八の音調を下げることを云います--「かり」 と対語になって、「めり」 は 「低くする、減る」 ことであり、「かり」 は 「高くする、増やす」 ことです。そして、興味深いことに、現代でも、「めりこむ (減り込む)」 という言いかたがありますね。




 

 ▼ 中級用の文法・文学史の文献

 ● 時代別・作品別 解釈文法、共著、至文堂
  [ 雑誌「国文學」の収録文献を単行本にしてある。]

 ● 文法早わかり辞典、雑誌「國文學」第24巻第12号臨時号、學燈社

 ● 古典を読むための 助動詞と助詞の手帖、雑誌「國文學」第29巻第8号臨時号、學燈社

 ● 文語文法詳説、湯沢幸吉郎、右文書院

 ● 古文読解のための文法、佐伯梅友、三省堂 (★)

 ● 国文法ちかみち、小西甚一、洛陽社 (★)

 ● 日本語の文法、大野 晋、角川書店

 ● 日本語の文法を考える、大野 晋、岩波新書 53 (★)

 ● 奈良朝文法史、山田孝雄、宝文館出版 (★)

 ● 平安朝文法史、山田孝雄、宝文館出版 (★)

 ● 古代日本語の研究(親族語彙の国語学的研究)、劉 学新 著、同成社

 ● 上代・中古の敬語(敬語講座 2)、明治書院

 ● 中世の敬語(敬語講座 3)、明治書院

 ● 江戸言葉の研究、湯沢幸吉郎 著、明治書院

 ● もの語彙とこと語彙の国語史的研究、東辻保和 著、扱古書院

 ● 日本文学大年表、市古貞次 編、おうふう
  [ 簡約版の「日本文学年表」が同じ出版社(桜楓社)からでている。]

 ● 和歌文学年表 [ 増補改訂 ]、阿部正路 編、櫻楓社

 ● 日本文学史辞典(古典編)[ 角川小辞典31 ]、三谷栄一・山本健吉 編、角川書店

 ● 古典文学史必携、久保田 淳 編、學燈社

 ● 原典による 日本文学史
  久松潜一・麻生磯次・守随憲治・池田亀鑑・吉田精一・市古貞次 監修、河出書房

 ● 編年体 日本古典文学史、雑誌「國文學」第22巻第3号臨時号、學燈社

 ● 古典文学 書き出し結び総覧、石黒吉次郎 監修、日外アソシエーツ
  [(上)物語・近世小説、(下)日記・紀行・随筆・演劇 ]

 ● 日本文学史、小西甚一、講談社学術文庫

 ● 日本文学史序説 上・下、加藤周一、筑摩書房

 ● 日本の艶本・珍書 総解説、自由国民社

 ● 本朝 艶本艶画の分析鑑賞、高橋 鐵 著、有光書房

 ● 続 秘められた文学、至文堂
  [ 國文學 解釈と鑑賞 4月臨時増刊号 昭和42年。]

 ● 新編 秘められた文学、吉田精一 編、至文堂
  [ 国文学 解釈と鑑賞 3月臨時増刊号、昭和58年。]

 

[ 読みかた ] (2005年10月16日)

 古典文法は、学習する際、非常に てごわい。語彙が時代とともに変化するように、文法も、時代ごとに、特徴があります。時代ごとの文法的特徴を知るために、まず、「時代別・作品別 解釈文法」 (至文堂) を読めばいいでしょう--絶版ですので、古本店で入手するか、あるいは、この単行本のもとになった雑誌 「国文學」 を、古本店で入手してください。古文の学習は、まず、中古文を対象にするでしょうから、もし、古文を 「本気で」 学習するなら、文法書として、「奈良朝文法史」 (山田孝雄、宝文館出版) および 「 平安朝文法史」 (同) は、必読書でしょう。この 2冊を読んで、文法の大辞典を てもとに置いておけば、古文 (中古文) を読むには、まず、大丈夫でしょう。
 古代の語彙・文法は、(古典文法が、ただでさえ、むずかしいのに、) きわだって難解な対象です。古代語を学習する際には、「語根」 を無視することができない。われわれ アマチュア が、たとえば、古事記や万葉集を 「原文」 で読むことは、まず、ないでしょうが--専門家が解読した 「書き下し」 文を読むのが ふつうでしょうが--、「語根」 に関して、少々の知識を習得しておいても、(「日本語」 の成立・変遷を知るという観点から判断すれば、役立つので、) 損にはならないでしょう。
 万葉集の解読に関して、韓国の学者が、「通説」 に対して、異議を唱えて、さらに、その異議に対して、日本の学者が反論して、話題になったことがありますが、われわれ アマチュア が、そういう書物 (第一線の研究者たちの論争) を読んで、「ウケうり」 しても、なんら、みずからの学習には、役立たないでしょうね--そういうふうな 「解釈」 もあるのか、というふうに静観していればいいでしょう。第一線の研究者たちの論争を聞いても、われわれ アマチュア は、そもそも、どちらが正しいか、という判断をできるほどの知識はないのだから。

 文法の基礎知識を全体的に学習するには、「古文読解のための文法」 (佐伯梅友、三省堂) と 「国文法ちかみち」 (小西甚一、洛陽社) を、お薦めします。国文法の基礎知識がある人なら、「佐伯文法」 という言いかたがされていることを ご存じでしょう。「佐伯文法」 は、国文法に関して、1つの整った学説として有名です。ちなみに、興味深いことに、佐伯先生と小西先生は、つきあいがあったようです。小西先生の 「国文法ちかみち」 は、大学院国文科を志望する学生向けの中味ですが、「はしがき」 には、以下のような記述があります。

   というのは、わたくし自身が、あまり文法をすかないし、頭もそれほど良くなかったからである。したがって、
   文法にはさんざん苦しんだ。いまでは、国文学専攻の大学生諸君を相手にしても、何とか文句をいうところまで
   漕ぎつけているけれど、それまでの苦労といったら、秀才型の頭を持ちあわせる人たちの想像もできないほどで
   あったろう。だから、文法に悩まされている諸君に対しては、おそらく誰よりも同情と理解をもっているつもりで、
   それが わたくしに この本を書かせた主な理由である。

   それほど文法に弱かった わたくしが、ともかく人前で文法の話を持ち出せるようになったのは、佐伯梅友先生の
   おかげである。わたくしは、昭和二十一年から六年間、先生と同じ研究室にいさせていただいた。ところが、佐伯
   先生は、世にかくれもない文法の虫であって、...(略)。そんな先生と、文法ぎらいの わたしとが幾年も仲よく
   同室していたのは、まことに皮肉といえば皮肉だが、結果としては、わたくしに たいへん幸せをもたらしたよう
   である。この本のなかで佐伯先生のことがよく出てくるのは、そういった理由からである。

   この本では、これまでの常識と かなり違った方法がとられている。しかし、それは勉強の 「方法」 についての
   ことであり、説かれている文法そのものは、なるべく穏当な学説に従ったつもりである。ところで、その方法は
   アメリカ 流の訓練主義でつらぬかれているから、実は、あまり楽な勉強を期待してもらうと、すこし当てがはずれる
   かもしれない。が、考えてもみたまえ。文法ぎらいで頭もたいして上質でない お方が、努力ぬきで すらすら
   文法を マスター できるなんて、そんな虫のよい話があったら、それこそ大嘘にきまっている。文法ぎらいで、頭も
   上質でない人だって、わたくしの言うとおりに努力すれば、かならず ちゃんとした成績がとれるということだけ
   しか、わたくしは保証しない。「むだな努力をさせない」、それが結局わたくしのねらいなのであり、また
   「ちかみち」 ということの正しい意味でもある。

 
 文学史の辞典は、(有職故実の辞典と同じように、) ぜひとも、1冊、てもとに置いてください。
 ぼくは、個人的には、「日本文学大年表」 (市古貞次 編、おうふう) と、「日本文学史(全6冊)」 (久松潜一 編、至文堂) を愛用しているのですが、「通史」 を学習するには、まず、(高校生用の学習参考書ですが、前回 「入門編」 のなかで記載した) 「ヒ゛シ゛ュアル 解説 原色 シク゛マ 新日本文学史」 (秋山 虔・三好行雄 編著、文英堂) の一読を、お薦めします。その 「はじめに」 は、以下のように綴られています。

   日本文学史と名づけられる書物の数は、はなはだ多い。しかしながら、文学史とは何か、また文学史は どの
   ように学ばれるべきかについての明確な意識につらぬかれた書は、いたって少ない。単に 作家と作品や文学
   に関する諸事項についての知識を、それらの生起した時間的序列に従って蓄えるのが文学史学習の目的では
   あるまい。

   (略) しかし、そのことは、過去の時代の文学遺産を、現在の我々の立場から ほしいままに鑑賞したり解釈
   したりしてよいということではない。過去の文学を現在の経験として存在させるということは、それらを現在
   に引きすえようとしても、そのことを拒否する それぞれの固有性に目を開き、過去の文学と我々との間の距離
   を自覚し、両者を見直す往反運動を重ねることによって、過去から現在へと連なる血脈をさぐりあてるという
   作業なしに不可能なのである。
   本書は、現在の我々が過去の文学と そのような関係を正しく取り結ぶための指針の書として編まれたのであり、
   そうした目的のもとに、全時代にわたる文学の諸事実を歴史的に体系だてたものである。

 本書は、高校生用の副読本 (総 ヘ゜ーシ゛ 数は、250ヘ゜ーシ゛) だけれど、以上に引用した 「はじめに」 を読めば、古文を愛する人たちが読んでも、読み応えがあるでしょう。しかし、「はじめに」 のなかに提示されている問題意識を、はたして、高校生は、理解できるのかしら。

 秘籍 (艶本、珍本) は、「気晴らし」 として読んでください (笑)。英語を学習する際、ホ゜ルノ を読めば、学習が捗るなどというふうに、気を衒った言いかたをしていた ミーハー 本がありますが、ホ゜ルノ のなかで使われている語彙を覚えても、さほど、役に立たないでしょう (苦笑)。ホ゜ルノ のなかでも、たしかに、一般的な会話文が綴れていますが、語感を養うには、やはり、ちゃんとした文学を読んだほうが効果的・効率的です。ちゃんとした書物を読んで語彙力・語感を養って、「気晴らし」 として、ホ゜ルノ を読めばいいのであって、まことしやかに、ホ゜ルノ を読めば速習できるなどということを言う人の知性を、ぼくは疑います。
 ぼくも、秘籍 (艶本、珍本) を読みます (読んでいるから、「読書案内」 に記載しているのですが--笑)。たとえば、江戸時代の秘籍 「阿奈遠可志 (あなをかし)」 は、単なる 艶本ではなくて、読後に、「人性の 軽率さ・やるせなさ・悲哀」 を感じて、涙が流れてきます (実際、ぼくは、読んで泣きました)。「『阿奈遠可志』 は艶本だから」 と馬鹿にしないで、一度、読んでみてください。しかし、いずれにしても、秘籍 (艶本、珍本) は、「気晴らし」 として読み流すのが無難でしょうね。




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